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【本】『神聖喜劇 第六巻』 (大西巨人/のぞゑのぶひさ/岩田和博/幻冬舎)

こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。

今日は六巻をご紹介します。もうね、五巻六巻は、自分の読解の遅さをもどかしく感じながら、ぐいぐい読み進めました。

この漫画は、太平洋戦争中の1942年に、新兵教育を受けるために対馬要塞に召集された二等兵たちの兵隊生活を描いています。主人公の東堂は、インテリで、驚異の記憶力を武器にして、軍隊の規則を諳んじていて、理不尽な上官たちと論理で殴り合いをしています。

1942年の時点では、新兵として彼のように大学を出ている者はごく僅かだったようです。少数派の大学出の新兵たちは、上官たちにおべっかを使いますが、東堂はそこには加わりません。なにかストイックな公明正大というような精神で分け隔てなく仲間に接してゆく東堂は、不器用な人と思われながらも、同期に信頼され、とても頼りにされるようになります。

六巻では、濡れ衣を着せられていた冬木のために、東堂だけではなく東堂と気の合う新兵たちが団結して策を練ります。上官の一人も東堂に協力します。東堂が冴えているのは、他人を論理で言い負かしても、伝わりはしないことがわかっていて、それもあって「真犯人を見つけ出して突き出す」のではなくて最低限に「冬木に罪は無い」ことを目標に行動したことです。

どうやらわたしは白黒がはっきりするとスッキリする傾向があるので、犯人を突き止めない…というか、実はある程度検討はついているのだけれど、深追いをしない、といった態度を、最初は疑問に感じました。やがて、東堂が、はじまりは冬木が「きめつけ」で濡れ衣を着せられたことを解決したかったのだから、同じように「きめつけ」で犯人を決めてはいけないのだ、という主張に感心しました。こんな風に考える人が増えれば、いまの社会も、もうすこし心地よい場所になりそうです。

六巻では、衝撃のラストに向かって、事件が次々と起きます。その一つ、東堂が三日間重営倉入りすることになった事件がありました。ネタバレ回避で詳しく書きませんが、「組織を守る者」と「現場の生存環境を守る者」の対立でした。「この組織は何のためにあるのか」ってことを分かっていないと、こういう対立のときに、次にどうしたらいいのか分からなってしまうでしょう。例えばこの物語の中でも、日本がどこと戦争をしているか、全くわかっていない新兵がいました。わたしも自分のこれまでを思い返すと、この新兵を笑う事はできないです。

ずっと気になっていた東堂のニヒリズムについて書いてある箇所があったので、メモしておきます。

――私は、この戦争に死すべきである。もし私が、ある時間にみずから信じたごとく、人生において何事か卓越して意義のある仕事を為すべき人間であるならば、いかに戦火の洗礼を浴びようとも必ずしなないであろう。もし私がそのような人間でないならば、戦野にいのちを落とす事は大いにあり得るであろう。そして後者のような私の生を継続する事は、私自身にとって全然無意味なのであるから、いずれにせよ戦場を、死を恐れる必要は私にはない。

・「意義のある仕事を為すべき人間」は生き延びるものだ。
・自分がそれなら、生き延びることができる。
・自分がそうでないなら、自分の生存は無意味なので、死を恐れる必要はない。

最初の「決めつけ」が私には、生き延びることができたがゆえの傲慢にも感じますが、結果的にそう考えることで、彼は生き延びえたのでしょう。そして、この「決めつけ」からこぼれた人を考えると胸が痛いです。もちろん東堂もあとになって、気がついたはずです。

さて、この漫画は、手書きでの線の書き込みが物語の陰影に良く似合っていて、絵として眺めていてもいい感じです。わたしは大前田軍曹はやっぱり苦手だけど、その大前田軍曹の顔のアップの絵を観ていても、巧みに描かれているなぁって感心して見入ってしまいます。
キンドルは便利ではありますが、やっぱりこういう漫画は、紙で、文庫本よりは大きめの単行本で読みたくなります…。

■本日の一冊『神聖喜劇 第六巻』 (大西巨人/のぞゑのぶひさ/岩田和博/幻冬舎)
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