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EX1話:『企業戦士 東野』12

 近代以後、経済活動の暗部に形勢された異能者達の世界……『派遣業界』。

 数多くの情報が行き交うこの世界では、常に無数の逸話と伝説が紡がれる。が、実際にその場、その異能者に出会えた者はごく僅かであり、逸話のほとんどは誇張か、単なる虚構に過ぎない。

 そんな中、誰もがその実力と実績を確固たる事実と認めている、とある集団がある。

 善悪の評価はどうであれ、彼等の実力を疑うものは誰もいない――裏の世界のみならず、表の世界でも。なぜなら彼等の成し遂げた事は、歴史の一ページとして刻まれているのだから。

 彼等、無個性な背広に身を包んだ男達は、いずれも己が所属する企業に高い忠誠心を捧げ、鋼鉄の目的意識と冷徹無比の業務遂行能力とを持ち合わせ、またその多くが任務達成のための『必要十分の』戦闘能力を有していたとされる。

 日本に生まれ出でた彼等は、WWIIに於いて焦土と化した郷土をたちまち高度経済成長によって復興させた。その後使命を受け欧州、北南米、亜細亜、中東、アフリカ――七大陸に散った彼等は、『不屈の向上心(カイゼン)』、『鉄の絆(ケイレツ)』、『無償の献身(ザンギョウ)』などを武器に、たちまち世界経済の勢力図をジャパンへと塗り替えてゆく事になる。

 もちろん、これに対する抵抗も苛烈を極めた。特に世界経済の暗部に組み込まれた各国の異能力者達は彼等と何度となく刃を交えたものだ。

 だが、異能力者達が優勢に戦いを進めていられたのは序盤だけであった。相手の長所を臆面もなくコピーし、よりカイゼンされたものを生み出す――彼等の特技は、この業界においても遺憾なく発揮された。

 やがて各国の能力者達は、自分達に良く似た、しかも最高の品質(メイド・イン・ジャパン)の能力を備えた彼等に苦杯を何度となく舐めさせられる事となる。

 二十世紀後半に現れた、魔物あるいは奇跡とも称えられる伝説の男達。――人は彼等を『ジャパニーズ・ビジネスマン』と呼ぶ。



「馬鹿な。奴等はバブル経済の崩壊とともに全て滅びたはずだ!!」

  そう。篠宮に産業スパイのイロハを叩きこんだアメリカ人は、畏怖を込めて語ったものだ。彼等の末路は、多くは哀れなものだった――全てを捧げた企業に裏切られたもの。全てを捧げたために家庭を失ったもの。死闘の果てに体を蝕まれてしまったもの。

 他国から見れば狂気とも取れる戦いに身を投じた彼等は、日本経済の斜陽とともに、決して報われないままその姿を消した。――それが欧米の、いや、世界の共通認識のはず。

「失敗を反省し、改善する事にこそ人の本質がある。バブルという虚栄の塔が崩れ去った後、我々は己の歩んできた過ちを認めた。

 何の事はない、我々はジャパニーズ・ビジネスマンというその称号に浮かれて驕り、初心を見失ったのさ。そして我々は表舞台から姿を消した。己の仕事を全うする――今は、それだけだ。もっとも、私も彼等の中では一番若輩の世代だけどね」

 さりげなく、若輩、の部分に力がこもっている。

 他方、生きた伝説を前にして、篠宮の焦燥は頂点に達した。彼が生まれ落ちて、そして就職して今現在まで目にして来たのはすべて、生活に追われ、疲れきった目をしたサラリーマンだった。だが、この男は……。

「二十世紀の亡霊め……消えて失せろっ!!」

 もはや言葉を取り繕う余裕もなく、篠宮は残弾を掃射。同時に再び後方へ飛ぶ。奴を仕留めるためにはこれでは足りぬ。遮蔽物が多く、『弾』に乏しいここは相応しくないと判断した彼は無人のビルの谷間を飛ぶ。

