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【ことば雑考】『たいと・おとど』考

 最も画数の多い漢字は何だろう?

 かような疑問が 姿を現した際 その途上で 必ずと言って良いほど 候補として 挙げられる 漢字がある

 それは 一般的な辞書の範囲で見られる 29画の「鬱」 30画の「鸞」 33画の「麤」らを 実に84画を誇る ぶっちぎりの画数で 差し置く 次の漢字だ

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 インパクトは絶大である

 雲三つに 龍三つと これらで たった一文字を 表しているのだから 圧巻である

 現在では この漢字に関する wikipediaの解説も 潤沢になり それなりの 概要を知れる所となった

 では 何故 こんな項を 筆者は わざわざ 書すに至ったか

 まず 「この漢字が今以て謎を多く秘めている」という興味

 次に 「wikipediaの記載では情報が不充分・未整備である」という不満

 そして 「この漢字に関して考察が殆どなされていない」という奮起

 主にこれら 3点の理由がある

 拙筆ながら 本項では 筆者が蒐集した情報と そこから考えられる推測を 縷々 記しておく



出典

 この漢字は 一般的な漢字・漢和辞典の類では 今の所 決して お目に掛る事は 出来ない

 中国における数多ある辞書に 記録されている 膨大な漢字を 徹底して蒐集した 『大漢和辭典』(諸橋轍次著)にすら 記載の痕跡は無い

 この事から この漢字は 国字・和製漢字 であるのは明解である

 では 一体 どこに潜伏しているのか

 姓氏 いわゆる 苗字の文献である

 つまり この漢字は 「最も画数の多い苗字」 という事でもあるのだ

 しかも どのような 姓氏関連文献にも 登場しているか というと そうでもなく 現在 確認出来るものでも 10件にも 満たない為 掲載されている事すらも珍しい というのが実情だ


読みと字形

 冒頭で 載せた通り この漢字は 「雲」3字と「龍」3字を 組み合わせた 構造をしているが 2種類の字形として 確認されている

 そして 不思議な事に この2種類の字形 それぞれで 読み方が 異なっているのだ

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  一方は 雲3字と 龍3字が そのまま 重ねられた 字形で 仮に「二重三角形型」 とでも呼ぼう

 この字形に 当てられている 読み方は 「たいと」で 最も よく知られている 読み方でもある

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 もう一方は 雲3字の 下段の双雲の間に 龍の1字が 押し込まれた字形で 仮に「五角形型」とでも呼ぶ

 この字形に 当てられている 読み方は 「だいと」「おとど」の 二種が 確認されている

 字形に 若干ではあるものの 差異が見られる上 各々で 読みまで違っており 果たして 同一の漢字として 括るのは 適切なのだろうか という疑問もある

 この字形と読みの差異に関しては 何も解っていない

 字形についてであれば 二重三角形型では 文字サイズからして 潰れて見えなくなる 可能性があった為に やむなく 雲雲の間に 龍を収納した という 「印字の都合」説も 考えられなくもない

