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【映画】モリエールの『病は気から』@Bunkamuraル・シネマ

こんにちは、猫の泉読書会・主宰のみわみわです。

以前、モリエール読書会を連続開催したので、演劇映画の方にも興味があって、昨日、渋谷のBunkamura ル・シネマで『病は気から』を観てきました。

このモリエールの映画は、たったの四日間の上映で、《モリエールの家》とも言われるコメディ・フランセーズのレパートリーだそうだから、絶対観たいと思ってたのです。

あらすじは、健康なのに病気だと信じ込み藪医者に金を巻き上げられているオヤジが、節約のために娘を医者と結婚させて金を節約しようともくろむ話です。
顔合わせでやってきたのは高名な医者である父親の顔色をうかがって委縮して育った、なんとなくおかしなところのある男性。相思相愛ならこういう男性でも構わないだろうけれど、娘には別の想い人がいます。箱入りでも出会いはあるのです。オヤジは自分のためなら娘も賛成すると思い込んで、結婚式を強行しようとします。
さらに、オヤジには美人の後妻さんがいて傍目にはラブラブ。だけど陰ではオヤジに娘を修道院へやってしまえと吹き込む遺産狙いの腹黒さんです。それを見抜けぬオヤジは、遺言書の段どりも着々と進めています。
家の女中さんは、しっかりもので娘の味方です。オヤジと後妻さんに調子をあわせつつ、娘の恋愛を実らせるチャンスをうかがっています。そんな折、オヤジの弟、娘にとっては叔父さんがやってきて取りなそうとするのですが…。


患者を取り囲む話だから、舞台上で自然にマスクをしたり手を消毒したりします。
上演日は2020年11月5日。2020年2月末には、ニュースでイタリアが大変なことになりはじめたことが報道されていました。その11月に、演者どうした距離をとれる演出で、マスク姿に違和感のない病人の出てくる演目を選んだあたり、勇気も知恵も絞っての上演だったのだと感心しました。
ときどき聞こえる数名でのコーラスが凄く綺麗で素敵でした。

モリエールは医者を揶揄する話が多いのですが、この時代の医者には藪医者が多かったらしい。
いや本当ならば「藪医者」とは正しく治療できる医者がいる場合の言葉です。この時代の医者は浣腸と瀉血といった古い治療方法を繰り返していただけです。
劇中の台詞によると、当時は血液の循環を否定している医者が標準的だったようです。モリエールは医学が進歩しつつあることも知っていて、科学の進歩とともに新しい解釈が出てきているのに、それ否定する医者たちを批判していたのです。

あとの方で藪医者が登場しますが、治療を断られると怒って、怖い顔で4日もたずにあなたは死にますって断言する様子がインパクトあって。ふと、変な宗教に引っかかった家の悲惨をコメディにしているようにも思えました。

もともと、医者への支払いが高いから娘と結婚させて医者を身内にすれば金がかかるまいというオヤジのもくろみからこの物語ははじまっている。

もしも医者に嫁がせるような娘がいない家だったらどうなるだろう?
財産を食いつぶしてゆくのだろうか? 息子がいる家だったらその財産が食いつぶされるのを知ってどうするだろう?
この話ではオヤジに息子はいないけど、実の弟がいる。
この弟が知恵を出すのだけれどラストで「夢をみさせてやろうじゃないか」と言った解決策は、喜劇としては面白いけれど、リアルだったらどうなんだろう?

そもそも、遺産狙いの後妻さんと、藪医者にたかられているというのは、このオヤジに弱さがあるんだよね。程度の差こそあれそういう人をよく見かけるからピンとくる方が多いと思う。
このオヤジの病は「かまってちゃん」病です。お金持ちだから普通以上にかまってもらえて、こうなっちゃったんだよね。

ところで、この弟が仮面かぶって表れて、まだらな化粧をしていて、すっきりした衣装なのに、あちこちから白と赤のリボンが何本もひらひらしているのは、どういうことなんだろう? 
他の人たちは当時の世俗的なすっきりした衣装なのに。何かを意味しているのかな? 分かる人教えてね。

スクリーン越しでこんなにおもしろいのだからリアルで観劇したらもっと楽しいのだろうと思います。

さて、モリエールは1622年1月15日生まれ。今年が生誕400年ですって。
1622年は江戸幕府で二代将軍徳川秀忠の頃ぐらい。
劇作家のイギリスのシェイクスピアが亡くなったのは1616年。そうかモリエールはシェイクスピアより後なんだ。

今日は「スカパンの悪だくみ」をBunkamuraル・シネマへ観に行く予定。わくわくです。


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