 先ほど同様に弾を交わし、影のように音を立てずそれを追う東野。両者は十秒足らずで実に百メートルを駆け抜ける。

「そろそろ終わりにしよう篠宮君。『カペラ』は彼女達のものだ。正しい努力をした者が正当な対価を得るのでなければ、ビジネスは成り立たない」

「それはどうかな。辺りを見てみろ」

「!」

  東野の表情が始めて緊張する。両者が今いる場所は、橋だった。

  さいたま新都心の南端には巨大な郵政庁舎のビルが置かれており、そのさらに南には、西口と東口を結ぶ陸橋がある。東野は今、そこにいた。そして篠宮は、己を念動力で引き上げ、橋の上空十メートルに浮いている。

「直線攻撃も範囲攻撃も無効。だが、貴様には跳躍や飛行の能力はあるまい。崩壊する足場では、精密な動きも出来まい」

 そう呟く篠宮の額に、音を立てて無数の血管が浮き上がる。自らの脳に眠る破壊の力を最大限まで引き出してゆく。

「ふん、何が正しい努力だ。派遣会社の中途採用となれば――どうせ貴様もリストラ組だろう。会社に尻尾を振るだけの貴様に、何の対価があったというのだ!!」

 裂帛の気合。絞り出された念動力の全てが眼下の橋梁に叩きつけられた。強固なはずのコンクリートの建造物は瞬く間にひびが入り、たちまち崩落する。


 その一瞬。

 時間は止まる。

 東野は微量の空気を口に含み肺腑に落とす。

 膨らむ肺腑を知覚する。

 それによって押し下げられる臓腑を知覚する。

 酸素を取り込んで再び全身に流れてゆく血管を知覚する。血液が運搬したグルコースを筋細胞が貪る様を知覚する。

 振動する空気を触覚する皮膚を知覚する。それらを知覚する神経網を知覚する。

 たちまち東野は、東野という肉体の操縦者と化す。

 視神経を強く知覚する。研ぎ澄まされた動体視力が、崩れ落ちる橋をまるでコマ送りのように捕らえる。演算――通常移動での脱出は不可。

 足を強く知覚する。通常の歩行、走行では使用しない領域の筋肉と腱を動員。跳躍力を飛躍的に上昇させる。空間認識力を知覚する。演算――最適経路の算出完了。

 危機にあって、東野は瞬時に己が肉体を最適化してゆく。

 これこそが中国拳法における内功――呼吸を起点とする体内の知覚及び操作術である。

 どんな人体も、食う、寝る、歩くと行った当たり前の行為の裏に、実に芸術的なまでの精密な身体操作を行っている。

 その無意識の動作を再認識、分析――『気を巡らす』――ことで把握し、それらをすべからく戦闘における最適状態として使用する――『気を込める』――事により、人体に眠る能力を限界まで引き出す技術。

 東野が今まで見せた戦闘技術に、神秘的な事象は何一つない。ただ、一つ一つが人体の限界を要求されるはずの動作を、当たり前のように連続して行うために神懸って見えるというだけの事である。

 この身体操作術を極めれば、睡眠、食事、新陳代謝などの生物としての本能すら認識・分解・操作が可能となる。かつてはこの術により飛躍的な長命を得た者もいるとされ、故に、『仙術』とも呼ばれていた。

 だが、例えば、慣れない者が、手を開いた状態で薬指の第一関節だけを動かすためには相当な訓練が必要である。同様に、肺腑、内臓、あるいは脳と行った箇所を認識し操作するには、並外れた集中力と精神力が要求される。

 よって、かつて仙術を学ぶ者には、その前提条件として、厳しい精神修行が課せられたものである。

 彼が――否、彼がかつて職を奉じた企業がどのような経緯でこの技術を入手したかはもはや知るものはいない。だが、往時のジャパニーズ・ビジネスマン達は、この技術のうち必要な箇所を貪欲に取り込み、彼等の任務達成のためのツールへとカイゼンした。

 純粋な戦闘技能に特化したその技術は、未来予知に匹敵する戦闘即応、電磁発勁、気配遮断、精密打撃による物質粉砕、音速までの打撃に対しての見切りと逆撃、等を可能とする。

 マイナーダウンされたとは言え、これらの動作の修得にもやはり並外れた精神力が要求される。だが、彼等には容易な事だった。職場は戦場。背広は甲冑。常在戦場を当然のように体現する男達の愛社精神にとっては。

 ゆえに。

 私生活では一介の中年男に過ぎぬ東野進は、背広を纏うことによって意識をビジネスマンのそれへと切り替える。これにより、強靭な精神力と、それに裏打ちされた絶大な戦闘能力とが解放されるのだ――

