会社を辞めた時の話

新卒で勤めていた会社を4年勤めて退職しました。
大学からもらった推薦に三社続けて落ちるという通常ではありえないミラクルをかましたほど絶望的に面接が下手な私が、しかも面接に思いっきり遅刻したにも関わらず採用してくれた会社で、拾ってくれた恩に報いるために頑張ろうと思っていたのですが、無理でした。

ブラックだったとか、激務で鬱になったとか、やむを得ない事情があったわけではなく、むしろとてもホワイトな企業でした。
残業は月30時間までにおさえるように、できるだけ定時で上がるように言われていたし、有給もちゃんと取れました。給料も良かったです。
上司はとても有能で人気のある人でした。

しかしその上司の下に配属されたことが私にとっては憂鬱でした。

完璧すぎる上司

彼の名前を仮にタミヤさんと呼ぶことにします。
タミヤさんはエネルギーに溢れた人で、古い表現になりますが「モーレツ社員」という言葉がぴったり来る感じでした。「お祭り男」とも呼ばれていました。
いつも精力的に仕事をし、声もデカく、元気で、周囲の人間をどんどん動かして目覚ましい結果を出していき、タミヤが通った跡に道ができるという感じでした。
頭もものすごくキレて、判断は的確でしたし、性格も偉ぶったり自分の考えを押し付けたりせず、さらには家庭を大切にしていて仕事の行き帰りに子供を幼稚園に送り迎えしているという、どこに欠点があるのかわからないような人物でした。

重すぎる責任

私の仕事はタミヤさんが作り出した業務で、彼の的確な指示に従って言われたことをやるだけでした。顧客からの評判もよく、部長からの期待も厚く、この仕事は今後どんどん拡大していきそうな気配でした。

タミヤさんはそれ以外にも大量の仕事を抱えていて多忙だったのですが、ある時聞いた話では私とやっている仕事は本来の彼の業務から離れすぎており、元の仕事に集中するために、この仕事からはあと1,2年ほどで手を引くことになっているということでした。
そしてそれを引き継ぐのが私らしいのです。というよりも私は当初からそのために彼の部下として配属されていたのでした。
これを知った時私は狼狽しました。
私はただタミヤさんの助手をやっていれば良いわけではなく、あと数年の後にはいま彼がやっていることを代わりに全部やらなければならなくなると知らされたのです。
出来るわけがない。

我々がやっていた仕事というのは、大まかに言うと「試作品の性能評価をする試験」でした。
例えば顧客が試作品A,B,Cを用意したとすればそれぞれの性能をテストしてデータに纏め、総合的に見てAが一番性能が高かったという結果を伝えるような感じです。
ですがタミヤさんは試験をするまでもなく試作品を見ただけでどれが一番良いか当てることが出来るし、試験中にリアルタイムで「この部分がネックになっているので形状をこう変えたらもっと良くなる」などと改善策を提示し、実際に試してみるとその通りの結果になるのです。

タミヤさんは何故そうなるのかの理由まで教えてくれるのですが、私にとってその説明は麻雀漫画「アカギ」での赤木しげるの説明と同じくらいしか理解できないものでした。
結果論をそれらしく言っているようにしか聞こえないのに、本当に言われた通りの結果が出るのです。手品か詐欺のようでした。
そんなタミヤさんの代わりを勤めることなど到底出来るはずがありません。

もちろん、すぐに同じことが出来るなんて誰も期待していないし、する必要はないこともわかっているのですが、いくら失敗しても大丈夫と言われたとしても草野球のピッチャーをプロのマウンドに上げるのは無茶ではないでしょうか。

タミヤさんのそばで出来る限りのノウハウを身に着けなければならないという意識はありましたが、いつまで経っても身についている気がせず、「自分は無能だ」という意識だけが募っていきました。

多忙すぎる男

そしてもう一つの問題なのですが、タミヤさんはあまりにも多忙すぎました。

タミヤさんの多忙さを象徴するエピソードに電話渋滞というのがあります。
オフィスの共通電話にタミヤさんあての電話がかかってきます。取りつごうとすると、既に彼は携帯で別の取引先と電話しているのです。「すいません、取り込み中なのでまたこちらから折り返し連絡させます」と断っている間にまた別の着信音がタミヤさんの懐から鳴り始める。会社から支給される業務用の携帯だけでなく私用の携帯にもまた別の電話がかかってきているのです。
そんな風景はタミヤさんが出張から戻ってきた朝には本当に日常茶飯事でした。そしてこの男、月の半分近くは出張しているのです。

そんな状態なので、彼から直接振られた仕事の報告以外に個人的な相談などする余裕は一切ありません。したところで途中で電話がかかってきて「すまん、その件はまた今度時間取ってゆっくり話そうな」と言われたっきりそのまま放置されるのです。
俺は遊園地に連れて行ってくれる約束を守ってもらえない息子か?

