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【ことば雑考】『禁后』考

 2ch(現5ch)オカルト板内の 「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」スレッド 略称と共に そこに投稿された 怪談・怪異譚を称した「洒落怖」は 独立した一つのホラージャンルとして 聳立していると言っても 良いだろう

 中には 長編の代表作としても名高い 「姦姦蛇螺」「リゾートバイト」「リアル」といったモノも 含まれている(今挙げた 三話を含む いくつかの話は 当スレッドが初出ではなく 元々 別の投稿サイトに 寄せられていた話が 転載されたモノである事が 判明している

 「洒落怖」の 特に長編においては 核心となる部分が 未解明のままに 終わるモノが その多くを占めている為 ホラー的雰囲気を 楽しむ他 「考察」という形で 楽しまれている面も 大いに散見している

 『パンドラ[禁后]』(以下『禁后』と表記する)は 「洒落怖」の中でも 一際強く 考察欲求を 呼び起こす ストーリーであると 言っても 過言ではないだろう

 多くの解明されない点が 残るまま 不気味に終焉する この『禁后』には 他の洒落怖には無い 特徴的な考察ポイントが存在する

 それが タイトルにもなっている『禁后』の読み方

 本項では この『禁后』の読み方について 無謀にも 思索を巡らしてみようと 試みた

 『禁后』の粗筋を スケッチしておく

【前編】(体験談 2009年2月11日投稿)
 ある田舎町で 孤立した形で建つ 玄関の無い一軒家に 当時中学生の投稿者と 友人達が潜入し そこで 異様な儀式的装飾を目する
 とある切欠によって 友人の一人”D”が狂い廃人化してしまい 大人達に報告をするも もはや手立てもなく その後 廃人となった友人”D”とその家族は 土地を離れ 残った投稿者と友人達も 互いに疎遠となり 数年を経て 何も事情が解らぬままとなる
 その間に 投稿者の母宛に Dの母親から手紙が届くが 内容を教えてもらえず 母が意味深な事を呟く といった所で前編は終わる
【後編】(伝聞 2010年3月17日)
 ある家系に 母から娘へと 受け継がれていた ”母が楽園へ行く”為の風習があり 特殊かつ残酷な教育と儀式が 娘に施されていたが いつしか風習は廃れ 一部だけが形式的に 残っていた
 その家系に育ち 生活を送っていた 八千代という女性の 娘・貴子が 10歳の誕生日に 自宅で惨殺されており 近隣住人らが 居なくなった 父親を捜し回る中 八千代が娘の傍で自殺 その後 連絡を受けて訪れた 八千代の両親が この家に呪いを施したから誰も近付くな と言い 後日 行方知らずだった父親が 玄関前で死体で発見される
 供養の印として残された家は 後に老朽化が原因で移設 その際に 人が侵入出来ぬよう 玄関を造らない構造を 施した
 投稿者の友人らの 親達の中にも 子供時分に この家に侵入し 同様の現象に見舞われた事が あったとの補足の下 最後に その家系で行われていた 儀式の細部を記し 後編は終わる

 以降 本文(ほぼ後編)から 適宜 引用を行なう事とするが 考察に必要な箇所のみの引用となる為 なるべく 本編に目を通してから 読む事推奨

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『禁后』の前知識

 まず『禁后』とは 何であるか 確認しておこう

母親は二人または三人の女子を産み、その内の一人を『材料』に選びます。
(中略)
選んだ娘には二つの名前を付け、一方は母親だけが知る本当の名として生涯隠し通されます。
『紫逅』は八千代の母が、『禁后』は八千代が実際に書いたものであり、

 『禁后』は 母親から与えられた 娘の”隠し名”である

 そして 『禁后』の名を 与えられたのは 八千代の娘 すなわち 貴子である

 ここで一つ 厳重に注意すべき点がある

 それは 「『禁后』の読み方は”パンドラ”だ」 という言説が 質問を提示し解答を頂戴する類のページなどで 展開されているケースだ

 これは ベテルギウスほどに 巨大な間違い

 冒頭で 投稿者が しっかりと 述べている

どう読むのかは最後までわかりませんでしたが、私たちの間では『パンドラ』と呼ばれていました。
窓やガラス戸はあったのですが、出入口となる玄関が無かったのです。
(中略)
いつからか勝手に付けられた『パンドラ』という呼び名も相まって、
当時の子供達の一番の話題になっていました。(この時点では、『禁后』というものについてまだ何も知りません)