 そうは言うものの 「たいと」と「だいと」では 濁点の有無の違いでしか ないかもしれないが これも 不可解である

 しかも 五角形型においては 「おとど」 という 全く「たいと」の音と 無関係としか 思えない 読みが加わっており 一層 謎を深めている


意味

 結論から言うと 意味(字義)は無い

 掲載されている文献が 表記と読みが ひたすら 列挙されているタイプの 辞典である為に 字義や語源は 全て黙殺されている

 この漢字を 社名の由来とした 株式会社タイトソリューションの 「会社概要」では

たくさんの雲の中を勢いよく、龍が登っていくことから、広がりがあり勢いがあるなどの意味があります。

 というように 説明されてはいるが 文字のパーツから イメージしたに過ぎないだろう

 この他にも 「運気が上がる」の意味がある といったような 俗説も あるようだが これも イメージ由来の 創作と考えられる


最古の文献

 この漢字が 初めて その存在を露にしたのは 1964年

 『実用姓氏辞典』(大須賀鶴彦編集代表)に おいてである

 ここで掲載されていたのは 「二重三角形型」「たいと」であり 以後 この漢字を掲載する 殆どの文献での原典と されている

 この字形と読みが 最も 知られているのは この為だ

 本書には 「尾形哲郎(日興証券株式会社勤務)」による「まとめ」にて 次のような 記載がなされている

私もお客様の名簿を扱い業務に従事して数年になるが、
やはり苗字の読み方に泣かされた一人である。…(中間略)…
いっそお名前辞典を作ってみようかということになって
数万の苗字を集めるには集めたが、
整理し、編集、印刷することは素人には至難事であった。
二年に渉って集めた資料を眺めて拱手傍観しているところへ、
株式会社メーリングの大須賀鶴彦社長からお名前辞典を編集して
宛名業界に貢献したいという話があったので、
喜んで当社の資料を提供し協力することにした。

 ここには この辞典が編集された経緯が 述べられているが 問題の ”たいと”の漢字に関わる記載は 残念ながら 一切 触れられてはいない

 つまり 原典で既に この漢字の出自は 不明なのである


逸話

 出自不明であった この漢字の”逸話”が 初めて触れられたのは 『実用姓氏辞典』初版から 実に17年後の 1981年

 『姓氏の語源』(丹羽基二著)においてである

 「まぼろしの難姓」と 題したコラムで 記載が確認出来る

「雲」を三つ盛りに書き、さらにその下に「龍」を三つ盛りにして一字。
タイトとよむが意味、いわく一切不明。

何かの間違いかも……と思われるがメーリング社発行の
「実用姓氏辞典」にはちゃんとある。
日興証券株式会社で、約百万人の客のカードから出てきた。

ある日一人の青年がとつぜん証券会社にあらわれ、
一流株を大量に注文する。その金額は億に達する。
支店長以下総立ちになり、それとなく金のありかを正す。

「あやしい者ではない。金はここに持っている。事情があって
銀行を通さずに来た」と落ちついて口調もさわやかだ。

「では、ご注文のためにお名前を?」「タイトと申します」
「どういうふうに書かれますか?」
「三匹の龍が三片の雲を呼んで天に昇る形です」
「?」「こう書きます」と、言って名刺を出してみせた。

もし、タイトさんがいられたら、姓のいわくをあかしてもらいたい。

 先にも言った通り 『実用姓氏辞典』には 出自の記載はないが故に この逸話は 著者独自に 入手した情報であると 思われる

 後の同著者の文献でも 概ね同様の内容で 触れられ そこでは

もっとも、偽名ということも大いにありうる。
(『苗字の謎が面白いほどわかる本』の「幻の超難姓」より)

 といった一文もある (後述するが 現に この漢字には 偽名もしくは仮名による「造字」説もある)

 この文献では 発表されたのは この「大金を持って現れた人物がこの漢字の載った名刺を差し出した」 という逸話だけであり 著者が どのような経緯で このような話を 入手出来たのかは 不明である

 ここから 推察すると 逸話が事実であるならば この漢字の載った ”名刺”が存在している事になるが 現物の実在は 証明されていない

 もし その人物が 他所でも その名を 名乗って居たのであれば 他からも 情報が寄せられても おかしくないのだが そういった話は無いようである

 下の名前が なんであったのかも 気になる所だ

 考えてみれば その人物が 証券会社を訪れたのは 『実用姓氏辞典』が世に出る 1964年以前である事は 間違いないとしても 仮に当時25歳であったとするれば 2019年現在で 齢80は 当に越えているはず

 事によれば その人物”たいと氏”は 存命であるのかもしれない


由来

 この漢字には 「偽名・ペンネーム造字」説がある という事は 先にも言った

 この理由は この漢字の 字形に起因する

 即ち この漢字は 「二種類の漢字の合成文字である」というのである

 「偽名・ペンネーム造字」説 改めて 「合字」説とでも 称する

 1990年 『国字の字典』(飛内良文監修)にて 以下の様に 触れられている

漢字「䨺(たい)」と「龘(とう)」の合字
※( )ルビは筆者附

 閲覧環境によっては 見えない場合も 考えられるので 解説しておくと 『雲三字で一字の「たい」』という漢字と 『龍三字で一字の「とう」』という漢字の 合字であると ここでは 説明されている

