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2023/02/04

■4:25頃起床。なんか目が覚めちゃった。

■同室の家族はまだ夢の中なので、私は暗い中パソコンでひたすらやるべきことをやっていた。捗った!

■朝食、朝6時半に一人で一番乗りした!
まだ手付かずのとっても新鮮な食事が食べ放題だったので嬉しくなりながらたくさん食べた!!!先着の茶碗蒸しもらえた!!!美味しいものを食べるのが生き甲斐のひとつだな、と強く感じた。




■朝食後ふと横になったら、気づいたら眠ってしまっており、「チェックアウトの時間だよ!!!早く起きて!!!」と何度も起こされて意識が朦朧と戻った。

しかし私の特性として、その時必要な睡眠時間を寝切らないとスッキリ起きられないというのがあり、それ以前の時間に起こされると眠気が重すぎて、ごく短い夢を何度も見る覚醒と睡眠が混在して不安定な状態になる。しかもその夢の中でちゃんと起きる夢とか見る。最悪だ。

しかも「起きて!!!早く起きて!!!」という激しい急かしが入っている中でそんな状態で起きられない、という自分に対しての嫌悪感もどんどん増していく。
地獄のような時間だった。

結局、妹が先に三人分チェックアウトしてくれて、やっと起きられたのはチェックアウト時間の5分後。

全く荷造りができいない中で、私は上記で相当なパニック状態になっていた。

「時間が守れないのは悪だ、私は悪だ、私は悪だ!!!」
と泣きながら叫んでパニックになってしまった。
そうしたら父に
「自分が悪だと思うのは勝手だけどそれを口に出すなよ!!」
と荒らげた声で叱られた。

■フロントでチェックアウトを済ませた妹に、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
と頭を深く下げて謝ったら、父に
「子供見てんだぞ」
と後ろに通った子供を見てきつく言った。

私はもうこの空気に耐えられなくなり、妹と一緒のタイミングでトイレに行った。

トイレで落ち着こう、と思いながら、
「どこか自傷できる場所はないか」
と探してしまった。もうこの時点で正気では無い。
結局、トイレ内は全ての怪我の元となる因子は全て排除された空間で、ホテルの完璧さを思い知った。

唯一、トイレクリーナーがあったので、
「私は悪だから除悪しなければ」
と、何を考えたのか、トイレクリーナーを頭にいっぱい浴びた。そして飛散する薬剤を吸い込んで何度も深く咳込んだ。

その後、トイレから出ても「除菌だ、除悪だ」と手を念入りに洗い、消毒用アルコールを手にこれでもかと塗り、首にも塗り、しかしそれでも気持ちがまともではなかったので、すぐ隣の外の駐車場のベンチで呆然としていた。

そこにしばらくして妹が来た。
妹と少し話し、父とは話さない方向で、フロントに戻ることにした。

フロントに戻り、妹が父と極力会話をしなくて済むように今の私の事情を話してくれた。ファインプレーだった。

しかしその後すぐにパニック発作が起きてしまい、過呼吸になった。
激しい過呼吸の中で「今の不安の原因を全て話してくれ、1つずつ解決しよう」と父が言ってきたが、こんな過呼吸の中無理だろと思ってしまった。実際話すことは無理な状態だった。

父がロビーの方に救護室が無いかどうか聞いてくれて、そうしたらフロントの大きなソファに寝転がって落ち着くまで居ていいですよ、と計らって頂けた。
そのお言葉に甘えて、私はソファで寝転がり、眠った。

途中、毛布をかけてくれる感覚があった。

夢の中で、曖昧だが父と妹に呆れられて置いていかれるような悪夢を見た。

■目が覚めたのは眠ってから約2時間半後の13:50ほど。

父と妹に置いていかれる夢を見た、と話したら
「そんなことするわけないよ」
と言われ、涙が出た。

また、父が声を荒らげてしまった言動も謝ってくれた。
ホテルのドアが空いていて、清掃が始まる頃になり、清掃員さんがこちらを見たり覗いたりしてしたそうで、父の方もパニックになってしまったそうだ。