 時間が解凍された。

  崩落する橋、消失する足場、舞い上がりまた舞い落ちる巨大なコンクリートの欠片。だが、足場が消失する直前に、東野は跳躍していた。

 上空のコンクリート片に足をかけ、そこに蓄えられた上方へのベクトルを反動としてさらに跳躍。それを三度繰り返すことで、十メートルの上空の篠宮の間合いへと易々と踏み込む。

「……!!」

「君は一つ、誤解をしている」

 篠宮が気づいた時、既にその男は上空の位置を占めていた。その右拳が振り上げられ、肩の後ろまで引かれる。今までの洗練された戦闘動作からすれば、随分と無骨な動きだ。だが、それが何よりも恐ろしい一撃である事を篠宮は直感した。

「企業に忠誠を誓うのは、ひとえに家族を養うため」

 握り締められた拳が軋みを上げる。

「……毎日の家族の笑顔。全存在を賭けるに値しうる対価だ。例え己が……その傍に居ることが……無いとしても!!」

 そこに握られたものは、愛か、誇りか、怒りか……あるいは哀愁か。

「待――」

 咄嗟にガードする。そんなもので防ぎきれる筈がないと本能が叫んでいても。

 拳が振り下ろされる。

 ずん、と。

 およそ余人には計り知れぬ、重い、とても重い鉄拳が篠宮に叩きつけられた。

 『サラリーマンの拳』。

 物理現象にまで干渉しうる意志が込められた東野の一撃は、紙よりも容易く篠宮のガードを弾き、その腹に深々とめり込んだ。同時に、東野の体内に蓄積されている位置エネルギーが、極めて効率よく篠宮の体内に衝撃波として伝播する。

 決着の一撃だった。
 
「見事……『ジャパニーズ・ビジネスマン』。どうすれば、そこまで強く……?」

「単純だよ篠宮君。信じる人、愛する人のために仕事をするんだ」

「……信じる人、か……だが、もう、僕には……」

「出来るだろう。裏切る事に呵責を感じる事が出来るのだから」

  篠宮は目を閉じた。人生に疲れた老人の表情は消え――本来の若々しい面立ちが蘇る。

「完敗です……どうか、彼女に……いや。自分で言うべきですね……」

 彼を上空に縛り付けていた念動力が失せてゆく。篠宮浩助は眼下の橋の残骸の中に緩やかに落下し――残骸の中に崩れ落ちた。

「またどこかで会おう、未来のビジネスマン」

 橋の対岸に下り立った東野の呟きは、誰にも聞かれることがなかった。


「東野サン――」

 脱いだコートを肩に担いで一服していると、ようやく追いついた亜紀が駆けよって来た。その姿を前にして、東野は、この男にしては珍しく表情の選択に戸惑った。

 彼女が篠宮と出会い、そして別れた原因は結局の所彼にある。非難されるのは仕方がないし、当然の事でもある。だが、それだけで彼女の問題が解決するはずもない。

 しょせん男と言うものは、幾歳になろうが失恋した女の子に気の利いた言葉をかけられる器用な生き物にはなれないのだ。

 東野のそんな様子を見て――亜紀は一つ鼻をかんで、すっきりと笑った。惚れ惚れとするいい笑みだった。亜紀は無遠慮にばんばんと東野を叩くと、

「帰りましょ、東野サン。アタシ達の仕事は、まだ終わってない」



  ※十二月二十日、日経新聞HPより。

  ――ゲンキョウの『カペラ』好調 携帯音楽プレーヤーのダークホース登場――

 今月初旬、クリスマス商戦用に投入された各社のHDD内蔵音楽プレーヤーの売り上げは、ゲンキョウの『カペラ』の一人勝ちの様相を呈している。

 発売当初こそ『JukeBox』に押され売れ行きが鈍かったものの、同製品の売りである、ユーザーの状態を検知して選曲するシステムが口コミを通じて広まり、翌週に火がつく事となった。

 発売にあたり、ゲンキョウ社は従来の倍の生産ラインと在庫を確保するという強気の戦略に出ていたが、売れ行きはこの予測をも上回る見込み。クリスマスを前に増産体制の再強化が計画されている。

(リンク:ゲンキョウの株価/ホームページ)

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