 これ「合字」説なり

 実際 この 雲三字「䨺(たい)」と 龍三字「龘(とう)」は 『大漢和辭典』においても 掲載されており いうなれば ”実在する漢字”だ

 後に 2006年『日本の漢字』(笹原宏之著)でも

「たいと」は、「龍」三つ、「雲」三つを重ねた姓であったと伝えられているが、「たいとう」という二字の仮名であったのではないかと思われる。

 と 同様の解説を以て 述べられている

 (『日本の漢字』内では 当初 龍三字を「たい」 雲三字を「とう」と誤って 記載していたが 後の版で 修正されている)

 「合字」説 なるほど これによって このような字形である理由 及び「たいと」と読む理由 それぞれに納得はいく

 しかし 賢明なる諸君は 既に ある疑いを 抱き悶えている事だろう

 では 「だいと」「おとど」は 何故発生したのだ と

 残念ながら この「合字」説からは 「だいと」「おとど」の由来は 説明出来ないのだ!


奇妙な修正

 「五角形型」の「だいと」「おとど」

 実は この形式で 掲載されている文献は 世に2種類しか無い

 1977年『難読姓氏辞典』(大野史朗・藤田豊編)によって 初めて この形式は 確認されている

 そして もう1種類 1983年『日本全国 名前(姓)の読みかた〔50音編〕』(尾塚疎編[非売品])においても この 「五角形型」が観測出来る

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 (画像:筆者の所持する現物 中学生時分に祖父宅で発掘)

 さて この2種類の文献にて 「五角形型」を 発見出来る訳ではあるが ここにおいて 実に不可解な現象が 見出されてくる

 『難読姓氏辞典』では 「だいと」「おとど」の 二つの読みが掲載されているのに対し それを原典としたはずの 『日本全国 名前(姓)の読みかた〔50音編〕』では 読みが「おとど」のみと なっている

 実質的に 「だいと」という 読みを記載したのは 『難読姓氏辞典』が唯一なのである

 『日本全国 名前(姓)の読みかた〔50音編〕』が 何故に 「だいと」を 除外したのか これも謎である

 更に 謎めいた事実がある

 先ほど ”『難読姓氏辞典』では 「だいと」「おとど」の 二つの読みが掲載されている” と言ったが これ実は 正確ではない

 どういう事か

 以下の画像を ご覧頂きたい

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 『難読姓氏辞典』の 左が「初版」であり 右が「五版」である

 一目瞭然であろう

 『難読姓氏辞典』では 当初は「だいと」の読みしか 記載が無かった!

 「おとど」という読みは 後になり 追加された読み方 だったのである

 後に 『日本全国 名前(姓)の読みかた〔50音編〕』が 「おとど」と掲載したのを 逆輸入したのではないか?

 という思いが 浮かび漂ってきた方も いるかもしれないが しかし だがしかし

 『難読姓氏辞典』の五版は 初版から2年後の 1979年であり 『日本全国 名前(姓)の読みかた〔50音編〕』の登場は 更に そこから4年の月日を 待たねばならない

 結局のところ 逆輸入では ありえないのだ

 五版以前の 二~四版では どうなっているか 現在 確認は出来ていないが 少なくとも 「おとど」という読みは 版を重ねる たった2年の間で 突如として 出現した事になる

 更に付言すれば この『難読姓氏辞典』は この漢字を収めた文献としては デビュー文献である 『実用姓氏辞典』に次いで なんと 二番手の出版となっている

 本文献では 当然ながら 所拠の詳細は絶無であるが 『実用姓氏辞典』を原典としているか否かは 判断しかねる上 ひょっとしたら 全く 別筋からの 仕入れで あった可能性すら 考えられる

