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遅刻をくり返したあとの世界 another side

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『遅刻をくり返した後の世界』は1990年代から2000年代にかけて 「猫キャット」が撮りだめたすでに無くなってしまった場所のガイドブック。 世界一身近なゴミの中で宝探しを続けてき…
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#日記

心のもやに建てられる、特殊建造物群

江ノ島 神奈川県藤沢市江ノ島 2000.9.20-21  心象風景とは、経験や感情、感覚によって作られた想像上の風景のこと。  英語に直訳すると、サイコロジカル・ランドスケープ(Psychological landscape)ですが、実際には「mental image」などと言われているそう。  よく夢に、建物と乗り物が出てきます。  子供の頃には、「いつもの電車に乗ったのに、見知らぬ駅に着いてしまう」という夢をよく見ました。原因はたぶん電車通学で、小学一年の時か

肥大化した古着アーマーがアニエスベーという毒針で粉々に砕け散った日

 2000年11月。21世紀を迎えたその年、29歳になったばかりの私とK子は、当時私が住んでいた三軒茶屋のひび割れた暗いマンションの一室で、自分たちにしかわからない試行錯誤をしていました。100円ショップで見つけたいびつなパーティグッズ、用途のわからない雑貨、渋谷地下街の婦人服屋の店頭ワゴンでK子が掘り当てたくちびる模様のラメシャツなどを持ち寄って、試し撮りしながらゴソゴソと話し合っていたのです。  この頃の私は、これからどうしたらいいのかわからないけれど、死ぬよりはマシ、

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑦

   私の家に妙なものが多かったのは、母のせいでした。  1964年5月。10月にさし迫った東京オリンピックに向けて、あちこちで改装工事が進められていた東京、銀座。当時26歳で、駆け出しの編集者だった私の父は、露頭に迷っていました。数年前にとある出版社に就職した彼は、ほんの数ヶ月前に兄の紹介で少しだけ条件の良い別の雑誌社へ転職したのです。ところがそこがすぐに潰れてしまった。この日、父は再び兄の知り合いの口利きで、最近創刊したばかりだという雑誌の編集者に会うために、銀座の古

夕凪の甲板を疾走する影は、軍手で作った海賊の指人形を握りしめる

氷川丸神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先 2004年〜2006年  1970年代の終わる、小学校低学年の夏休み。昨年101歳で亡くなった祖母が私と3歳下の妹を、横浜の山下公園に停泊する氷川丸に連れて行ってくれました。でも、ほとんど記憶がありません。妹と祖母と3人で、広い甲板のベンチに座ってクレヨンでスケッチした、向かいに停泊する大きなフェリー「さんふらわあ号」の方が印象にあります。祖母が真剣に絵を描くのを初めて見た私は、思いがけずうまいことに驚くのですが、すると薬剤師だ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑤

 「ちびちび飲みながらヘッドフォンで聴くと、音がぐるぐる廻るから、すぐ酔っぱらっていいよ」と、廃墟で拾った白いコーヒーカップに、ストレートの芋焼酎を出してくれるUちゃん。言われたとおりにヘッドフォンをつけて、ジミ・ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」を聴くと、本当に音が頭の周りをグルグルとまわります。それから彼女は押し入れに隠してあるブラウン管をレーザーディスクプレーヤーにつなぎ、映画「ラストワルツ」や「パープルレイン」などを見せてくれました。気に入った作品は画質の良

存在しない貝柱と70年代のドッペルゲンガー

貝ベッドのラブホテル東京都墨田区錦糸町 2000.4.8  学生時代からよく行っていた町田駅前の高原書店という古本屋で、ある本のカバーの袖に掲載されていた古い映画のスチール写真が気になり、そのためだけに買ってしまったことがあります。ようやくその映画を見たけれど、退屈で居眠りしてしまった。目が覚めてから、自分はあのスチール写真が好きだったのだと気がつくのです。  そんな、やけに惹かれる存在しない映画のスチール写真を、自分たちで撮れたらいいのに。例えば架空のサスペンス映画の

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます④

 冬休み明けのがらんとした放課後。樹々がモノクロの線画のようです。ピラミッド屋根の「鷹の台ホール」、奥のサークルボックスからはときおり鈍い管楽器の音が響いてきます。1991年が明けたばかりの、東京のはずれにある美術大学。Uちゃんと私はぬるいタンメンを食べ終えたところで、彼女のレンガ色のムートンジャケットとデニムのパンタロンが冬空に映えてよく似合っていました。  前日の夜アメリカがイラクを空爆し、戦争が始まったのです。Uちゃんは「ミサイル撃つときのコンピューター映像見た?」と

横浜ドリームランド②

神奈川県横浜市戸塚区俣野町字沖原700番地 2002.2.17  私たち猫キャットは、どこか無自覚に狂気のようなものを漂わせている夢の国に到着し、長蛇の列にうんざりしながら小雨の降りしきる園内を徘徊していました。横浜ドリームランド最終日。パレードの音や子供たちの叫び声が絶え間なしに聞こえてきます。  ひと気のない場所を二人で渡り歩くようにして、その最期の姿をカメラに収めていったのでした。 トップスピン 巨大なうす紫いろの重機のような乗物に ラズベリー色のライトが幻想

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ③

 1990年。無事、美大に合格し、予備校生活を終えた私は、東京の郊外にある鷹の台キャンパスまで通うことになりました。60年代に建てられたコンクリートの大きな近代建築で、5駅しかない古いローカル線の駅から歩いて20分。畑の真ん中にあったので、予備校へ行くため毎日通った歌舞伎町や新宿3丁目とは同じ文化圏と思えないほど、のどかでした。  生徒たちの服装は、ツナギ、ジャージ、大きなパーカー、軍パン、チノパン、MA-1、ライダース、チェックのフランネルシャツと汚れたデニム、安全靴、ハ

ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます ②

 新宿の雑居ビルにある美術予備校が、ライブハウスと似ていたのは、どちらにも同じような人たちが出入りしていたからでしょう。みんなして底の厚いドタ靴を履いているので、誰かがパネルを持って部屋から出たり、のり弁や練り消しゴムを買いに階段をのぼり降りするたびに大きな音がしていました。浪人生がいるおかげでどの階にも灰皿があり、やたらと蹴飛ばすからか、いつも吸い殻の匂いがしました。  擦り切れたジャンパーに大きな裂け目の入ったジーンズを履き、くわえタバコで絵を見つめる男、油絵の具とシミ