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遅刻をくり返したあとの世界 another side

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『遅刻をくり返した後の世界』は1990年代から2000年代にかけて 「猫キャット」が撮りだめたすでに無くなってしまった場所のガイドブック。 世界一身近なゴミの中で宝探しを続けてき…
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#ファッション

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑧

 1991年。UちゃんとK子と私は、拾った大量のビールコンテナと、木材、フェンスの網などで組んだ巨大やぐらの上で、真っ暗な11月の夜空を見あげていました。壁面は合板で塞ぎ、高い天井は、牛の皮膚ほど分厚い、透明なビニールで覆ってありましたが、吐く息は白く冷え込んでいます。けれどそのほったて小屋を埋め尽くすほどの衣類に一緒に埋もれた私たち3人は、強烈な幸福感に包まれて最後の一夜を過ごしていました。  長い夏休みを目前に控えたこの年の6月。Uちゃんと私は教室の頑丈な机に腰掛けて話

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑦

   私の家に妙なものが多かったのは、母のせいでした。  1964年5月。10月にさし迫った東京オリンピックに向けて、あちこちで改装工事が進められていた東京、銀座。当時26歳で、駆け出しの編集者だった私の父は、露頭に迷っていました。数年前にとある出版社に就職した彼は、ほんの数ヶ月前に兄の紹介で少しだけ条件の良い別の雑誌社へ転職したのです。ところがそこがすぐに潰れてしまった。この日、父は再び兄の知り合いの口利きで、最近創刊したばかりだという雑誌の編集者に会うために、銀座の古

横浜ドリームランド①

神奈川県横浜市戸塚区俣野町字沖原700番地 2002.2.17  薄っぺらい板に描かれた、Uちゃんが好きだと言っていた70年代ロックスターのような人物たちが、風雨にさらされ残骸になりかけています。その看板は、簡易的なビニールテントの屋根を目隠しするように、鉄骨のこちら側にだけ貼り付けてありました。テント内の壁面にもペラペラの板に描かれた、ギターを抱えた数名のミュージシャンと踊り子。真っ赤にペイントされたテント内の鉄骨に、磯場のフジツボのごとく密集した電球たちが、乗り物が動

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ③

 1990年。無事、美大に合格し、予備校生活を終えた私は、東京の郊外にある鷹の台キャンパスまで通うことになりました。60年代に建てられたコンクリートの大きな近代建築で、5駅しかない古いローカル線の駅から歩いて20分。畑の真ん中にあったので、予備校へ行くため毎日通った歌舞伎町や新宿3丁目とは同じ文化圏と思えないほど、のどかでした。  生徒たちの服装は、ツナギ、ジャージ、大きなパーカー、軍パン、チノパン、MA-1、ライダース、チェックのフランネルシャツと汚れたデニム、安全靴、ハ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ②

 新宿の雑居ビルにある美術予備校が、ライブハウスと似ていたのは、どちらにも同じような人たちが出入りしていたからでしょう。みんなして底の厚いドタ靴を履いているので、誰かがパネルを持って部屋から出たり、のり弁や練り消しゴムを買いに階段をのぼり降りするたびに大きな音がしていました。浪人生がいるおかげでどの階にも灰皿があり、やたらと蹴飛ばすからか、いつも吸い殻の匂いがしました。  擦り切れたジャンパーに大きな裂け目の入ったジーンズを履き、くわえタバコで絵を見つめる男、油絵の具とシミ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ①

 2001年9月のある日の午後、K子と私はお互いの家の中間地点にある二子玉川で待ち合わせをしました。当時は数ヶ月に一度は会っていたのです。  私たちはその5年前に美大を卒業しています。事故や病気、いわゆる破談、家族の介護に追われながら、やりたくもない仕事をしながら、21世紀の30歳になったばかりの私たち。  2001年9月のあの日、私たちは途方に暮れていました。  二子玉川はかつて「ふたこたまがわえん」という駅名で、日本で2番目か3番目に古い遊園地があり、亡き母からも「す

はじめまして、猫キャットです。

 私たちふたりは遅刻常習者です。1991年から活動しています。同じ美術大学の彫刻科とデザイン科を卒業しました。  私たちはいつも遅刻をするのですが、遅刻の理由はたいてい探しものをしているからです。寄り道やまわり道をしていると目に止まる、世の中から忘れられて消えてしまいそうな場所やもの。それに気がつくと、やはり時間に埋もれてしまいそうな服を着て写真を撮りたくなってしまう。それは私たちが、完全に世の中から忘れられ、置き去りにされる一歩手前の状態から立ち昇ってくる、高揚感と孤独感