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HIT! アーティストとして生き残るには?(超能力篇)

No.020
表紙写真・著作者 Jesse Clockwork


スプーン曲げてなんぼのもんじゃい!

先日その筋に詳しい方に聞いた話では、基本的に「超能力」というのはすてべの人間が使うことができるらしい。勿論、空を自由に飛び回ったり、海を真っ二つに割って対岸まで歩いて渡るようなことはできないのだが、ここ一番!という重要な場面でちゃんと成功できる人と、みすみすチャンスを逃してしまう人の大きな差というのは「ちゃんと超能力を使ったのか?」ということが起因しているかもしれないのだ。

たとえば昔、ゴルフ好きの知人とこんな話をしたことがある。
連戦連勝のプロゴルファーは、パターショットでギリギリまでボールを寄せた瞬間、超能力を使ってホールまで一気に吸い寄せているに違いない!ということだ。

99%己の努力で頑張ったとしても、最後の1%というのは「お前、あんとき超能力ちゃんと使ったのかよ?」ということが、人生を大きく左右するのではないだろうか、ふとそんなことを思い出したのだ。

戦争映画で、弾丸が頭ギリギリをかすめて一命を取り留める、 みたいなシーンがあるけど、超能力とはそういうこととも関係しているのかもしれない。僅か数ミリ単位の出来事、しかしそこが運命の分かれ道なのだ。

どういう人が超能力を使うことができるのか?

それは何事においてでも「本気で意識(イメージ)できる能力」を持っているかどうかではないだろうか。パターショットした時に、ボールが綺麗にストンと穴に落ちていくイメージができるかどうか?自然とそういう気の流れを自分で作れているかどうか?そのことが大切なのだろうと思う。

きっとこれは良い作品になる、名作が誕生するぞ! 描かれる前の真っ白なキャンバスからそんな予感がしたことはないだろうか? 特に理由はないけれど、何故かとても上手くいきそうな予感がするときは、本当に筆の調子が良くて迷いなく制作が進められる。絵が上手くいっていると、いつも以上に慎重になる。ここでコケたくない、絶対にこれを失敗作にしたくない、このままの純度を保って仕上げたい、これはきっと素晴らしい作品になってくれる、そのように意識を高めていくことは恐らくどんな画家でもやっていることだ。つまり良い絵をたくさん描いている画家というのも、無意識的にちゃんと「超能力」を使っているのだ。

超能力というのは場の流れ、人間の心にも作用する。

アートフェアでたくさんブースがあるのに、盛況しているところと、全然人が寄り付かないところがある。人気作家を取り扱っているとか、接客が上手いとか、色々と理由はあるのだろうが、「ギャラリストが超能力を使っている」ということだって十分に有り得る話なのだ。

童話で「ホタル来い、こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞ」というのがあるが、アートを買いにきたお客さんが、自分のブースだけに関心を持って集まってくるような気の流れを会場に仕掛けているのだろう。そして作品を前にして迷っているお客さんにスッと念じて、購入を決断させているのだ。

勘違いしてはいけないのは、初めから買う気のない人間に買わすことはできない。たとえばBARで口説いていない女性にいくら念じてもキスしてもらうことはできないし、普段まったく練習していない人がパターショットを決めることもできない。超能力とはそんなものではなくて、なにをするにしても、あくまで99%努力した上で、肝心要な瞬間に、スッと獲物を捕まえることができる1%の奇跡なのだと私は解釈した。

自分は何をどうしたいのか、明確なビジョンを持って、本気で信じること。
最後の最後まで手を抜かないこと、確実にゴールを決める、それが超能力!
アーティスト各位、超能力で未来に生き残りましょう!

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