見出し画像

日本共産党の綱領を読む

衆院選を控えて野党連合が話題になる中、その一員であると同時に、ある意味尖った政党である日本共産党の綱領に興味を持ったので、読んでみた。
なんとなく面白いところを挙げていく。
あらかじめお知らせするが、これは単なる個人の興味本位で行った解釈であり、感想であるので、どんな理念が正しいとかそういうことは置いておく。

綱領は以下のpdfを参照した。

https://www.jcp.or.jp/web_download/2020/02/2020-manifesto.pdf

千島列島も返還対象

日本の歴史的領土である千島列島と歯舞群島・色丹島 の返還をめざす。
4章[13]〔 国の独立・安全保障・外交の分野で 〕 4  第5項目

軽いジャブ。
千島列島まるごとだ。北方領土というくくりは使わないで、択捉、国後は千島列島に含まれているという書き方も尖っている。

なぜわざわざ書くのか

国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する。
4章[13]〔 憲法と民主主義の分野で 〕2

共産主義って、独裁なんでしょ?という批判を跳ね返すための文章。
綱領全体を読むと、ソ連を中心とした社会主義陣営のやり方を覇権主義、官僚主義、専制主義と糾弾し、こいつらが社会主義・共産主義の名を汚したんだ、という感じの論調である。

日本共産党は「共産党」という名前で損しているとよく指摘されているが、名前を変えることは考えていないらしい。
日本共産党としては、
「偽物の共産主義のあいつらが勝手に印象を汚したのに、どうして真の共産主義を目指しているこっちが名前を変える必要があるのか」というところなのだろう。

閑話休題。
これは、崩壊したソ連式の「専制的社会主義」ではなく、民主主義をきちんと維持しますよ、ということだろうが、エクスキューズに聞こえないでもない。

事実、中華人民共和国も朝鮮民主主義人民共和国も複数政党制を採用している。
独裁にしませんよと書いているからといって、本当に独裁にならないかと言えば、レトリックでなんとでもなってしまう。

以下も同じようなことが言える。

さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、 特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
5章[16]第7段落


私有財産権の保証?

社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・ 運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
5章[16]第2段落

共産主義ってみんな国のものになっちゃうんでしょ?という疑問に答える文章。
日本共産党の目指す社会主義・共産主義において、生活手段は私有財産として保証されるので、あなたの持っているものは盗られません!という内容。
これはtwitterでも見たことがある。

しかし、生産手段は社会化されるように変革される。もちろん、そこそこ大きな会社を経営していたら、その人の持っていた会社は私有財産ではなくなり、社会化されうる。

ここで、生産手段の「国有化」でないことにも注意したい。
ここも先程の過去の「偽りの社会主義」を意識した書き方で、過去の悪印象を拭おうという印象を受ける。あのコルホーズやソフホーズ、人民公社とは違うということだ。
しんぶん赤旗のサイトでも、国有化も思い浮かべると思うけど、協同組合とかほかの方法もあるよ、とある。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2021-01-18/2021011805_01_0.html

気になるところは、生産手段と生活手段の定義によっては、自分が生活手段と思っていても、政権は生産手段とカテゴリーするかもしれないというところだ。
小さな印刷工場をやっているとしよう。
印刷機は日々の生活費を稼ぐ生活手段だと思ったら、政権に生産手段として社会化されました、チクショー!なんてことはないのだろうか。

天皇と憲法


天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。
4章[13]〔 憲法と民主主義の分野で 〕11

あ、霞ヶ関文学だ!と感じた。
(官僚主義を廃しようとしている政党に向かって失礼かもしれないが……)
まず、天皇制度は憲法に書かれているので、天皇制度を変えたければ憲法を改正しなければならない。
ただ、日本共産党は現時点で憲法改正反対を全面に押し出しているから、直接的に改正と書いてしまうと「反動的党派」から批判を受ける標的になる。
「情勢が熟したときに、国民の総意によって解決」と、今ではない将来のある時点で、どうやってやるかは言わないけど、もにょもにょ、と濁している。
個人的にこういうレトリックは好きだ。

これも似た感じかな、と思う。

日本共産党は、国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭にたって推進する役割を果たさなければならない。日本共産党が、高い政治的、理論的な力量と、労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる。
4章[14]第2段落


これは穿ちすぎだろうか。
なぜ「主導」と言わず、「先頭に立って推進」というのだろう。
これは先程引用した、特定の政党を「指導」政党としてはならないとしている文章との関係からではないかと考えている。
「指導」「領導」「主導」「前衛」という言葉を使うと、「ほら、やっぱりプロレタリア独裁における党の指導性を目指してるんだ!」という謗りを受けかねないことを危惧しているのではと感じた。

レトリックを操るものは

この綱領は、あのときの「社会主義」とは違い、真の社会主義・共産主義を目指していることを社会に示すために考え抜かれた文章だと感じる。

しかし、そのような説明的な部分は、逆にそこが浮き出て見えて、ダークサイドに落ちない社会主義を実際にどうやって実現するのかという疑問がさらに強調される気がした。

また、ダークサイドに落ちるのは、レトリックの駆使によって起こる。霞ヶ関文学を書くのが上手ければ上手いほど、理念を輝かせ、保ちながら、それを実態として機能しないものにすることが可能なのだ。

追伸

「たいする」「たたかう」など、通常漢字とする部分が仮名書きされているのはなぜなのか。日本共産党にも「公文書作成要領」みたいなものがあるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?