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【本】自由人・平賀源内『江戸の科学者 - 西洋に挑んだ異才列伝』(新戸雅章/平凡社新書)

こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。

今日は、『江戸の科学者 - 西洋に挑んだ異才列伝』に描かれている、江戸の科学者11人の中から、平賀源内の章を読んだ感想です。

平賀源内(1728-1779)というと、エレキテル、土用のウナギの日の考案者、などのイメージがありました。エレキテルで痺れて楽しそうにしているお調子者のマッドサイエンティスト…と思っていたら、大間違いだったようです。

この本の平賀源内を読んで、とってもスケールの大きい人だったことがわかりました。彼が重視したのは、なんと国益。

例えば、高級な陶磁器や薬品や羊毛品を輸入するということは、国内の富の流出につながります。だから、国産品を作る事業を興して、輸出しようと考えます。

ちょうど今月は、NHK教育の「100分で名著」で、資本主義ならぬ合本主義を提唱した渋沢栄一の生きざまを解説しているのを観ているので、平賀源内と渋沢栄一がもしも同じ時代に出会っていたら、どんなだったろうなと空想します。

平賀源内の事業の失敗の原因は資金不足のようです。もしも渋沢が資金を調達できて、平賀源内の事業が上手くいっていたら、日本はもっと起業家が沢山生まれて、それぞれが国益をもたらすのがごく普通であるような国になっていたのかもしれないですね。

平賀源内の時代は、時代は徳川八代将軍吉宗(在職:1716年 - 1745年)の頃、鎖国の禁がゆるめられ、キリスト教関係以外の蘭書の輸入が許可された時代でした。そんな時期に、下級武士の家に生まれた源内は、本草学を学び、長崎へ遊学します。

その後、江戸に上ってさらに本草学を極めます。
とくに薬物の交換会「薬品会」を開催して、運営裏方もこなし、その明晰さで多くの人脈を得ます。たぶん、ここで得た人脈が、源内の一生の宝になったに違いありません。
その一人は、ターヘルアナトミア=解体新書を訳した杉田玄白です。

この本を読んで知ったのですが、解体新書の挿絵を描いたのは、源内が鉱山開発の仕事で秋田藩へ行ったとき、西洋画の技法を授けてやった秋田藩士小田野直武だったのです。もう当時の翻訳活動は、ごく一部の人々の間でぐるぐる回していたのでしょうね。

エレキテルという静電気を発して、みんなで手をつないでビリビリする装置は、オランダ人が残していった故障品だったようです。でもそれを直して使えるようにしちゃうってところはやっぱりすごい!

もしも源内が今の時代に生まれていたら、ワクチン製造機とか発明しているかも…? なんてことまで考えたりしました。

■本日の一冊:『江戸の科学者 - 西洋に挑んだ異才列伝』(新戸雅章/平凡社新書)


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