保育所、速攻、再公募

うちの息子が通う保育所は現在、京都市が運営しているが、数年前から民間移管の対象になっている。つまり運営を民間に委ねようということだ。

今年も公募があったが応募がゼロで見送られることになった。京都市の運営に、保護者は概ね満足している。民間に比べると手厚い部分が多いからだ。だから民間に移管されたくない、と思っている保護者は多い印象だ。もちろん、もうどうしても移管せねばというのなら、むしろ市と手を携えてより良い民間を探しましょうという意見もあるし、逆に、移管自体を中止にして欲しいと望む意見もある。意見は様々に分かれつつも、今年の公募がゼロだったことに、保護者は概ね、安堵したに違いない。

と喜んでいたのもつかの間、市からこのようなお手紙がきた。

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要約すれば、応募を考えていたはずの法人になんで応募しなかったのか聞いたら、準備期間が短くて保育士を集められる自信がなかったから、という回答があったので、もう早速明日から翌年の公募をしちゃいますね、という内容。選定部会(応募条件を細かく検討する会)は開催しないし、保護者への説明は法人が決まってからやるね、ということ。

正直、ものすごく乱暴な印象を受けた。

もやもやする。うーむ。もやもやもやもやする。

というわけでここでは、何が一体、乱暴に感じられるのか、考えてみたいと思う。ここで頭に血を昇らせてしまっては、もともと言語化が得意ではない私は市役所に乗り込んでいって怒鳴り込んでしまう以外の手段が取れないし、そんなことになっては本末転倒なので、ひとつ落ち着いて考えてみたいと思う。

とはいえ、前知識がさほどない私。これまで活発に反対活動をしてこられた方々の準備してくださった資料も熟読していたわけではないし、とりあえずただペラ1枚のこの紙を見ただけで感じた違和感というものを、言葉にするしかない。というわけでこの紙について突っ込んで行こうと思う。

まず赤線①。

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「との意見がありました」という言葉に私は引っかかった。他にいろいろ意見があった中のひとつなのか、それともこれしか意見が出なかったのか。4法人全てがこのように言っているのか、それとも1件だけなのか。何もわからない雑な引用であるにもかかわらず、たったこの1点を根拠に「明日から」再公募に踏み切ろうとしていること。

なんか、例えて言えば、テストを受けて、0点だったんだけど、答え合わせで答えを暗記したから、5分も経たずにもう一度テストを受けて100点を取ります!という印象。目的がすり替わってる。テストって、100点取るために受けるものじゃないでしょ?でもこの人にとってはそうなんだ。

京都市にとっての民間移管は、あくまで移管が目的だから、そのためには何も辞さないんだ、という印象。保護者の私たちからすれば、命よりも大事な子供を預けている保育所が、どのように変わるかという一大事だから、その内容が気になってしょうがないんだけど、京都市は何でもいいんだ。何が来たっていいんだ。だって、移管さえ成功すりゃいいんだから。そのことに、まずショックを受けた。

次に、②。「となっていることから」という言葉尻にまたもや、違和感。「なってるから」って、京都市がそうしてるんでしょ、と思う。誰かがまるでやったかのように言ってるけど、違うやん、やってるのは京都市やん。でもそうやって、まるで誰かがやっているかのように言うのは、誰にも口を挟ませたくないからだと思う。そもそも募集要項について十分に吟味したという前提自体、こっちはあまり共有できないんだけど、そこを全力でスルーするために「そういう決まりなんで」と応対する、よくある日本語全力活用。

最後に決定打の③。

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要約:選定について、保護者には一切、口を挟む権利がないということを、再度、念押しさせていただきます。

ああ、なんだろうこの、相手にされていない感・・・

とにかく徹底的に、なんとしても、必ずや、民間移管は完遂しなくてはならない事案であることが伝わってきた。そうなってくるとこっちはこっちで、無視されてたまるかという気持ちが高まってしまう。なぜこんなことになってしまったんだろう・・・なるべく争いたくないのに・・・

市民のために機能しているのが京都市のはずなのに、京都市の潤滑な運営のために、市民の思いが踏みにじられる。人生の中で最も大事だと言っていい乳児期、幼児期を、どのように過ごすかということが、あまりに軽視されている気がする。そりゃお金があればいいよ。私だって気になる幼稚園ぐらいある(京都じゃないけど)。そこに入れられる経済的余裕があればこんな瑣末な事案に心を傷めることもないのか。そんな資本主義社会に生きてることが、辛い。

結局、日本在住者の乳児期、幼児期を大事にしないということは、日本の未来を邪険に扱うということなんだ。女性に対する意識だって、妊婦に対する意識だって、老人に対する意識だって、障害者に対する意識だって、LGBTQに対する意識だって、全部一緒。弱者やマイノリティを見ないようにすることは、簡単だ。

日本を、自分さえ、今さえ、よければいいと思っている人たちの集まりにしたいのか。うーん、冷静に考えるつもりだったのに、ちょっと興奮気味になってしまった。

とにかく今私にできることは一旦言葉にすることかと思い、書きました。

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