独り言。ネットの変さ。

ネットの変さについて。

いきなりだが、私はインターネットには人間なんて存在しないと思う。何を言ってるんだと思われるかもしれないけど……。

かもしれない続きでいうと、現実に存在する人間だってそれぞれに、学校では学校の、会社では会社の、家では家の、他者には他者の仮面を付けて生活しているので深く考え始めると不安になることもあるかもしれないし、そういった経験がある人もいるかもしれないけど。

それでも現実世界に存在する人々は間違いなく人間だとは思う。その場限りで会う人など、人間なのか……?と例外的に思う場合もあるにはあるけど。

話が逸れた。

とかく、ネットに人間はいない。

これはユーザー感覚の知覚としての話である。リアルの知り合いとインターネットで繋がることは違う。それは電話の延長だと私は思う。電話だって突き詰めてしまうと、例えば恋人同士が24時間繋ぎっぱなしにしておくとどちらかが「いや、もう普通に会おうよ」って言い出して、まあそこでもう一方が会うことを拒絶すると相手が人間である感覚は薄れるだろうが。

私が言いたいのは、ネットの中で遭遇することがなんなら一番多い、知らない人間同士のやり取りのことである。彼らが一体誰なのかは分からない。片方が有名人等特定の状況を除き、通常会うこともない人間同士がその場で画面上で遭遇し、互いの年齢性別その他諸々様々な情報を感じないままにやり取りを行う。こんなものははっきりいって人間同士のやり取りとは言えないわけである。

私はほぼ引きこもりのニートだから分かるが、

人と関わらない人間に限って、

インターネットでのやり取りを人との遭遇のように感じて夢中になってやる。バカバカしい。こんなに不健康で、非建設なことはない。

人と人が顔を突き合わせて出会う時、

相手の声色や表情、互いが身を置く場の気温や湿度、年齢性別雰囲気…等無数の情報から我々は互いに人間を感じているのに。

5Gがなんだ。

映像通信がなんだ、いいねなんてクソッタレだ。

非自然的で、何ら人と人が繋がることを再現出来ていない。だから、インターネットには人間は存在しない。

リアルのやり取りの延長はいいと思う。でもそれだけだ、結局インターネットなんて。

あと嘘をついての金儲け。ネットで商売をすればするほど嘘付きになるだろう。都会に出て暮らすことよりも何倍も希薄な人間関係とも呼べない繋がりの中に身を置くことになる。そういう人間はこれからも出てくるかもしれないし、それに憧れて拗らせる可哀想な匿名ユーザーやも存在し続けるのかもしれない。

とにかく、ネットに人間なんて存在しない。いや、ネット上には人間を再構成することは不可能だという方が正しいのかもしれない。しかもインターネットの中毒性と集客性は、決してネット上に再構成することが出来ない人間たちの気配を置いておくことにあるので、もうどうしようもない。インターネットの終焉まで、誰もこれは打破しないだろう。それに気付いてやめていく人と、利用されるものと利用しているつもりで変な気持ちになり続ける空想ネオ都会の住民者たち。

そいつらの順繰りの繰り返し。

この問題は根深いと思う。

運営側にとって打破する価値のない中毒性と、

結局現実に帰り始めるインターネットの成功者たちと、何故かインターネット空間に取り残されることになる幾らかの人々。それは私のような引きこもりニートかもしれないし、そうじゃない人も沢山いるはずだ。それは、また別の人が証明すればいい。

とにかくインターネットは自然じゃないにも程がある。このままでは結局何も生まれないんじゃないか、と私のような老人は考えてしまうほどである。



もちろん、リアルと絡めて適度に使えば良いだけの話だろうが。

そんな器用で健康的な使い方に限定出来ている人なんて、どれほどいるのだろう?



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