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”こうあるべき”という呪い。
2020年がスタートした。昨年ずっと考えてきたことを整理し、今年により良い形で繋げようと思い元日にnoteを書いてみる。
突拍子もなくカミングアウトすると、自分はHSPであると自覚している。Highly Sensitive Person「ひといちばい繊細な人」という意味で人の気質を表す名称であり、生活の中で気疲れしやすく生きずらさを感じている方が多い。らしい。らしいというのは一口にHSPと言ってもその内容は個人にかなり拠るものだし、あくまで大枠にすぎないのでここで断定的に言うのは適切ではないと思われるからである。
大枠としては周囲の状況にとても敏感であり、音・光などの刺激や人の言動そういったものに左右されやすいという特徴がある。これを聞くと「そんなの誰にでもあるし、なにを仰々しくセンシティブなんて。」と思う人も少なくはないだろう。確かに何気なく言われた言葉に深く傷ついたり、意識させられたり、あとは話し声が聞こえると集中できないとか多くの人が経験しているのかもしれない。ただそれを少し過敏に捉えてしまうということだと思っている。
HSPなどという名前が付いているといかにも病気のように感じるが、これは決して病気ではなく人が持つ気質の一つであることは強く言っておきたい。明るいとか内向的とかそういったものと同じである。これを読んでいる方の中にももしかするといるのかもしれない。
今日なにを一番書きたいかというと、自分がある属性を持つとして、その属性に自分もしくは他者が勝手にイメージする像にいかに囚われないかが大切であるという事である。
属性という言葉は人を構成する多数の性格的な要素や、日々変化する身の周りの状況などを含めた意味で使っている。
例えば最近家族を失った友人がいてその人に自分は会うことになっていた。結局諸事情で会えない結果になってしまったが、その時に自分は相手に対して家族を失った人=悲しんでいるという勝手なイメージをもっていたように思う。もちろんその人の中で悲しみや戸惑い、苦しみ、不安などそれこそ自身でしか感じられない様々な感情があったことだろう。ただそれというのは一人の人間を構成する多数の要素のうちのある側面でしかなく決して全体ではない。
家族を失ったという彼の一つの属性だけを抽出して、悲しんでいるという勝手なイメージを持つことは非常に危険なことだと思う。
悲しんでいるから笑ったりしないはずだ。悲しんでいるから自分だけ楽しそうな話はしないでおくべきだ。悲しんでいるから...すべき。
こんな風に考えが巡ってそのイメージを他者に押し付け、仮にイメージに反した言動をすれば違和感を持つのだろうか。これほど勝手なことはない。
彼にだって笑いたい時もあるし、落ち込む時もある。当たり前のことだ。
先述のHSPにおいて自身に対しても、「自分はHSPだからこうあるべきだ」と考えるのも同様に危険である。自分を構成する要素は他にもたくさんあるのだからと自戒も込めて記述する。
ある属性を抽出し勝手なイメージを他者に押し付ける行為は言い換えると”期待”になるのではないかと思う。期待を持たれると人はそれに応えなければという呪いをかけられる。そんなの他者の勝手であり応える必要もないのに。
そう言えば今日久しぶりに会ったおばあちゃんに「早く結婚して子どもを産んでね」と言われた。おばあちゃんにはとても恩があるし、喜ばせたいのは山々なんだけどその期待に応えることを優先事項の筆頭には今は考えることはできない。まあいずれそんなことがあったらラッキーくらいに思っててくれると助かります。不孝な孫なのかな。
でもやっぱり自分の人生を生きるためにはこういう考え方が必要なんじゃないかな。”こうあるべき”を捨てる。他者の期待を軸としない。まして他人に呪いをかけない。
一点難しいのは”こうあるべき”というのは、時に目標に対して発揮される意志の力と親和性が高い。その境界線というか違いを明確にしていくことが最近の考えていることであり、目指しているところ。ここを今年はなんとか形に持っていきたい。
少し長くなりましたが、読んでくださりありがとうございます。トップの写真は紅白を4Kで見ていたらその後の番組で映っためちゃ綺麗な映像に感動してとったものです。初めて見たけどすごいね4K。笑
今年の目標は「気負わない」です。
2020年もどうぞよろしくお願いいたします!!
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