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2020年2月にあった色々

夫が作ってくれたちゃんぽんを食べながらこれを書いている。昨日まで神奈川にいた。いつもなら寝ている時間に結構疲れて帰宅した。本当は今日は、明倫ワークショップを開催する予定だった。コロナで延期に。

ならばもう、2月29日だし、4年に1回しかない日だし、関係ないけど、何も期待するまいと思って1日をスタートさせた。どうせ0点だろうと思ってるので、少しでも何かすると「えらいなおまえ」と自分を褒めることができる。せっかくなので2月中に2月に起きたことを書いておこうと思う。えらいな私・・・早速・・・・

まずは高槻シニア劇団恍惚一座の最終公演があった。8年前、高槻現代劇場で産声をあげたこのシニア劇団、8年を通して講師を務めさせてもらった。演劇ってなんのためにするんだろう?そういうことをずっと考えている身としては、この恍惚一座での8年は、良くも悪くも「おうちのお風呂」だった。外で色々とあっても、恍惚一座の稽古に戻るとほっとする。なんせ穏やか優しいメンバーたちがそこにいる。安心しないわけがない。一方で、演劇とは何かという問いが放置される場でもある。

演劇とは・・・もとい、俳優とは。

俳優とは、演出家のいうことをそのままやるだけの存在であってはならない。なるべく自分の頭で考え、演出家と協力しあって主体的に世界を立ちあげていく存在でなくてはならない。と言うか、そうでないと世界は立ち上がらない、と私は感じていて、そうなると、俳優にとっては、講師が演出家という状況からはなるべく早く逃れたほうがいい、ということになる。講師だと「習う相手」ということにどうしてもなっていくので、たとえ私が「先生とは呼ばないでください」といくらお伝えしても、結局、正解を私に求めることになってしまう。また、メンバー同士で何か問題が起きた時、意見の行き違いが起きた時に、私にジャッジを求めることになってしまう。トラブルが起きても一人「絶対」の人がいれば、一見争いはなく穏やかに集団生活を送ることができる。でもその実、深いところで、俳優たちが思考を停止することからは逃れられなくなる。そして思考を停止した俳優は、もはや世界を立ち上げる片腕にはなりえない。

そういったことをぐるぐると考え続けていた中で、今回の解散が決まった。はっきり言って、こんなのはただの詭弁かもしれない。講師を中心に据え一致団結して良いお芝居を作るということは、可能で、もっとシンプルなことなのかもしれない。そういう意見を否定したいとは思わない。ただ、迷いに迷い、何度も続けることを提案したことも事実だけど、その一方で、解散を受け入れるタイミングが訪れているのかもしれないな、とも思った。

とにもかくにも恍惚一座は素敵なメンバーばかりで、何より私はこの劇団で制作をしている夫と出会い、結婚し、子を産んだのだ。恍惚一座がなければ私たち家族は存在しえなかった。本当に、たくさんの愛と気づきをいただきました。メンバーの皆さん、主催してくださっていたNPO劇研の皆さん、本当にありがとうございました。恍惚一座のお芝居を、お腹にいる娘に見せられないことが無念。

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そして次にやってきたのが「全国学生演劇祭」である。審査員経験自体があまりない私にとって、このご依頼はまぁまぁ青天の霹靂だった。私に務まりますか?と最初は思ったけれど、全国の20代前後の皆さんが作ったお芝居の選り抜きが、一箇所に集まり、それを全部見せていただけることなんてそうそうないなと思ったのでお引き受けした。去年の夏に妊娠がわかった時に、あー妊婦として学生演劇を見るのね、と若干不安に思ったのを覚えているが、無事、名古屋での3日間を終えることができた。