そんなこんなで、タミヤさんから振られる仕事が片付いてしまったら、あとはずっと「仕事をしているフリ」をするのが日課になってしまいました。
本来ならば自分で新しい仕事を作るべきなのですが、最初にとっかかりとしてタミヤさんから与えられたテーマは程なく行き詰まり、相談もできないため中途半端なまま投げ出してしまいました。

放置されてやることのない私は、タミヤさんが居ないときは「仕事をしているフリ」をし続けていました。
具体的にはテキストファイルに見えるブラウザで2chのまとめサイトを見たりして時間を潰していました。
画面にはエクセルやワードを大きく開いておいて横で小さいテキスト帳をスクロールしているという不自然な仕草を繰り返していたので、周囲の人たちも徐々に察していたと思いますが、同じフロアの人たちとは仕事上の関わりがほとんどないため彼らから直接注意されることはありませんでした。
タミヤさんにも俺がサボっていることは伝わって来ていたはずですが、自分がちゃんと仕事を監督できてない負い目なのか、他人が上から注意することではないと思っているのか、それとなく釘を刺されたことが何回かある程度で、結局は半端に放置された状態が続きました。
子供の頃はドラマなどに登場する「窓際社員」に対して仕事しなくても給料がもらえるなんて羨ましいと思っていましたが、実際になってみると、周囲の目を伺いながら仕事をしているふりを続けるのは苦痛でした。
同じフロアの人たちや後輩にまで裏で噂されているんだろうと考えると針のむしろに座っているような気持ちでした。
それでも何もしないで給料がもらえるのがありがたいことには違いありません。私はその立場にしがみついて給料という蜜を吸い続けました。

業務時間の大半は何もしていませんでしたが、隔週の業務報告会ではそれらしい報告を上げ続けていましたので、上司からは仕事はきちんとしているとみなされていました。内容自体はタミヤさんの指示でやっている仕事のまとめなのでそれなりの成果は上がっていますし、実態について詳しく把握している人が他にいないので、業務時間の大半何もしていないことは上司にはバレていませんでした。

退職の決意

そういった生活が4年ほど続き、そろそろ翌年頃には私にも平社員から何らの肩書がつくかもしれないという空気が出てきました。
肩書がついたり仕事が増えたりしたら何のスキルも身についていないことがバレてしまうではないですか。
給料泥棒も年貢の納め時だなと感じた私は、責任が重くなる前にバックレることを決意しました。
会社に寄生して得た貯金残高がこの頃には一千万円を超えていたこともきっかけになりました。

ある天気のいい春の日、会社の敷地内にある桜並木を歩きながら「今日みたいなのが死ぬには良い日っていうんだろうな」と思ったその足で部長に退社の意思を告げに行きました。

部長はのんきな狸親父といったおっさんで、「そうか~、まあ周りからは恵まれてるように見えても悩みっちゅうのは本人にしかわからんもんやからな」と異様に物分りの良いことを言ってくれました。
「辞めたあとに何するかはもう決まっとるんか?」と聞いてきたので、「辞めてからゆっくり考えようと思ってます」と答えると「次の仕事がもう決まっとるわけじゃないんやったら夏のボーナスが出るまでおったらええやないか」と驚くべき提案をしてくれました。
もしかすると一旦時間を取ることで考えが改まるかもしれないという彼なりの慰留手段だったのかもしれません。
しかし私は「もらえるものは遠慮なくもらう」を座右の銘としているので、「部長がボーナスまでいていいと言った」と言質を盾にして、課長や人事部長にもうしばらく居座ってから辞めることを宣言したのでした。
普段は温厚な紳士である人事部長がものすごく嫌な顔をしたのをよく覚えています。
6月30日まで働けばボーナスが貰えるということだったので、5月末まで出社して、6月は残っている有給を使って一月まるごと休みたいというと「そんな話は今まで聞いたことがない」と顔だけでなく心底嫌な声で言われたのは意外でした。
聞いたことがなかろうが法的な権利なので関係ないと思ったのですが、ちょうどその面談をしている間、人事部の新入社員が真剣な顔をしながら横でメモを取っていたので、あまり無茶なことをゴネていると思われたらかっこ悪いなと思ってしまい、それに関しては結局取り下げることにしました。
どっちにしろ私としてはもう辞めることを決めた時点でまともに仕事をする気がないので出社してようが同じだと思うのですけどね。

こうして私の退職が決まりました。
最後の日には同じ課で形ばかりの送別会が開かれました。
仕事を手伝ってくれていた一般職の方や先輩方が酒の勢いを借りて私に対する説教や苦情を繰り広げる糾弾会になるのではないかと恐れていましたが、居なくなる人間にわざわざエネルギーを使っても仕方ないと考えてくれる理性が有ってくれて表面上和やかなうちに終わることが出来ました(明らかに何か言いたいことを飲み込んでいる素振りはありましたが酒が回って爆発する前にうまく逃げ切れました)
タミヤさんからは最後に「なんでも良いから夢中になれることを探せ」という至極もっともなお言葉をいただきました。いやほんとそれな。どうやったら見つかるんやろうね。

送別会からの帰り道はこれまでにない清々しさでした。
猛烈な勢いでチャリを漕ぎすぎたせいで、走ってる最中にチェーンが外れて盛大に転倒し、膝を思いっきり擦りむいても全く痛みを感じなかったくらい、とにかく仕事から解放されて嬉しかったのをよく覚えています。

ここから私のニートとしての第二の人生が始まりました。

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