誕生日を迎えました。

本日、43歳になりました。

1977年の3月5日、雪の降る中、まだ生まれぬ私を待って、今は亡き母方の祖母と、今も健在な父方の祖母と、父の妹は3人で、おうどんを食べたそうです(男性陣はそこにいない昭和)。いろいろあったかもしれませんが、私は無事43歳になりました。今年の3月5日は暖かい3月5日です。

若干26歳の若さで私を産んでくれた母に、感謝しています。父もまだ27歳の若さで、父になってしまった。自分に置き換えると信じられません。私は43歳にして、3歳の息子と、お腹の中に9ヶ月の娘を孕んでいます。年のせいだと思うのですが、子供が可愛くて可愛くて仕方ありません。朝から見とれ、夕方にまた見とれ、夜の寝顔に見とれ、1日中見とれています。夫も同じで朝から息子の後を付いて回って「かわいすぎる」「好きすぎる」と連発しています。

今日は息子に初めて、お弁当をもたせました。

画像1

お弁当の日が保育所から告知されてから、毎晩色々と考えました。果物、生物を入れてはいけないというルールがあるので、彩りについて慎重に吟味しなくてはなりません。本当はキャラ弁みたいなの欲しがるかもと思うんだけど、全く興味が持てなくて、余計緊張した数週間を過ごしました。

息子はウィンナーが嫌いなんです。本当に食べないのです。お弁当作りにウィンナーが戦力外通告というこのヤバさ・・・・逆に果物は大好きなんだけど入れられないし・・・・ずいぶん悩みました。

結局、ハンバーグをメインに据えることにしました。かぼちゃとサツマイモとブロッコリーを蒸します。おにぎりは2種類を小さく丸めます。美味しいお米を楽天堂さんで買って炊きました。同じく楽天堂さんで「根菜の重ね煮」をゲットし、おかげで彩りの良いお弁当を作ることができました。

作りながら、小さい頃はお弁当を作ってくれたのかもしれない母のことを思いました。中学、高校の時はシングルマザーの母が働きすぎてお弁当など作る余裕もなかったので、私の弁当箱はいつも、白ご飯と自分でチンしたコーンクリームコロッケ2つ、でした。

よく考えたら、自分で買い物に行って、自分で作っても良かったんだよな。バイトしまくってたんだし。でも当時は不思議とそれを思いつかなくて、いつも白ご飯食べてました。戦時中のことを思えば豪華なんだけど。

そういうこともあって私の弁当への思い入れは激しすぎたかもしれません。夫に呆れられ「そんなに頑張らんでもいいよ」と言われてしまいました。いやいや、あんたの家庭は本当によくできた家庭だったからね、母ちゃんはあんたに思いを寄せる時間がちゃんとあってね、きっと一生懸命素晴らしいお弁当を作ってね、それをあんたが「フツー」だと思って食べてたんだよ!きっとね!

てか、自分の息子や娘に思いをしっかり寄せられる、心に余裕のある人生を送らせてもらって、私はなんと幸せなことか。

お腹の9ヶ月の娘は先日2キロを超えており、朝も昼も夜も構わず、順調にガンガンお腹を蹴りまくってくれてます。私は彼女が生まれてくるまでの残された1ヶ月を、今日から43歳として過ごします。

大阪ガスの山納洋さんに勧められて読んだ「断片的なものの社会学」という本ですっかりファンになってしまった岸政彦さんに、ツイッターで「おめでとう」と言っていただいてすっかり舞い上がってる43歳凡人、今日も頑張ります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?