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Hello World。

「Hello World」
プログラマなら一度は書いたことのある単語。大体どのテキストでもどの言語でも、最初はこのワードを画面上に表示させることからはじまります。はじめまして、世界。こんにちは、世界。
ちなみに、私はサムネをタイトルを間違えて
「Hello Word」
と作ったまま、まさかの気付かず、めでたい日にMicrosoftさんの回し者になるところでした。いやいいんだけどね、Windows好きだし。

そう、めでたい日。実はこれを書いているのは出産前なんです。予定帝王切開で無事出産を終えたら公開しようと思って書き溜めています。手術開始は朝の8時半(早い)いつもなら大体夜中の0時過ぎに公開していますが、今日は願掛けのため手術終了まで待とうと思います。
これが無事公開されたということは、無事終わって母子共々健康のはず。
大仕事お疲れ様、私。10ヶ月間よく頑張りました。本当に本当によく頑張った。
長女ちゃん、旦那くん、無事産まれたよ。寂しい思いさせて本当にごめん。取り戻すからね、たくさんたくさん遊ぼうね。
そして、はじめまして、次女ちゃん。10ヶ月間毎日あなたのことを想っていました。ママの娘として産まれてきてくれて本当にありがとう。全身全霊をかけてあなたを守ります。といいつつ割と頼りないママなんだけど、どうかよろしくね。

さて。きっと次女が産まれたらまた書きたいことが溢れてくると思いますが、とりあえず今日のところはまだ出てきてないので妊娠生活を振り返ろうと思います。タイトルと内容があんまりあってなくてすみません(笑)新たなスタートではありますが、とりあえず一旦ゴールテープを切らせてください。そのくらい、辛い妊娠生活だったのです。

私と旦那くんが長女ちゃんを授かったのは結婚前でした(めっちゃ遡る)一応プロポーズされたあとだったので形式上授かり婚ではなかったのですが、ほぼそんな感じ。今の時代あんまり気にしない人の方が多いと思いますが、旦那くんのご実家の方はまだまだ男尊女卑の長男文化が残っており、姑はかなり激怒していた模様です(直接私は怒られてはないけど)私も予定外過ぎてリファラルで入社予定だった会社の内定をお断りしました。とてもマタニティに優しく、入社して産休という選択肢もご提案頂きましたが、このまま入社してすぐ休むのはあまりに申し訳なかった。一度アルバイトという形で入り、産後改めて社員として帰ってくるという形で契約しました(その間に私の紹介者と採用を決めてくれたCTOが辞め、戻る話が有耶無耶に…私も連絡しませんでしたが)

長女のときには吐きつわりがひどく、出産前から5kg減達成!とにかく何も食べれなくて、具なし味噌汁をすすって過ごす日々。通勤が本当に辛かった。安定期を通り越し6ヶ月くらいでやっと落ち着き、マタニティ生活を楽しむ余裕が出ました。ヨガ、スイミング、エステ、マタニティと頭につくものはなんでも一度はやってみました。マタニティ旅行も行きました。家でもエクササイズやってた。楽しかったなあ。私の妊娠生活のなかで唯一楽しかった二ヶ月間。このあと急性胃腸炎で倒れ、昨日までしっかり食べてたというのにケトン+3。自宅から里帰り先の病院に搬送されました。そして子宮頸管2.4cm。29週にて切迫早産の診断。幸い入院は一週間で済んだのですが、自宅での絶対安静。心配性な母のもと、実家で寝たきりで3ヶ月間過ごしました。これが精神的に辛かった。今考えるとそんなに恵まれた生活の何が辛いねん???って感じなんですけど、その時には結構死にたいくらい辛かった…らしいです。あとから旦那くんが言ってました。忘れてた。結局24週時点から一度も逆子が治らず。タクシーで遠くの鍼灸院にも通いましたが(アホみたいに金使った)切迫のため逆子体操や外回転術もできず、結局帝王切開で最後まで悔しかったのを覚えています。

そして二人目。そろそろ妊活しようか、と二人で決めてから授かるまで半年。毎月生理がくるのがものすごい辛かったです。一人目の時に予想外だったので、妊娠しやすい体質だと勝手に思ってた私。いざ欲しいと思うとこんなにできないもんなのかと思い詰めてたので(今考えるとたかが半年なんですけど、なんでかそういう思考回路になっちゃうんですよねえ)フライング検査薬で(毎月やってた)うっすら陽性が出た時には涙が出ました。嬉しい。嬉しい嬉しい。待望の赤ちゃん。フライングしたのは生理予定日くらいだったと思いますが、一週間過ぎてようやくフライングじゃなくなっても陽性は濃くなりませんでした(毎日やってた)待ち侘びた一週間を経て産院に行きましたが、心拍はまだ確認できず。そこで私は驚愕の「双角子宮」という診断が降ります。えっ一人目妊娠時どこの病院でもそんなこと言われなかったのに。なんで?てか赤ちゃんは?毎日毎日、薄いけど問題なかったとか、心拍確認遅かったけど無事産まれたとか、そんな記事を追い求めてどんどん自分を追い詰める検索魔。そして案の定、心拍確認できないまま8週で大量出血。激痛と共に胸が張り裂けそうでした。結局流産認定を受けたのは9週でしたが、稽留流産というよりは化学流産だったのかなと思います。安定しなかったのは双角子宮のせい(いやそんなことない15%は流れるのだから)もう妊娠できないかもしれない、その頃私の精神状態はおかしくなっていたと思います。本当は流産後2ヶ月は妊活を休むように言われましたが、一度生理がきたあとに再開しました。このあとすぐ、忘れ物をした次女ちゃんが帰ってきてくれたのです。この言い方、流産の子をなかったことにしようとしてると賛否かもしれませんが、私の中でその子がお空に帰ったとはどうしても思いたくないので、次女ちゃんがちょっと忘れ物をして帰ってきてくれた、と思うようにしています。そして、今回はフライングしませんでしたが、検査薬はわかりやすくくっきり陽性。そうだよね、このくらいしっかり出るよね、と旦那くんとも話、二人で笑い合いました。前回と違ってメンタルがとても安定していて、今回は大丈夫だきっと、と思うことができました。前回と同じ参院で今度は心拍もクリア!ただし、双角子宮は診れないので提携している実家からも近い大学病院で出産することが必然的に決まりました。