ある程度寝て落ち着くことができたので、ホテルの方に深くお礼をし、このホテルを後にした。

今後の流れとして話し合った結果、

・父は博多駅方面に残り
・私は全ての荷物を持ってタクシーで祖母の家に行く

ことになった。

■タクシーの中で連絡を返したり音楽を聞こうとしたりしたが、使っているジェイコムモバイルが通信障害なのか、インターネットが繋がらなかった。なんで上手くいかないことってこう重なるんだ。

■何とか祖母の家に着き、荷物を運んだ。

■車酔いしてしまったので、酔い止めを飲もうとしたら間違えて精神薬であるロフラゼプを飲んでしまった。しかも普段朝のみ1錠のものを一気に2錠。ものすごくナチュラルに完全なオーバードーズをしてしまった。もうなんなんだ……🥲
完全に疲れている。

■私が疲れていることがもう表に出まくりで、それを気遣ってくれた祖母と叔母さんが干したてのお布団を用意してくれて、今そこでゆっくり日記を書いている。優しくて、あったかくて、涙が止まらない。ありがとう。

■ロフラゼプの不本意ODによって(?)精神が安定してきたので、昨日の残りの恵方巻きと祖母が作ってくれた大根煮を食べた。1日遅れの恵方巻き。ちゃんと南南東向いて黙々と食べたよ。

■オフライン上で書いていた日記が全部消えた。本当に上手くいかないことって重なりまくるな…もう吹っ切れるなこんなん。

ホテル室内のパニックについてを書き直した。なのでその部分は2稿目です。そこを2回書いて、より内容やその時の自分の状態の表現が精査された感覚はある。

■17:26。東京はもう暗くなっている頃だが、福岡はまだ全然明るい。
福岡は日の入りが東京より遅くてメンタル的にありがたい。
標準時が明石で定められているだけであって、実際は時差として1時間くらいあるもんな。

■祖母宅のWiFiが繋がらない、モバイル通信のジェイコムモバイルも繋がらないということで今インターネットが使えない。
この文章は冒頭除いて全てメモ帳に書いており、ネットに繋がったらそれをコピペする。今日マジでなんなんだ…
「散々な日だよ今日…」
と思うような日の頻度が最近多い気がするのだが……

■でも、たまにはインターネットを遮断してゆったり心を休めるのもいい機会かもしれない。

必要な連絡が長く受け取れないのは困るので、数時間でいいけれど。

■1回空港にいる家族に連絡を取ろうと、祖母の携帯を借りて電話した。
「携帯がネット繋がらないので電話を貸してほしい」
と言ったら貸してくれたのだが、その時に、
「言ってくれてありがとう」
と叔母さんに言って貰えた。それがなぜかすごく嬉しかった。
こうやって肯定してもらえることがあるのか。

■22:00起床。4時間強寝た。

■おばあちゃんの作ってくれたニンニクの効いた野菜炒めと鍋炊き玄米ご飯に、パック納豆と福岡の明太子を食べた。
デザートに、ねんりん屋の美味しいバームクーヘン食べた。

■ドイツで税金の仕事をしている叔母さんと税金や確定申告の話をしたりした。

■ゆったり時間が過ぎていき、0時になった頃におばあちゃんと叔母さんが就寝した。

■2:30に私の母も就寝し、私もなんとか寝ることにした。
あんな時間に起きたから寝れなくても仕方ないけど、寝れたら嬉しい。

なぜなら、明日はおばあちゃんの誕生日会でホテルのビュッフェを取っているからだ。

「自由参加だから具合悪かったり寝てなかったりで参加できなくても別にいいよ」
と言われているけれど、私としてはとても参加したい。

なんとか参加できるよう、ゆっくりと眠りに就きます。
どうかいい夢を見れますように。

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