世の中見た目

世の中見た目である程度決まる。

そう言うとかならず、人は中身だの言う人も現れる。

だが、本当にそうなのだろうか?ではその人たちは本当に見た目は気にしていないのかと言うとそうでもない。

例えば電車などでわざわざ強面の人の隣に座るだろうか?きもちわるい人の近くにわざわざ行くだろうか?

まず行く人は居ないだろう。つまりそう言う事だ。

見た目である程度決まっているし決めている。

仕事でもそうだ。食べ物を扱う人がブサイクだったらどう思うか?できればイケメンや美人の人から提供されたいだろう。そしてブサイクが生理的に無理な顔なら どうするか。もうその提供されたものも気持ち悪く見えるかもしれない。鳥肌ものだ。

作り手も気持ちが悪い人が作っているかもしれないがそれならわざわざ表には出てこない場合がほとんどだメリットなんてないのだから。

だが、もしイケメンスタッフならどうだろうか?ガラス越しに調理を見せても絵になるし多少の集客にはなるはずだ。少なくとも前者が出てくるよりも集客が悪くなるはずはない。

そもそも美男美女だと見た目を不快に感じることはほぼない。それなのにリスクを背負ってブサイクを表に出る仕事で雇うなんてナンセンスだ。

誰だってブサイクに接客してほしくはない。
個人の好みでもあるがそれは、上中下でいうと「中」の中での話し。「中」のなかでこの人はブサイクかそうではないか。自分的には好みだとかそうでないとかギリギリ行けるとかいけないとかそう言う事だ。

「下」の見た目の人はその対象にすらなりえないのだから。なるべく見たくないし 存在を認識したくない。

そして大体見た目と中身は比例している事のほうが多い。

アホっぽいやつはアホっぽい事をするし、輩っぽいやつは輩っぽい言動をとる。 迷惑をかけているやつって大体そういう見た目通りの奴らが多いだろ?

特に仕事では ぱっと見で仕事できそうな人は出来るしそうでない人は出来ない。

仕事出来そうで出来ない人も中にはいるが逆はどうだろうか?

仕事ができなそうなのに出来る人なんてほとんどいない。そう逆はないのだ。少なくとも私の記憶にはそういった人は居ない。私がそう言う職場に居なかっただけかもしれないがいろんな職種に何度も転職したのだけれど。

結局ある程度いやほぼそのまま見た目から滲み出ているのだ。生まれ持ったものだから仕方がないのかもしれないが、どうしようもない。

自分自身を正しい方向に努力し磨くことでカバー出来ることもあるが、そうでない場合はどうなるか?

そのまま卑屈になりますます外見も中身もブサイクになってくる。

結局世の中 見た目がある程度良くてやっとスタートラインに立てるという事だ。

真実には変わりない。

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