衝撃の再開! 【連載】実録!『PRIDE』の怪人・百瀬博教(第7回)
かつて『PRIDE』のリングサイドには、いつも野球帽を被りサングラスをかけた、通称・「『PRIDE』の怪人」と呼ばれた男が座っていた。作家であり、NPO法人 日本スノードーム協会初代事務局長であり、のちに終身名誉会長となる百瀬博教氏である。
果たして、一時期の『PRIDE』においてその存在感はひときわ際立っており、百瀬氏なくして格闘技界を語れないほどの人物だった。
なぜ百瀬氏は『PRIDE』と関わるようになったのか。その謎に迫る、大反響の連載第7回――。
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《【連載】実録! 『PRIDE』の怪人・百瀬博教の記事一覧》
高校の後輩・川村龍夫
年が明け、新世紀、つまり21世紀は早くも2年目を迎えた。
2002年である。この年は、8月8日に『LEGEND』が東京ドームで、同28日に『Dynamite!』が国立競技場で開催される。
『LEGEND』は、小川直也が所属するUFOの川村龍夫社長が主催者であり、『Dynamite!』は百瀬氏がプロデューサーとして主に猪木周りの交渉を行なっていた。そこで、ここからは少し両者の関係性について話を進めてみたい。
これはすでに触れたが、百瀬氏と川村社長は、総武線八幡駅から歩いて30分の場所にある市川学園に通っていた。学園には中学校と高等学校があり、百瀬氏は川村社長の一年先輩だったのだ。
「川村の顔は中学生の時から知っていたけど、口を利いたのは俺の家の近くに住んでた佐藤がバスケットボール部で活躍していて、その部のマネージャーが川村だったからだよ。高校二年生の時の川村の写真が俺のアルバムに一枚だけあるけど、将来は東映のチャンバラスターに、と思っていた少年らしく、細くて美男子だったね」
1958(昭和33)年4月5日、長嶋茂雄が読売巨人軍へ入団し、4打席4三振でデビューを果たした年、百瀬氏は立教大学文学部へ入学した。
「二年生の時、市川高校を全国的に有名にしたバスケット部の岡山が大学の後輩としてやってきた。彼が東京オリンピックの強化選手として練習していた頃、俺は『ニュー・ラテン・クォーター』の用心棒として、のらりくらりと毎日を送ってたね」
この頃、彫刻のヌードモデルをしていると噂されていた大学の後輩から、百瀬氏に声がかかった。
「百瀬さん、バスケットボールの試合を観に行きませんか?」
それはその当時、入手が困難だった東京オリンピックの試合のことだった。どうやって手に入れたのかはわからないが、その女性はチケット二枚を手にしながらそう言った。
ここで話は半年前に遡る。
(⬆︎“バカサバイバー”青木真也著『空気を読んではいけない』を出版した幻冬舎・見城徹社長が、『プライドの怪人』を出版していた頃の百瀬博教氏と一緒に写ったもの。
ちなみに当サイトでは、【連載】青木真也は本当に空気を読んでいないのか?を掲載中。『空気を読んではいけない』担当編集者・幻冬舎の箕輪厚介氏他が激白!
以下、その内容を一部紹介
▪︎「プロダクションてなんだ?」
▪︎プロレス大好き人間
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