不調と付き合う方法

私が、初めての病院で「異常なし。仮病じゃないの」と言われたのは2歳の時。

今思えば、精神的な負荷による腹痛(便秘だったし)で、病院には母と2人になったので落ち着いたんだろうな。

1歳でオムツの取れていた私は、検査の時には母と離されて1人で検便の為に知らないトイレに連れていかれて、まあ、ご想像通り出ませんよ(笑)

それで、持ち帰りで検便するものの、母の友達が来たので、1人で新聞紙持って長屋のトイレで頑張った思い出。

次に、社会人となり勤労学生にもなって3年目に、体温が上下する、身体に力が入らない。勉強に身が入らない。偏頭痛が頻繁に起こるようになり、病院へ。

色々検査して「1番近いのが肋間神経痛だけど、痛み方が通常と違うので、心因性かも」で放り出された。23歳だった。

心因性なら、当時は近所に臨床心理医何ぞいなかったので「精神科」か。だけど当時の私は、そこに通うことで家族からの理解を得られず孤独をますます抱えることの方が怖くて病院を断念。

民間療法で、目が覚めた夕方にぬるいお風呂に入る。

目覚めた時と、寝る前にビタミンCを摂るなどで2年ほどで回復。

それから、44歳の時に重度の鬱を発症。

会社の人間関係が原因だったけど、色んな経験が私を追い詰めて限界だったのだろう。

1週間、通勤時に2冊は読んでいた本が読めないし読んでも感情が動かなかった。

笑いたくない時にヒステリックに笑ってしまうのに、そこに感情は伴わない。突然、涙が流れる。これにも感情は波立たない。

まずは胃腸の調子が悪くなったので、アレルギーでお世話になっている内科の先生に胃薬をだしてもらったものの、1週間飲んでも効かず。

それで、内科の先生に「心療内科であまり薬を出さない先生を紹介して」と頼んだ。

既に自力で病院を探す事も、遠い病院へ通う気力もなかったので。

結果、「あと1週間我慢してたら、大変な事になってたよ」と言われたが、その後他者からの心無い言葉や態度に晒されて、2度ほど車に飛び込みそうになったことで、「大変な事」って死ぬ事かと遠くで他人事のように感じていた。

こちらの希望で、漢方薬や少ない薬を出してもらって、アレルギーでは喘息の吸引や抗ヒスタミン剤。坐骨神経痛では、鎮痛剤を飲んでいる。

幼稚園前に入院するほど曲がった膝の痛みや、ぎっくり腰からの坐骨神経痛、偏頭痛は、心療内科の薬と反対にすぐ飲んでしまう。

我慢して、良くなることもあるだろうけど、心身の不調は我慢して何とかなるものじゃない。

もう、10年か…と、思わないでもないけれど。

少しの薬で眠れて、便秘治って、神経痛も抑えられ、あとは本が読めたら幸せなのにな。

読めないので、ちょっと書いてみようかと思い立っての駄文でした。

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