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遅刻をくり返したあとの世界 another side

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『遅刻をくり返した後の世界』は1990年代から2000年代にかけて 「猫キャット」が撮りだめたすでに無くなってしまった場所のガイドブック。 世界一身近なゴミの中で宝探しを続けてき…
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赤白の鉄塔の中で受肉を願う人型たち

東京タワー東京都港区芝公園4丁目二番地八号 2000.7    東京タワーは赤と白の鉄骨で組まれた、日本一有名な電波塔でした。1959年から、その役目を東京スカイツリーに移行するまでの約60年間、情報をのせた電磁波がこの333メートルのアンテナから発信され続け、関東平野ほぼ全域のテレビがそれを受像していたのです。そういえば、ここのてっぺんから飛び降りたふたりの子供がおこす奇跡を描いたマンガ「わたしは真吾」のことを、私たちは大好きでした。 わたしは真吾  1999年の

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑥

わたしたち猫キャットには特に気に入っている映画がふたつあります。ジャック・リヴェットの「セリーヌとジュリーは舟でゆく」(1974 仏)と、ニコラス・ローグの「パフォーマンス」(1970 英)。この2作は「日常のすぐそばに背中合わせで潜んでいる、暗い影のような非日常」という点で共通していて、「セリーヌとジュリー」ではふたりの主人公が、ある屋敷の中で、自分たちの日常と全く違う時間がループしていることを知ってその異世界へ飛び込むし、「パフォーマンス」では、ギャングが身を隠すため

夕凪の甲板を疾走する影は、軍手で作った海賊の指人形を握りしめる

氷川丸神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先 2004年〜2006年  1970年代の終わる、小学校低学年の夏休み。昨年101歳で亡くなった祖母が私と3歳下の妹を、横浜の山下公園に停泊する氷川丸に連れて行ってくれました。でも、ほとんど記憶がありません。妹と祖母と3人で、広い甲板のベンチに座ってクレヨンでスケッチした、向かいに停泊する大きなフェリー「さんふらわあ号」の方が印象にあります。祖母が真剣に絵を描くのを初めて見た私は、思いがけずうまいことに驚くのですが、すると薬剤師だ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑤

 「ちびちび飲みながらヘッドフォンで聴くと、音がぐるぐる廻るから、すぐ酔っぱらっていいよ」と、廃墟で拾った白いコーヒーカップに、ストレートの芋焼酎を出してくれるUちゃん。言われたとおりにヘッドフォンをつけて、ジミ・ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」を聴くと、本当に音が頭の周りをグルグルとまわります。それから彼女は押し入れに隠してあるブラウン管をレーザーディスクプレーヤーにつなぎ、映画「ラストワルツ」や「パープルレイン」などを見せてくれました。気に入った作品は画質の良

存在しない貝柱と70年代のドッペルゲンガー

貝ベッドのラブホテル東京都墨田区錦糸町 2000.4.8  学生時代からよく行っていた町田駅前の高原書店という古本屋で、ある本のカバーの袖に掲載されていた古い映画のスチール写真が気になり、そのためだけに買ってしまったことがあります。ようやくその映画を見たけれど、退屈で居眠りしてしまった。目が覚めてから、自分はあのスチール写真が好きだったのだと気がつくのです。  そんな、やけに惹かれる存在しない映画のスチール写真を、自分たちで撮れたらいいのに。例えば架空のサスペンス映画の

宮城県、気仙沼沖のデイヴィッド・ハミルトン

昭和記念公園2007.5  貸し自転車で一周できてしまう島を、Uちゃん、K子、私の三人は、全身を蚊に刺されながら走り抜けていました。1991年の夏休み、Uちゃんの祖父母の住む宮城県気仙沼沖の大島へ遊びにきているのです。無人島へ行ったり密漁のウニをご馳走になった素晴らしい旅行。けれど私は翌日、ボーイフレンドとの約束で二人より一日早く東京へ帰らなくてはならず、一人でフェリーに乗るのをつまらなく感じていました。  今でも腹立たしく後悔するのは、約束の相手のことを、もうたいして好

