1人目を産んだ話

現在、私には子どもが2人いるんですが
産院も出産方法も全然違ったので
比較も兼ねてレポ。

【1人目】
・街のクリニック→大学病院で出産
・普通分娩
・大部屋
・母子別室
【2人目】
・街の産婦人科
・無痛分娩
・個室
・母子同室

因みに私はスピード出産タイプだったようです。
今回は1人目の話。


何も考えず、とりあえず
最寄りのクリニックへ行ったことが始まり。
最寄りのクリニックは小さくて
出産は出来ないタイプの施設。
最初の選択は
里帰り出産?この地域で出産?
の2択。

私も夫も実家は新幹線必須の遠方。
私の実母は他界していて
実家には戦力にならなさそうな父と
折の悪い祖母が住んでいるので
里帰りという選択肢は一切頭になかった。

そのクリニックで紹介できる産院は
2駅隣の大学病院のみ。
「リッチな産院ではないけど、いい?」
先生にそう聞かれたけど
『じゃぁヤダ』ってものでもないし
他の産院のあてもないし承諾した。

基本的にはそのクリニックに検診に行き、
特別な診察や出産直前の検診は
産院である大学病院へ行くというスタイル。
通い始めてわかったことは、
大学病院の待ち時間めちゃくちゃ長い。
予約時間の1時間後に診察が始まる
なんてしょっちゅうで
予約出来てるのか疑ってしまうことも多々あった。
本やスマホは欠かせなかった。

妊娠期間の経過は順調で
悪阻も殆どなかった。
強いて言うなら、
妊娠発覚するくらいの初期に体調が優れず
毎朝テレビから聞こえてきた小田和正が嫌いになったのと
水が飲めなくて
スポーツドリンクやお茶を好んで飲むようになった。

しばらくすると
検診の度に「血圧が高め」と言われるようになった。
いわゆる妊娠高血圧の予備軍だったそう。
特に制限があったり薬が処方されるわけでもないが
家でも血圧を測るよう指示が出た。


初めての妊娠で
妊娠に関する家系的な傾向を聞く相手もいない
ということもあり
赤ちゃんはほぼ出産予定日に出てくるもの
と思っていた。
だから規定の産休の日が来るまで
がっつり働き、
出産準備も手をつけず、
産休に入ってから
帰省を兼ねた旅行を1週間程した。
(今思うと凄い。やめとけよと思う。笑)

産休に入ってからは
変わらず働く夫に申し訳なくて
毎日大掃除レベルの掃除をして
買い物を兼ねた散歩を2時間くらいして
何とか時間を使っていた。
(大人しくしとけば良いのに。笑)

そんな生活をしていたある日、
夕食後に夫とアイスを食べていると
お腹がしんどい気がして
床に座っていられなくなった。
でも高さのあるダイニングチェアなら平気で
他に何の症状もない。

なんかお腹痛い気がする。
でも大したことないし、寝たら治りそう。
明日の朝イチ病院行ってみるかなー
なんて思いながら就寝。
この時22時。
この程度の痛みは陣痛じゃない
って思い込んでたのと、
それまでに行った両親学級で
「陣痛だと思って病院に来るのが早すぎると
1度帰宅させられることがある」
と散々言われてたので
終電間際のこんな夜中に病院行って
陣痛ちゃうから帰れ
って言われるのが嫌で嫌で
絶対翌朝病院行ってやる
って思ってた。
(アホや。早よ病院行き。笑)

寝よう寝ようと思うと全然寝れなくて
トイレ行って誤魔化したりして24時。
「まだ23時⁉︎」
って絶望したので
陣痛タイマーのアプリを起動させてみた。
15〜30分間隔くらい。
てか陣痛タイマーの使い方もよくわからん。
一応病院に電話してみたけど
なんか曖昧な対応(に思えて)、
「1時間後にもう1度電話ください」
とのこと。
この苦しみにあと1時間耐えなあかんのか…
(そろそろ陣痛やと気づこう)

この時、気を紛らわすためと
尿漏れ?のため3回くらいトイレに行くんやけど
後に破水だったことが発覚する。
破水って
「パチン」って音するとか
止められない水が出てくる
とか言うけど、
音もしないし
尿漏れくらいの力入れたら誤魔化せる程度の水量で
破水やと思ったのに尿漏れやった時が
恥ずかしすぎて夫にも助産師さんにも言えなかった…
高位破水って言うらしい…

ともあれ1時間後にやっと電話。
間隔も狭まってるから
とお許しが出て
やっと病院へ出動。
車の無い我が家。
でもこの日は奇跡的に
夫が営業車で直帰していて車が…!
有難くお借りしました。笑

病院へ到着したものの、
行き先は中央エレベーターで数フロア上がった所。
と、、、遠い。。。
苦しみ、這いつくばりながらエレベーターホールへ。
夫はパニックでオロオロするだけ。
入口に車椅子とか置いてあるし借りよう?笑

