鬱だけど出来る事
他の方はどうか分かりませんが、私は相当重症の一歩手前に病院行ったおかげで、薬を飲んで「約束」があれば出かける事が出来ます。だから、会社は「約束」だから出勤してました。ふと気がつくと通勤電車の中、と、言うこともしばしば。今は仕事が出来ないから、「約束」がない。猫が天国へ旅立ち「介護」もない。当然外に出るのが怖くなる。
病院は、「約束」してるから行ける。
娯楽は、このご時世だから誰とも「約束」しないから、当然いけない。
そんな私が、ある「約束」をしました。ただ、今回は父の納骨以来4年ぶりの県を出る遠出。(隣の県。しかも通勤していたところを通過)
不安から、母に途中までの同行を頼むと、快諾してくれました。母と長く電車に乗る中、何度か薬の影響でふらつく私に、母もやはり感染が怖い(自分が私に移す)と、直帰して行き、いよいよ「行った事が何度もある」セミナー会場へ。
ここ数年の間に、駅の工事が進み、出口が変わり少し風景が変わって戸惑いましたが、無事に会場へ到着。自分の状態が良くないことはわかっていたので、先生に声をかけられるのが怖くて一番後ろで聴講。有意義な時間でもあり、私とはかけ離れた世界になったような時間でもありました。
ただ、YouTube も、オンライン聴講も出来ないので、対面(遠いけど)での聴講は出来る事が分かり、少し自信が持てました。
その中で、質問者と先生の冗談混じりの「地雷」発言が、私の心に深く傷を刻み、自分でも驚く落ち込みに襲われたのは予定外の出来事でしたが。
「約束」が、次に出来るか分かりませんが、また1から勉強するには再聴講が必要だなと思いました。
でも、これは勉強したことを仕事に生かすためじゃないのです。仕事というものの中で割とクリエイティブなVBAの世界に浸り、社会復帰の意欲を持ちたい、そんな気持ちからです。
「仕事」自体は何でも良い。いや、立ち仕事や指仕事じゃなければ。あれ?あるのか?そんな仕事。
まあ、良いお薬と身体の不調のバランスを保てば、少しの時間ならたち歩けるくらいにはいつかは、なるでしょう。
鬱だからこそ、「約束」が必要です。「約束」に縛られて悪化する事もありますが、先ずは「約束」があれば、鬱だって社会に出ることは可能です。
今までの私のように。
今の私は身体的な不調が、新たな「約束」をする勇気を阻みます。「歩ける」「転ばない」そんな小さなリハビリを、始めなくてはなりません。それに、「食べる」ことも。身体の不調は、鬱を悪化させます。自己肯定感が持てなくなるからです。
でも、少し体が良くなり、一人で通勤圏まで出かける事が出来れば。鬱だからこそ、やらねばならない事が、ある。でも、焦ってはならない、と自分に言い聞かせる日々がこれからも続くのです。
鬱という「心の風邪」に免疫がないのだから、自衛して落ち込まないで、次へ進む。出来ることは、きっとある。そうだよね?