見出し画像

不作

 人間が嫌いだ。特に女性、艶のある皮膚に滑らかな髪、張りのある胸の膨らみ等が彼の自尊心を嘲弄し、彼の欲情を見出した途端、貞淑づらのキザの醜女が彼を突き放す...

 三限の講義を飛んだ蔵男はよく、自転車を走らせ、ここ鴨川にて荘厳な思想と現実的自己実現への弱気な意志との諧和に黄昏れるのが習慣であった。友人の少ない彼は毎日、読書と喫茶店での戯れに没頭し、とうとう孤独を熟るわせるのであった。

 或る日曜の午後3時、千本北大路のバス停から京都市バス205号系統に乗車し、河原町にある行きつけの喫茶店を目指していた彼は、車中にて、一人の女性に釘付けであった。おそらく就職活動中であろうその女性は、黒のカバンを左腕に下げ、右手でスマホを眺めていた。黒の肉体とでも言えるような肉付きの良い体を締め付け包み込むスーツ姿は、蔵男の目に一目惚れという光を照らした。
声を掛けようか掛けまいか、そんな優柔不断な葛藤は非常に刹那なもので、そうこうするうちに彼女は府立医大前で下車し、あたかも彼への意識は微塵もないように颯爽と病院の敷地へと歩んでいった。
 蔵男の心境はというと、まるで相手にされなく、それ以前に彼女の眼中にも入ることが出来なかった哀しさと怒りに蒙昧し、「身なりだけが良い気障な醜女が。」と心の中で狼狽し、自己保全に一生懸命であった。
 揺れるバスの上下運動は、男女の「肉体の運動」を思わせるような侮辱さえをも与え、益々蔵男の精神を嘲笑った。
蔵男はそのとき、このような己から発せられた己に向かう攻撃を自認しつつ、かような思想を与える自己にさえ愛おしさを感じた。

 目的地である喫茶店「曲技飛行隊」に到着した彼は、いつもながらのマンデリンを注文し、三島由紀夫と対座する。もちろん三島は既に過去のヒトだ。
 読み進めるうちに呼吸が狭まり、三島に惹きつけられる彼の目頭は恍惚を帯び、漆黒の荘厳を与えられた野獣と化していた。
 気づかないうちに運ばれていた珈琲に目をやると、なんとも美しい焦茶色の水面に映る自己欺瞞の醜男が、ぶうたれた表情でこちらを眺めていた。恐らく「社会」はこの瞬間に現れるのであろう。いつか、アダム・スミスの言っていた、人間は社会の中に存在しているからこそ自己認識が可能なのだという言説も、全ては「自己」に完結してしまうのである。社会は自己であり、また、自身の外集団に他ならないのだ。

...



これ以上、今はあまり思いつかないので終わる事にする。
数週間後にまた続きを書けたらなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?