 仮に 『実用姓氏辞典』を 原典として おいたとするならば

 ・何故 「二重三角形型」を 「五角形型」に変形させたのか
 ・何故 「たいと」ではなく 濁点を付して 「だいと」としたのか
 ・何故 「おとど」なる読み方が 加えられたのか

 新たなる謎が これによって 更に増す事となった


読みの意味

 そもそも 「おとど」とは 何なのだろうか

 この言葉 なんと 実際に存在する

おとど〔名〕⦅「大殿門おほのと」の転か⦆
🈩大殿    貴人の邸宅の敬称。御殿。
🈔大殿・大臣 ①大臣や公卿の敬称。②婦人の敬称。
(『古語大字典』中田祝・和田利政・北原保雄編)

おとど 大殿・大臣(「おおとの(大殿)」の転)
①貴人の邸宅やその中の建物を尊んでいう。御殿。
②邸宅の主人である貴人の尊称。また、特に、大臣、公卿の尊称。
③女主人や女房など、貴婦人の尊称。
(『国語大辞典 言泉』林大監修)

 意味する所は 各辞書で 殆ど変わりは無いようであるが 「尊称」であるという部分は 含むすべての意味で 共通している

 ただし 「おとど」の読み方については 別の解釈も考えられる

 車車車 車3つで 「轟(とどろき)」 という漢字 ご存じの方も 多い事だろう

 より マニアックな漢字好き もしくは 地名愛好家が いるとすれば 青森県西津軽郡深浦町の 「驫木(とどろき)」をも 既知と思われる

 雲3つ・龍3つという この漢字の字形からも 見て取れるように 「轟」「驫」も 同じ漢字を3つ組み合わせた構造になっており ここから 「とどろく」という読みをスキャニングして 「おとど」と 当てたのではないか という見方も出来る(※「驫」には本来「とどろく」の意味は無く「とどろき」読みは現地名のみ特有である)

 ところで もう一方の 読み方である 「たいと」

 先に 合字に「たいとう」が由来 である事を示唆した為 実際に「たいと」それ自体に 意味などは 無いはずではある

 が しかし 「たいと」も 言葉として 実在はしている

たいと 泰斗(「泰山北斗」の略)
ある分野で権威を認められ、尊敬される人。
(『国語大辞典 言泉』林大監修)

 「尊敬される」という点では 「おとど」での「尊称」とも 何かしら 関連は持たれて いそうにも 見えるが 本質的には 意味全体の関係性は 定かではない

 一方で 別の辞書では 更に 異なる語句が 掲載されている

たいと 大途
🈩名 大変なこと。大仕事。
🈔副 全部とはいわないまでも大部分が覆るさま。だいたい。おおよそ。

たいと 台徒
天台宗、特に比叡山の僧徒。

たいと 大都
「都」は「すべて」の意。おおよそ。おおむね。だいたい。たいてい。

(『角川古語大辭典』中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編)

 「おとど」に比べると かなり 多様な語が ある事が解る(「だいと」は上記語句の ”大”の読み方の違いに よるところが多い為 省く)


結び

 この漢字に関する 文献からの調査は ほぼ 手詰まりであろう

 これは 「日本の苗字最大の都市伝説」と言っても 過言ではない

 筆者は これまでの情報と それに加えた推測(想像)によって 一つの結論 いわば 一つの”物語”を 構築した

 しかし それは恐らく いや確実に 全く荒唐無稽の説となろう

 余分な尾鰭 背鰭 腹鰭を 生やした 新たなるキメラを 培養する 気の触れた科学者の如きと 思われても 仕方ない

 本項は この漢字に関わる ”考察素材”の提示をするに留め 筆者の自説(ここでは触れていない情報含む)を 公開するのは 差し控える

 考察の要点は 「この漢字の発生由来」「字形及び読み方の差異」そして「当該人物(青年)の正体・目的」 ここに尽きる

 門戸は開かれた!

 獺祭の如く 示唆は wikipedia以上に 取り並めたと 自負している

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