診察され、子宮口7センチ。
「分娩台行こっかー」と車椅子に乗せられ分娩台へ。
どこが痛いっていうよりは
全体的に絶望的にしんどい感じ。
呻きまくってた。
呻いていっぱい息吐いてってしてたら子宮口全開。
いきむ。
ってどこに力入れて良いんかさっぱりわからん。
脚?腹筋?
とか思ってたら
「ウ○チ出す感じで!」
って助産師さん。
いや、マジで出たらどうすんの?
って脳裏をかすめたけど
もう痛いししんどいからさっさと終わらせたくて
『えぇーい、今までに出たことある人もおるやろ
出してまえ!』
っていきむ。笑
大丈夫、出なかった。笑

足元の助産師さんと
隣で立ち会ってる夫に
「その調子!」とか「あとちょっと!」「もうすぐ!」
とか色々声かけてもらったんやけど
だんだん
『あとちょっとって何回言うねん、
全然ちょっとちゃうやんけぇぇえ!』
ってイライラした。笑
ひどいな。笑
でもな、その時は心の余裕なんて無いんや。笑
イライラは全部いきむ力としてぶつけたわ。笑

何かもう無理
って気絶する時みたいな
血の気がサッと引くような感じがした時に
「いきむの止めて!」
って止められた。
ドゥルンって何か出る感覚があって
しばらくしてから泣き声が聞こえた。

生まれた。


1回目の電話から3時間半。
初めての出産とは思えないスピード出産でした。

足元側に夫が呼ばれて
赤ちゃんの処置の手伝い。
私は台の上で胎盤等の処置をされた。
縫わなくて済んだらしい。

やる事が済んだスタッフの人から
順番にいなくなっていった。
音楽を流してもらってゆっくり休憩。
そろそろ病室へ行こうかという頃には
朝日が昇り始めていた。
眠くて電池が切れそうな夫。
オールで立ち会いやと眠いよね。笑
私はアドレナリンでも出てるのか
目は冴えてた。


夫は1度帰宅。
私は大部屋へ連れて行かれた。
保健室のベッドに寝てる気分。
目が冴えてるのと
大部屋の慣れない環境で
全く眠れなかった。


ここから退院までは
赤ちゃんと暮らすための訓練のような時間が始まる。
日中は自分のベッド横に
赤ちゃんのベッドを置いて
一緒に過ごした。
夜は赤ちゃんの部屋に赤ちゃんを預けて
私は大部屋のベッドへ。
1〜2日目まではまだ良かった。
数日経つと夜間授乳のため
赤ちゃんが泣くたびに看護士さんに起こされ
赤ちゃんの部屋へ行き、授乳をして
自分のベッドへ帰る。
これがなかなかキツい。

3時間おきに授乳
って育児書に書いてあるけど
タイマーをセットしてるわけでもないので
2時間や1時間後に泣くこともしょっちゅう。
眠い目をこすり、灯りの眩しさに耐え
移動や授乳体制を整えるのに10分、
片乳10分ずつ授乳し
残ったのは30分。
横になった途端に眠れるわけでもなく
寝ついた頃には次の授乳の時間。
お腹やお股の痛みに耐え、
赤ちゃんが咥える乳の痛みに耐え、
本当に過酷だった…
乳こんなに痛いのかとゾッとした…
血も出た…
こんなに頑張ってるのに
飲んでも飲んでも出てこない、お腹空いた
と大泣きする赤ちゃん。
いや…無理……(涙)

今になってわかったのは
母乳推しの病院だったということ。
私自身は母乳にこだわりがあったわけでもなく
『出りゃいいなー』
くらいのものだったけど
ここの病院は事情がない限り
なかなかミルクはあげさせてくれなかった。
どこからが無理かわからない
っていうのが正直な所ではあるものの
無理せずミルクも上手にあげれば良かったのにな
と思う。
そりゃ母乳が出るに越した事はないけど
ぐったりボロボロになってまで
あげるものではないし
使える物は上手く使うべきだと思う。

あとこの病院で悲しかったのは
ご飯が美味しくなかったこと。
大学病院なので
給食みたいな感じのメニューと味かなー
と漠然と思ってた。
違った。美味しくない。。。
ショックだったのは牛丼。
献立の牛丼の文字を見て
吉○家みたいなのかなー
と思ってたけど違った。
パサパサの肉が出てきた。美味しくなかった。

あと飲み物が無い。
毎日面会に来てくれた夫に
2リットルのペットボトルの水をお願いした。
冷蔵庫も無いので常温で飲んでた。
他の人はどうしてたんだろう。
どこかに自販機でもあったのかな…
私は自販機を見つけられなかった。


当時は初めての入院ということもあって
勝手がわからないし、こういうものか
と全て受け入れていた。
もっと上もあったんだ…


そんな環境でも
赤ちゃんは元気に育ったし
私も急に泣き出してしまう日もあったけど
夫と2人でもなんとかやってこれた。
鬱にもならなかった。
無理はしない方がいいけど
無理してる時はそのことに気づかないもの。
逆にわざと休憩したり楽するくらいの方が
世の中上手くいくのかもしれない。

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