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます④

 冬休み明けのがらんとした放課後。樹々がモノクロの線画のようです。ピラミッド屋根の「鷹の台ホール」、奥のサークルボックスからはときおり鈍い管楽器の音が響いてきます。1991年が明けたばかりの、東京のはずれにある美術大学。Uちゃんと私はぬるいタンメンを食べ終えたところで、彼女のレンガ色のムートンジャケットとデニムのパンタロンが冬空に映えてよく似合っていました。  前日の夜アメリカがイラクを空爆し、戦争が始まったのです。Uちゃんは「ミサイル撃つときのコンピューター映像見た?」と

横浜ドリームランド②

神奈川県横浜市戸塚区俣野町字沖原700番地 2002.2.17  私たち猫キャットは、どこか無自覚に狂気のようなものを漂わせている夢の国に到着し、長蛇の列にうんざりしながら小雨の降りしきる園内を徘徊していました。横浜ドリームランド最終日。パレードの音や子供たちの叫び声が絶え間なしに聞こえてきます。  ひと気のない場所を二人で渡り歩くようにして、その最期の姿をカメラに収めていったのでした。 トップスピン 巨大なうす紫いろの重機のような乗物に ラズベリー色のライトが幻想

横浜ドリームランド①

神奈川県横浜市戸塚区俣野町字沖原700番地 2002.2.17  薄っぺらい板に描かれた、Uちゃんが好きだと言っていた70年代ロックスターのような人物たちが、風雨にさらされ残骸になりかけています。その看板は、簡易的なビニールテントの屋根を目隠しするように、鉄骨のこちら側にだけ貼り付けてありました。テント内の壁面にもペラペラの板に描かれた、ギターを抱えた数名のミュージシャンと踊り子。真っ赤にペイントされたテント内の鉄骨に、磯場のフジツボのごとく密集した電球たちが、乗り物が動

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ③

 1990年。無事、美大に合格し、予備校生活を終えた私は、東京の郊外にある鷹の台キャンパスまで通うことになりました。60年代に建てられたコンクリートの大きな近代建築で、5駅しかない古いローカル線の駅から歩いて20分。畑の真ん中にあったので、予備校へ行くため毎日通った歌舞伎町や新宿3丁目とは同じ文化圏と思えないほど、のどかでした。  生徒たちの服装は、ツナギ、ジャージ、大きなパーカー、軍パン、チノパン、MA-1、ライダース、チェックのフランネルシャツと汚れたデニム、安全靴、ハ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ②

 新宿の雑居ビルにある美術予備校が、ライブハウスと似ていたのは、どちらにも同じような人たちが出入りしていたからでしょう。みんなして底の厚いドタ靴を履いているので、誰かがパネルを持って部屋から出たり、のり弁や練り消しゴムを買いに階段をのぼり降りするたびに大きな音がしていました。浪人生がいるおかげでどの階にも灰皿があり、やたらと蹴飛ばすからか、いつも吸い殻の匂いがしました。  擦り切れたジャンパーに大きな裂け目の入ったジーンズを履き、くわえタバコで絵を見つめる男、油絵の具とシミ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ①

 2001年9月のある日の午後、K子と私はお互いの家の中間地点にある二子玉川で待ち合わせをしました。当時は数ヶ月に一度は会っていたのです。  私たちはその5年前に美大を卒業しています。事故や病気、いわゆる破談、家族の介護に追われながら、やりたくもない仕事をしながら、21世紀の30歳になったばかりの私たち。  2001年9月のあの日、私たちは途方に暮れていました。  二子玉川はかつて「ふたこたまがわえん」という駅名で、日本で2番目か3番目に古い遊園地があり、亡き母からも「す

はじめまして、猫キャットです。

 私たちふたりは遅刻常習者です。1991年から活動しています。同じ美術大学の彫刻科とデザイン科を卒業しました。  私たちはいつも遅刻をするのですが、遅刻の理由はたいてい探しものをしているからです。寄り道やまわり道をしていると目に止まる、世の中から忘れられて消えてしまいそうな場所やもの。それに気がつくと、やはり時間に埋もれてしまいそうな服を着て写真を撮りたくなってしまう。それは私たちが、完全に世の中から忘れられ、置き去りにされる一歩手前の状態から立ち昇ってくる、高揚感と孤独感