何より今回ハードルが高かったのは、母が大反対したこと。こんなに念願の第二子だったのに、前回の妊娠と流産でかなり神経質になっていた母は、もう子供は作るなと言っていました。言いつけを守らず再妊娠した私に、さすがに堕ろせとは言いませんでしたが、しばらくかなり怒ってました。あ母さんいないと育てられないよ、長女ちゃんに兄弟を作ってあげたかったんだよ、とひさすは平謝りでした。
それを心配する暇もなく、つわりが始まりました。今回は食べつわり。しかもよく聞くような、空腹時に気持ち悪くなるというよりは、お腹が空いてても空いてなくても気持ち悪い状態が続いていました。とりあえず何も食べないと吐けなくて一生気持ち悪いので、何か口に入れて気持ち悪くなって全部吐いてやっとひと段落という、過食症のようなつわりでした。辛くて辛くて、何度も旦那くんに無理…妊娠やめたい…と弱音を吐きました。もういいよ、やめてもいいよ、と言われるたびに、やだ!絶対やめないもん!やだもん!と言い続け、結局8週から20週まできっちり3ヶ月間苦しんでました。前回は通勤してたからつらかったけど、今回は在宅ワークなので仕事より長女ちゃんのお世話が本当に辛かった。ずっと家に閉じこもっててもかわいそうなのでフラフラしながら児童館や習い事に行ってました。そしてトイレ通ってました。
やっとつわりも落ち着き、安定期は長女ちゃんの幼稚園探しに奔走しました。あれこれ見学会を見に行き、本命といくつかのあたりをつけ、プレ幼稚園に通い、さて本格的に受験準備というところで、急激な腹痛と嫌な予感…。慌てて病院に行ったところ、子宮頸管1cm、子宮口2cm。またもや切迫早産の診断を受けることになり、そのまま即入院…。今回は25週だったので、かなり逼迫した状態でした。仕事の引き継ぎや、長女ちゃんの平日の面倒、幼稚園受験、やらなきゃいけないことも多かった。保育園にも入れましたが何分唐突過ぎて母の手を借りざるを得ず、「だから反対したのに」を妊娠生活ずっと引きずることになります。母の協力なしでは妊娠を継続できなかったこともあり、かなり辛かったです。ごめんね、お母さん。
コロナで面会もできず、毎日毎日長女に会いたくて泣いて過ごしました。仕事も他の人に回すことになってしまった。幼稚園受験も自分の手でできず第一志望のところから落ちてしまった。さらに妊娠糖尿までかかってしまいました。念願の自宅安静に切り替わり、長女に会えた時にはやっぱり涙腺崩壊したのは私の方でした。長女も入院中かなり不安定だったらしく、普段比較的聞き分けのいいタイプだったのが、私が帰ってきてからもしばらく癇癪を起こして困らせることが多かったです。抱き上げてあげることもできない。再入院がこわくて、無理ができない。しかもその後娘から風邪をもらい、そこから喘息の発作、食欲低下。長女のつわりよりもさらにひどい栄養失調に陥り、一時は再入院も検討されるところでした。体力はかなり落ち、今でも本陣痛を引き起こすわけにいかないので無理はできません。ずっと寂しい思いをさせている、早く長女ちゃんとたくさん遊びたい、今はそのことで頭がいっぱいです。

一人目はメンタルが、二人目は身体的にきつかったのですが、今でも思うこと。私一人目よりよっぽど手術が怖いです。双角子宮なんて珍しい症例ではないけれど、前回帝王切開も相まっていろんなリスクを考えてしまいます。長女ちゃんと二度と会えなくなったらどうしよう。次女ちゃんを誕生させてあげられなかったらどうしよう。こわい…手術が怖いです。なので、願掛け。ものすごく長くて取り留めのない記事ですが、辛かった二度の妊娠のために。そしてたぶんもうしない妊娠のために。頑張った私のために書きました。

これを笑って読み返す日が来ますように。大切な家族に愛を込めて。出産、おめでとう。

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