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2023/4/26~2023/5/2 ひどく気を張っていた6日間と6日ぶりの休息リハビリの日

4/26~4/28

父と母が福岡に先に行く3日くらい前からずっと、いない間に2日連続で大きな用事があるのもその前の日が予定が無くて寂しさに溺れそうになるのも怖かった。気が気じゃなかった。

4/29

いざいなくなったらいなくなったで、妹と喫茶店で談笑したりと楽しかったけれど、やっぱり寂しいことは寂しかった。
そこにいるべき人がいない寂しさってある。

夜寝る時にそれは強く感じた。
次の日がニコニコ超会議で、推しのボカロPさんたちと会える日だったのだ。

それが怖すぎて不安すぎて緊張がバクバクで眠れなくてボロボロ泣いて、妹には「なんで私じゃダメなの?!」と叱られる始末。
母と父に電話してやっと眠れた。

4/30

ニコニコ超会議は早く着きすぎて、30分以上行列に並んで参戦した。
いざついにニコニコ超会議のボーマスに参加したら、推しのPさんたちからお目当ての商品を買ったり交流したり、DJで盛り上がったりととても楽しかった。怖がる必要なんて1mmも無かった。
ただ、とにかく足を使ってひたすら歩いたので足の疲れが酷かった。

家に帰って、妹に楽しかったことを話しても何も共感して貰えなくて悔しくて、さらには機嫌も悪く感情のない対応を取られて「もう妹と2人でいるのは無理だ」と痛感した。

そのため、一刻も早く寝たかったけど、父と通話しながら夜の不安感にも決死の思いで耐えて、ANAのU25割で19:00羽田発・20:50福岡着の便を取った。

これで早く父と母に会える、これで妹の冷たい対応から開放される、という安心感と、
とにかく疲れたので早く眠りたい、の気持ちでその日は眠りについた。

5/1

参加する展示の設営日だった。

出発前、不安になりすぎてトイレに4回行った。

重いキャリーケース持って出発して、普段電車に乗らないくせにわざわざこの日に京浜東北線は15分遅延した。すし詰めぎゅうぎゅうの電車に大きなキャリーケースと旅行グッズ1式と一緒に乗って、もうこの時点で「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」と苦しかった。

展示に着いたら全体説明で立っていられなくなって座り込んでしまって、係の方に連れられて救護室にお世話になった。
ありがたいことに水を2本も貰って、
なんとか、なんとかサポートのおかげで時間通りに設営をやり遂げた。

終わったその足ですぐに山手線で品川まで行ったのち羽田空港まで行った。
出発時刻は念の為かなり余裕を持って取ったあったので、そのままずっと出発までスカイラウンジで持ってきたボーマスの新譜を聴いていた。

その時点で攻撃的な歌詞に対してまるで自分が言われたかのように傷ついてしまうくらいには消耗していた。

19:00に飛行機に乗って、20:50に福岡に着いて、そこでやっと父と会えた。
辛かったことを全部話した。ボロボロと涙を流しながら。
父はとても親身になってくれて、優しかった。

ご褒美にチャーシューが美味しい博多ラーメンを食べた。

福岡の祖母のお家に着いたのは23:00を回っていた。

その日、4月7日に精神の大病をしてから久しぶりに夜の不安感が無かった。

5/2

約6日ぶりの、気を張らなくていい日。
しかし、約6日間ずっと気を張っていた中で
「はい今日から気を張らなくていいですよ〜」
と言われてもそんなにうまく心の切り替えはできなかった。
心はずっとどこか落ち着かなくて、家にずっといてもいいものか、と不安になっていた。

父と母に、昼ファミレスに行ってご飯を食べようと提案した。
電動自転車を漕いで、ファミレスに向かう。
お腹いっぱい食べて、ここで父は仕事に戻り、母と私はそのまままた自転車を漕いで100円ショップに向かった。
百均で必要なものを買って、一旦家に帰り、今度はドライヤーを買いにまた自転車を漕いで2人でホームセンターに行き、その帰りにスーパーに寄った。

この日は1日ひたすら電動自転車を漕いで、運動していた。
いつの間にか靄がかった感情は消え去って、ただ満たされた気持ちでいっぱいだった。

思えば、「休息のリハビリ」も必要だなぁと思った。
休職中のリハビリで少しずつ働く時間を増やしていくように、
長い間、緊張状態に晒された心に対しては、急に「はい休んでください」といきなり休ませるよりも、少しずつ休息時間を増やしていく、それ以外は何かしら活動をする、というリハビリが必要なのだろうな、と強く感じた。

今日はとても充実した日だった。
福岡にいる間、休息のリハビリが少しずつできればいいな。

追記5/2
夜の不安は出てしまいました…

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