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今日疲れたことのとりとめないまとめ

今日あったことを忘れないようにザーッと箇条的にまとめただけです。まとまりや秩序はありません。

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ネイル前にいつも必ずやってる近所の郵便局で今日出さなきゃ行けないやつ出しにいく

→臨時休業

→セブンで出せるか聞く

→セブンじゃ出せないのでローソンなら出せるかもと言われる

→ローソンで出そうとしたら出せないと言われる

→結局徒歩で本局まで行って出す

→代官山行きの電車が遅延してサロン遅刻

→最高のネイルをしてもらう(💯点!!!)

本番はここからです

→せっかく代官山に来たんだからとカフェに入って作業しようとする

→カフェで注文して席に座ってスマホとiPadを開き、カバンを開けた時にスマホもiPadも充電が10%未満&モバイルバッテリー忘れたことに気づく

→せっかくなのでiPadが1%になるまで描こう、と決めて描く

→1%になったところでカフェを出て駅へ行く

→充電が無くなった時のための暇つぶしとして持ってきた小説を続きから読んだら、あまりにも精神的に残酷な描写が描かれていてその時の精神状態も相まってボロ泣きして苦しくなり少しパニックになる

→ 少し落ち着いたところで電車に乗る。ただ、さっきの精神状態がまだ完全に治っておらず、隣の席の人の荒い鼻息でパニックになりそうだったのでイヤホンでノイキャンしようとする

→イヤホンをつけたら「早く端末と接続しろ(意訳)」というアナウンスが数秒毎に流れてきて使い物にならず、パニックが加速

→ 突然、電車が緊急地震速報で停止する。
その後、微弱な地震が起こる。
アナウンスを聞いていないといけないため、イヤホンは付けられなくなってしまった。
隣の鼻息は相変わらず荒い。

地震速報で緊急停止する電車、イヤホンで逃避できない現実、過敏に反応してしまう鼻息、私はみるみるパニックに陥る

→ やっと動き出した頃にはもう限界状態で、
鳴き声のように「助けて」と鳴いたり
過呼吸になったり泣いたりして、
おそらくもうこの時点で電車の中で私は異常者認定されていた。

みるみる私の座っている周りだけから人が離れていく。

今ここで社会的に死んでいるという事実、それが更に発作を加速させる。

→ そして、降りる駅の2つ前ほどで私はパニック発作を起こしてしまい電車の通路に倒れ込んでしまう。

「助けて、助けて」とひたすらボロボロ泣き叫んでいた。

乗客の方に介抱され、降りるひとつ前の駅で下ろされる。

その時、私がパニックを起こして保護した影響で電車が少し遅れた。

自分が電車遅らせた罪悪感で、パニックはどんどん加速し、ひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣き叫んでいた。
介抱してくれた方が、「あなたは何も悪いことしていないよ、電車はちゃんと出発したよ」と励ましてくれる。
「落ち着いたら電車に乗ってね」と優しく私に声をかけて、そのままその方は駅の改札を通っていく。

→パニックが治まることはなく、駅員さんを見つけて、家族に連絡を取りたい旨を説明し、保護してもらう。

最初は公衆電話でかけようとしたが、公衆電話のあの個室に入った瞬間に今まで溜め込んでいた感情が爆発してしまい崩れこんで泣き叫んでしまった。

そこで、駅員さんの携帯からかけてもらうことにした。

→ 駅員さんが、

「もしもし、○○電鉄の者ですが、お宅の【本名】さんが…」

と電話で切り出したので、
「もしかすると、電車に飛び込んで自殺しました、と一瞬でも想像させてしまっていたらどうしよう、なんて親不孝だ」
と親のことを考えてさらに苦しくなってしまう

→ 駅前のど真ん中にも関わらず、その想像をしてしまいさらにパニックは悪化し、駅前のど真ん中にもかかわらず崩れ込んで泣き叫んでしまう。

その時、「自分は今ここで社会的に死んだんだ」という、きっとSNSが大炎上して人生が社会的に終わった人ってこう感じるんだろうな、という死の恐怖が膨れ上がる

→ 駅の中で介抱してもらい、駅員さんに色々話を聞いてもらう。

親に最悪の想像をさせてしまったかもしれないことが苦しいこと、

電車を遅らせてしまったことへの罪悪感、

19、20日に控えているイベントに出るなと言われたらそれこそ再起不能になってしまう、ということなど。

全くの赤の他人なのに、そんな人の身の上話をとても親身になって聞いてくれた。とても優しい方だった。その方に今の感情を話していたら、だんだん心が楽になってきた。

→ だいぶ時間が経って、両親が迎えに来た。
私は両親が怒っているかと思ったが、意外と平気そうないつもの顔と口調で安心した。

「最悪の想像をさせてしまったかもしれないこと」
を謝ったら、
「この電車は鈍足だからそんな想像はしなかった」
と言われ、肩の荷が降りた。

→ もしかすると家族なりに気を遣ってくれたのかもしれないけれど、その時の私にとってはそれが何より安心だった。

親より先に死ぬのが、何よりの親不孝だと思っているので、それを一瞬でも想像させてしまったかもしれないことが怖くて仕方なかった。

その後は両親と最寄り駅へ帰り、その駅で1000円くらいのフィナンシェの詰め合わせを買って、介抱してくれた駅に戻り、保護してくれたお礼として感謝の言葉とともに渡した。


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今日起こった大きなことでした。
疲れました。
ゆっくり休みます。

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