全部で8作品が審査の対象となっていた。そのどれもが全力だった。それだけで私はもう、満たされていた。でもそれで満たされたらわざわざ名古屋に来た意味がない、ということで、作品を一つずつ見ながら、それについて感じたこと、考えたことを言語化し、最後の講評でそれをみなさんにお伝えした。特に私が面白かったのは、台本を読み、劇を見て、それについて自分の考えを言語化するそのプロセスを8回も踏めたこと。そして、それを、様々な価値観を持つ審査員の皆さんと、シェアし、議論し合えた審査会だ。本当に有意義な時間だった。やっぱりね、何よりね、妊娠後期にこういう動きってなかなかできない。決まってないとできない。でも妊娠後期って比較的体調も精神も落ち着いているので、実は色々できるはずの期間でもある。タイミングが良かったとしか言えない。ラッキーだった。ラッキーと言えば、エキシビジョン枠を見れたことは、私にとって本当にラッキーな経験だった。どれもこれもふつーにめちゃくちゃ面白くて、日本の演劇の未来が明るく思えました。

本当に、演劇祭を支えてくださったスタッフの方々、本当にありがとうございました。演劇祭に参加した学生の皆さんも、本当に本当に、お疲れ様でした。

その演劇祭の合間に、サファリ・Pと京都芸術センターで共同主催した「コソヴォ報告会」があった。2019年6月に、サファリ・Pでは初の海外公演を果たしたのだが、その時の体験を、改めて専門家をお呼びし、また現地で活躍する指揮者、国連開発機構の方、フェスティバルのマネージャーからのメッセージとともにお客さんと共有した。主に進めてくれたのはメンバーの高杉さんなので、私はピンポイントで準備に参加したのだが、開催して本当に良かった。今年、来年も引き続き、コソヴォとの交流を深めようと思っている。でも色々スムーズに事が進まないので、若干心が折れそうになっていた。ところがこの報告会を経て、なぜ私たちが今、コソヴォとコラボするのか、その意味を、自分たちの中に見つける事ができたのだ。こういうのはやってみないと本当にわからないんだなと思った。報告会、本当にやってよかった。ウィルスの脅威に世間が怯える中、ご来場いただいた皆様、京都芸術センターの皆様、ありがとうございました。

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さて最後に、オペラの試演会である。これは、2018年から2年かけて続いている文化庁の事業で、日本の新しいオペラを作るために、若い脚本家、作曲家を募り、意見交換をしながら創作をするというものだ。3年目、最後にオペラ作品として上演する1作を決める試演会が神奈川の昭和音楽大学ユリホールにて行われた。私は茂木宏文さんという若い作曲家と組んで、この1年半ほど、創作を進めてきた。当初はとにかく、真っ暗な道を手探りで進んできたような気がするけど、2年経って私たちのチームを含む4チームがそれぞれ、とても魅力的な作品を作り出していて、試演会ではそれを聴いてとても幸せな時間を過ごすことができた。お腹の娘も、緊張すると動かなくなるくせに、私の緊張よりも音楽が心地よかったみたいで、上演中、盛んに足を動かしていた。結局、3年目に上演する作品は「咲く」(作;宇吹萌、作曲:竹内宏樹)が選ばれた。来年度の上演、観に行けるだろうか。その頃、私の娘は半年になっていて、私の子供は二人になっている予定なんだけど。とにかく昭和音楽大学の皆様、ファシリテーターの方々、そして共に創作してきた4チームの皆さん、ありがとうございました。私はせっかくなので、ここで出会った茂木宏文という才能を、方々に売り込んでいくことを誓います。

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そういうわけで、妊娠8ヶ月から9ヶ月を過ごした2020年2月、3回の出張をなんとかやり過ごし、無事、終えることができた。どの体験もありがたく、貴重な機会だった。この間に書き進めようと思っていた次のトリコ・Aの新作脚本は、全然進まず、これにて山口終了かと思ったが、全てが終わった後、少し空いた時間にドトールの椅子に座って持ち歩いていた紙を広げてみたら、アイディアがまたどんどんと出てくるようになった。無意識だったけど、この2月を乗り越えられるかどうか、緊張して脳が固まってたのだと思う。

はーとにもかくにも乗り越えたぞ!娘よ!ありがとう!そしてお家で癒してくれまくりの夫と息子も、ありがとう!(結局1日で描き終わらず、3月に入ってしまいました)


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