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まるで嘔吐のように

やりたいことと実生活の歯車が噛み合わないままWebでの発信も途絶え、もう7月が終わろうとしています。これは良くないなと感じつつも、かと言って何もできない状態なので、せめて最近考えていることについて書き残しておこうと思いました。

⬛︎主体は意識でなく無意識
ここ数年僕の抱えていた違和感の一つに、「意識」があります。意識って、、邪魔じゃないですか?
と言うのも、突き詰めると、活躍しているのは意識ではなく無意識だと思うからです。

それに関連して最近知ったのですが、とある実験によると、無意識が主体であることが証明されているようです。
人は「ボタンを押すぞ」と思うより先に、ボタンを押す動作を始めているんだそうです。これ、凄くないですか?
つまり、無意識にボタンを押す動作をした後に「ボタンを押すぞ」と改めて意識している、、、と言うことは、人にはそもそも自分の意思などないのかもしれません。あたかも意識があるかのように、後から錯覚させているのです。であれば、意識って何のためにあるんですかね?
敢えて意識を持ち、敢えて物事を偏らせて重み付けすることで、記憶しやすくしている、、、というなら、意識の役割は分かります。とは言えやはり、アウトプットしたい場合には意識は邪魔だなと思うのです。

意識は邪魔だと思うに至った経緯として、故・外山滋比古先生の影響があります。
僕はそれこそ10代の頃から悩んでいたのですが、「主張することこそがオリジナリティーのはずなのに、作者が主張している作品は大抵面白くない。じゃあどうすりゃいいの?」と頭を悩ませていました。そんな長年の疑問に対し、彼は著書「思考の整理学」でこう述べていました。

「俳句では、(中略)主観が積極的に作用しているのは、小さく個性的な作品を生み出す。真にすぐれた句を生むのは、俳人の主観がいわば、受動的に働いて、あらわれるさまざまな素材が、自然に結び合うのを許す場を提供するときである。一見して、没個性的に見えるであろうこういう作品においてこそ、大きな個性が生かされる、と考える。」

つまりシェフの主張とかど〜でもいいから、美味しい料理つくってよ、ということです。
そう言えばこの本をオススメするマンガを以前描いておりました。

「芸術とは脱個性化の過程に他ならない」。
芸術家は美しさの奴隷なのだから、「己の主張」と「美しさ」のどちらかを選ぶとなったときに、当然ながら己の主張など捨てざるを得ない、という事です。やはり、意識は邪魔だと思うのです。

⬛︎つまり、人は邪な悪魔
悪い気はしませんね。

⬛︎自由に仕事を選べるなら?
ときどきやるのですが、思考の制約を外すのが楽しいです。10億円持ってたら何をする?というやつ。この思考実験(?)は「10億円持ってることをリアルに感じることができるかどうか」にかかってまして、うまくやれば物凄い解放感を味わえます。そのために僕なりに発見したコツがあって、「解放感を感じやすい日」にやると良いです。例えば、連休の前とか。まさに今ですね。

で、いざ10億円持ってみると、世界が少し変わります。マンション買ったり小さなビル買ったりはある程度自由だし、大して意義を感じていない仕事はやらなくていいのだなーと思うと、いつも見ている景色や空気が違って感じます。あれ?こんなにも世界はみずみずしかったっけ?と。
で、じゃあお金はあるんだし、やりたいことだけに時間を使えるのだから、どんな仕事したい?って考えてみます。
僕は作家が性に合ってます。漫画家、アプリ作家。一人で黙々と熱中したい。けどそれを仕事にするとなると、自らやりたいと主張したところで、求めてくれる人がいないと成り立ちません。求めてくれる人に巡り会えるように、行動しなきゃなあと思います。

それってつまり、別に10億円なくてもチャレンジできることなのです。今すぐにやってしまえばいいのです。
そういう意味で、僕はここ1年ほど表立って活動できていないので、軌道修正するタイミングに来ていると思いました。(てわけで早速4コマのネーム描いて大笑い)

⬛︎家つくれんじゃね?
DIYで納屋の改装をしていて、床組みからやってみました。
これによって、家の床というものがどう作られているか、具体的にわかりました。
(束石、束柱、大引き、根太、床材)


「家は誰かに作ってもらうもの」という先入観があったので、家という建築物の構成を勝手にブラックボックス化していたんですよね。それが少しだけ紐解かれて、わくわくしています。このままいけば、家つくれんじゃね?

こういうブラックボックス化していること、多いです。街中や家にいて目に入る工業製品に対し、製造工程からありありとイメージしたことなんてほとんどありません。無意識にスルーしているものに疑問を持ったり紐解くことって、こんなにも刺激的なんですね。おのれの興味のままにあらゆることを調べたり楽しむような生き方をしたいものです。それは10億円が無くても可能、、でしょうか?

⬛︎結局お金は幾らいるの?
お金が全てではありませんが、生きるためにはある程度まとまったお金が必要です。老後資金は2000万円とか言いますが(それが妥当な額かは、はて不明なり)、子供に迷惑掛けないようにと考えると、やっぱりある程度は自分で貯めておかなきゃいけないなと思います。あとは子供の養育費も2000万円と考えると、家族3人で6000万円+生活費、くらい稼がねばならない計算になります。でも僕は一刻も早く会社員を辞めたい。困ったものです。

貯めるとなると、①コツコツと生涯かけてお金を積み立てて必要資金を貯めるか、②一気に稼いでしまうか、2つの道がありますが、会社員で前者をやり遂げるのはとても根気が要ります。かと言って、一気に稼ぐのも簡単ではない。つまり①も②もどっちも困難なのです。
そうなると、自分の性に合った方をやればいい、、なんて考えも浮かびますが、よくよく考えれば、そもそも比較することに意味はないのです。どっちもやってしまえばいい。制約はないのです。さーて何をしましょうか。

⬛︎スケボー
オリンピック、男子女子ともに日本人が金を取りましたね。凄すぎてかなり興奮しました。
つい自分で描いたスケボー漫画(?)を掘り返しました↓

ちなみに僕はスケボーが好きで、大学生のころに少しやってました。(ド下手)
またやりたいな〜と思いつつも、そんな時間も場所もないので、スケボーやった経験を活かしてマンガにしたいなと思ってます。
上記のキャラも気に入ってるので、彼らに任せてもいいのですが、他にもスケボーキャラがいましてね。まあそれは追々。。

⬛︎ここ半年は引くほどマンガ読んだ
懐かしいものから、気になったものまで、端から端までひたすら読んでました。やはり昔読んだものは発見がありますね。こういう表現が好きだったんだよなあ、とか、ああ自分の表現の源流はここだった、とか。そして初めて読むものからは、いちいち鮮烈な衝撃を受けますね。

特に、「頭おかしくなりそうなくらい面白い」やつとか、「わけわからないけど、面白いってことはわかる」やつとか、そういうものにとにかく興奮しました。そういった表現が僕の血肉になるまでには少し時間が要るのでしょうけど、、、いろんな作品の持つ、独特の匂いっていいですね。きっとそれこそが作風というものなのでしょう。そしてもう一つ気付いたのですが、他の世界を見ているようで結局は自分の世界を覗き込んでいるなあと感じました。いやあ、、漫画って面白いですね。

と、思いつくまま書きました。
まるでオートのように嘔吐のように。
おやすみなさい。

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