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こまばアゴラ劇場

私にとってのこまばアゴラ劇場について書いてみる。本当は何年の何月に何をやった時に・・・と詳しい日時や演目が言えたらいいのかもしれないが実は私の脳はそういう記憶が人一倍定着しない構造になっているらしい。頭の中に記憶しておく機能がほとんどないのではと思うぐらいいつもなんについての記憶もない。がしかし少し調べるとそう言ったことはわかってしまうため、これまで過去についての文章を書くときは読み手のことを考えてその苦手な行為を頑張ってやってきた。それをやると確かにわかりやすくなる。でも私の書こうとするドライブ感がわかりやすく減速する。だから今回はちょっとそれをやらないことにした。なんせ忠実に描きたいので、申し訳ないですが私特有の記憶のされ方で、こまばアゴラ劇場のことをここに記していきます。

最初の記憶は年末年始の寒いシャワー室だ。私は多分「他人(初期化する場合)」を上演するために初めてアゴラに来た。その前にも一度ぐらい応募して落ちていて、やっと来れたのがこの年末年始だった。私実は初めて東京公演させてもらったのが東京芸術劇場で、最初にいきなり恵まれすぎてそのあと完全に失速してしまって、東京公演そのものに憧れまくっていたので、もう、東京に来れることが嬉しくて嬉しくて、ワクワクしてた気がする。ところがみんな知ってると思うけど年末年始って全国どこもすごく寒くて、しかもあの駒場のあたりはお店もほとんど閉まっちゃってて、人がとにかくいなくなってて、東大生は実家に帰っているのだろうか、ご近所の方は家族だけで正月を楽しんでおられるのだろうか、ともかく商店街のはずの通りから人が忽然と消えた状態、そんな中でお芝居をしたのだった。お客さん少なかった。みんなでアゴラに泊まったと思う。1Fの楽屋に、トイレ付きのシャワー室があって、そこで夜寝る前にシャワーを浴びる。それがもう、寒くて寒くて、寒いなと言う記憶だけが鮮明に残っている。それがファーストインプレッションだった。

2回目の記憶はオリザさんからいただいたビールケースだ。どの公演で伺ったのか、若干記憶が微妙なのであえて書かないが、同じ劇場宿泊でも少しグレードアップして、女性陣はアゴラから少し離れた青年団の稽古場(おそらく当時のオリザさんの元ご自宅かその近く)に宿泊していた。元々宿泊させていただいていた稽古場の水道が止まったのだったか壊れたのだったか、はたまた暖房がつかなかったのか思い出せないがとにかく、インフラの何かが故障して、そこでまともに寝泊まりできなくなってしまって、オリザさんが車を出してくださって急遽別の場所に送っていただいて、その時に差し入れとしてビールを多分1ダースくださったのだ。

私はお酒が飲めないのでビール自体は嬉しくなかったが、そのお気遣いに感動してしまった。とにかくトラブルシューティングが早かった。オーナー自ら、私たちをきちんとゲストとして尊重してくださった。まだまだ若い時だったと思うのだが、ナメられることが多かった時代に、そんなふうに接していただいて感動した記憶が鮮明にある。

余談だが次のオリザさん単体の記憶は演出者コンクールだ。大事な出演者を冷たく酷評されたのでずっとオリザさんを睨みつけていた記憶がある。オリザさんからすれば審査員として理性的な意見を仰ったつもりだろうが、その時の私はそれが受け付けられず、猛烈に反発してしまった。そしてその時から、オリザさんは冷たい人だなと言う印象がついた。それでもビールの記憶は上書きはされなかった。私の中に、温かいオリザさんと冷たいオリザさんが分裂して住まうこととなった。さらに余談としては、演出者コンクールでスタッフとしてついてくださった青年団の皆様はただただ本当に親切にしてくださった。青年団どんだけすごいの、という印象はこの時に強化された。

そしてサファリ・Pの「悪童日記」だ。京都で追加公演になって、わりかし鳴物入りで東京に入って、お客さんも盛況だったと思う。この時に私たちがどこに泊まっていたのかあまり記憶がない。違う、思い出した、アゴラの近くの宿泊所に泊まったんだ。8畳ぐらいの狭い一部屋に4段ベッドが2個入ってて、一番上のベッドは体を起こすと天井に頭がぶつかるような不思議な狭さのAirbnbだった。この時私の子供は生後8ヶ月ぐらいだったと思う。子連れだったせいか、いつもにまして記憶はないが、お客さんがたくさん楽しんでくださったのだけは克明に覚えている。

次はなんだったかな・・・悪童日記あたりから青年団の劇団員さんたちの優しさに気づき始めた記憶がある。以前はみなさんの集まる事務所が怖かったんだ。それは青年団さんやアゴラさんの問題ではなくて、私が人を怖いと思ってたんだと思う。それがだんだんと変わってきて、事務所に顔を出せるようになって、そうしたら皆さんが怖くないことがわかって、徐々にアゴラへの愛が芽生えて行ったのだった。アゴラでは炊き出し環境が異常に整っている。公演の際、キャストスタッフ全員に毎回お弁当を出したり、個人で何か食べるものを調達するととってもお金がかかって大変なのだが、アゴラでは調理器具や食器、簡単な調味料まで揃っているので、カレーとか鍋とかとにかく大量に作って毎回、みんなでそれを食べる。その時に必ず劇団員の方にお会いする。みなさんお優しくて、暖かかった。

どんな場所も、どんな方のことも、勝手知ったる、みたいになるのが私は実はめっちゃくちゃ苦手なのだが、不思議やね、アゴラに対してどこかでそう思っている自分がいるのは確かだった。

コロナの時は2度、アゴラでの上演が中止になった。アゴラの対応は神対応だった。わすれられない。劇場費を払わなくていいだけでなく、お見舞金を下さったのだ。今これを書いているだけでも鼻の奥がツンとする。利賀村での厳しいオリザさんと、マイカーで別の宿泊所まで送ってくださったオリザさんを思い出す。伏線だったあれはここでいよいよ回収されてしまう。お芝居には厳しく、人としての親切心に満ちたオリザさんだった(存命)。

そして「へそで、嗅ぐ」だ。主演の豊島由香さんが体調不良で急遽主演の代役を私がやることになった。家でワンオペするより東京に一緒に来たほうが楽だからと言うことで、私以外でディズニーランドに行くチケットまで取って家族全員で東京に乗り込んだのに、きた途端5歳がコロナになって私は別のホテルに急遽移動、夫がコロナの5歳とコロナになってない1歳を東京でひとりで見ると言う謎の体勢となってしまった。なんやろ、割と快適なairbnbを借りたはずなんだけど、苦しい思い出しか残ってない。豆知識としてはコロナになった5歳を診るより、コロナになってない1歳の面倒を見る方がずっと大変。

お芝居自体はなんせ作、演出、主演をしているので無我夢中で終わって行って、改めて俳優の凄さを知ったというか、あんなに怖いことはないと思ったと同時に、でも私は豊島さんと一緒に作った型を、豊島さんからいただいた念でやる、私自身は空っぽで良い、ということが体感としてわかった機会でもあって、そのあたりから私の俳優業に対する印象が変わり、さらに目に見えないものを信じられるようになってきた。奇しくも私にとって最後のアゴラに俳優として立ったことは、なんというか奇跡だった。

そして私は、新しい劇場を立ち上げる際のアドバイスをいただくためにオリザさんに再びお会いすることとなるのだがそれはまた別の話。

私たちみたいな地方の劇団にとって、アゴラは唯一無二の劇場だった。本当にありがとうございました。

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