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作家名義の壁の向こう

アロマンティックと恋愛嫌悪をこじらせすぎて、よく仲のいい女の子同士がやってるようなニコイチみたいなのも自分は本当に気持ち悪くてできない。
もし自分にニコイチの存在がいたら…と考えるだけで悪寒がする。

自分と仲の良い全ての人には、大切な人が別でいて欲しい。

これは恋愛に限らず、何においても、「自分」を唯一の存在にしないで欲しい、自分を1番にしないで欲しい。

ただ、作品もとい作家としての「作家名義」に対して推し感情を抱いていただくということに関しては何も抵抗感はなく、むしろ非常に嬉しい。

「作家名義の私」は「私自身」ではなく「作家名義の私」という、ある種私ではあるけれど私の鎧のようなもの、VTuberで言うところのガワのような存在……なのだろうか。
果たしてこの表現が最適かどうかはまだあまり自分の中で整理が着いていないが、
「自分」と「作家名義の自分」の認識の間に分厚い壁のようなものがあるのは確実だ。

とにかく、「作家名義の自分」本人やその作品、作家性などに関しては、どんどん推して欲しいし、望むなら誰かの唯一無二でありたい。


「一人の人間」としての私は、1番の存在にしないで欲しい。


アロマンティックと恋愛嫌悪は高校時代くらいからだけれど、生涯ずっとリスロマンティックではあって「両思いになりたい」という感情を一生のうちで一度も持ったことがない。

現実の男性を好きになったのは小3が最後、そこから中学まで男女問わず二次元キャラに恋はしたが、よく言う
「嫁が画面の中から出てきてくれない」
という悲しみを理解出来たことがない。
自分が好きならそれで満足だった。


私の大好きなバンド(もう今はバンドじゃないけどバンド時代)の曲で、二次元の女の子への恋慕を歌った『ヴァーチャルガールフレンド』という曲がある。

好きな人が目の前の画面にいるのに、触れることすらできず見ていることしかできない苦しみを歌った、邦ロックの楽曲としてはかなり異色のテーマの楽曲。

アロマンティックかつリスロマンティックの私にはその歌詞の感情は理解できないけれど、甘いギターの音が、ほのかに甘い香りのする「ガールフレンド」の雰囲気のような気がしている。

決して存在しない甘くて柔らかな香り、感じたくても感じられないその香りを表現したかのようなこの音色が、歌詞に共感できずとも関係なく、切なくて美しい。大好きな曲のひとつだ。

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