 タイトルを見ると 恰も「パンドラ」が 『禁后』の フリガナであるかのような 表記をしている為に 誤解されがちだが 本文を見てお解りの通り 「パンドラ」は元々 玄関が無い問題の一軒家を指す あくまで通称に過ぎず 『禁后』の 本来意図された 読み方では 断じてない

 更に投稿者曰く

万が一知られた時の事も考え、本来その字が持つものとは全く違う読み方が当てられるため、
字が分かったとしても、読み方は絶対に母親しか知り得ません。
母親と娘の二人きりだったとしても、決して隠し名で呼ぶ事はありませんでした。
忌み名に似たものかも知れませんが、『母の所有物』であることを強調・証明するためにしていたそうです。
娘が16歳になる日に最後の儀式が行われます。それは鏡台の前で母親が娘の髪を食べるというものでした。
(中略)
やがて娘の髪を食べ終えると、母親は娘の本当の名を口にします。
娘が自分の本当の名を耳にするのは、この時が最初で最後でした。

 『禁后』には ”本来その漢字では読み得ない読み方”が 付けられる ここがポイントである

 「禁」は「いさ-める」 「后」は「み」 という読み方があるから 「いさみ」ではないか とか 貴子は 「きこ」と読み それぞれの音に 基づいた 「きんこう」で もういいんじゃないか とか そうした解釈は 決してありえない

 勝手な読み方を 当てられているのであれば 探りようが 無いではないか! 反省しる! と ご立腹なされる方が 発生するかもしれない

 しかし 手懸りが 何一つ 無い訳ではない


字解きと意味

 ここで 以下のような 推測をしてみたい

 隠し名の風習は その家系で 代々 受け継がれていた為 隠し名の付け方には 何らかの 法則が あったはずである

 何より 母親は娘に 隠し名を与え 最後の儀式を 終えた際に たった一度だけ 娘に その隠し名の読み方を 伝える事から もし隠し名に法則があったとすれば それは娘が たった一度だけ聞いても 明解に理解し得る法則である 可能性が高いだろう

 そこで 貴子の隠し名である『禁后』と もう一つ 八千代の隠し名である『紫逅』から 法則の探究を 行なおうと思う

 たった二例の素材しか無いが これらが 隠し名の法則を そのまま継承しているはずだと 仮定して推察する事とする

 まず解る事は 隠し名は 漢字二文字で 構成されており 二文字目には 「后」の文字が(八千代の場合は部首が別途付属した「逅」として)使われている という点

 「后」は 「天皇・君主の妻」や 「中宮(太皇太后宮 ・皇太后・皇后)」 あるいは 「先代の地位を正当に継いだ者」なども 表す

 主として「特別な地位の女性」を表し 母娘を伝って 「受け継がれる」事から この字が 宛がわれたと 見る事が出来るだろうか

 問題は 一文字目である

 「禁」と「紫」に 何かしら 共通項は あるのだろうか

 実は 「紫禁(しきん)」という 熟語が存在しているのだ

 中国学者:レジナルド・ジョンストン著『紫禁城の黄昏』にも 見られる この「紫禁」という言葉は 「天子の居所・禁中・宮中」を 表わしている

 「禁」自体に 「神域」の意味が 含まれており 「紫」に至っては 「高徳・高貴を象徴する色」として 用いられていた 歴史がある事も相俟って 共に 「特別な存在である事」を表わす 意味合いが 共通しているとも 言えるだろう

 本編において 娘に対する儀式を終え 自らの髪をしゃぶり続けるだけの 廃人と化す母について 以下の様に 説明がなされている

母親の存在は誰も見たことも聞いたこともない、誰も知り得ない場所に到達していました。
これまでの事は、全てその場所へ行く資格(神格?)を得るためのものであり、
最後の儀式によってそれが得られるというものでした。
その未知なる場所では、それまで同様にして資格を得た母親たちが暮らしており、
決して汚れることのない楽園として存在しているそうです。
最後の儀式で資格を得た母親はその楽園へ運ばれ、後には髪をしゃぶり続けるだけの脱け殻が残る…
そうして新たな命を手にするのが目的だったのです。

 娘に施された 異様な教育や儀式は 母が楽園と呼ばれる場所に 運ばれる為のモノであった

 この事から 察するに 「禁」や「紫」 いわば 一文字目には ”楽園を示す一字”が 使用されていたのでは ないだろうか

 字面から 考えると 『禁后』は 「楽園のきさき(となる)」 『紫逅』は 「楽園に(で)巡り合う」 と言った 意味を持つ名か

 『禁后』以前の 女性達には ひょっとしたら 「后」の字が 「垢」「銗」「𡧻」など 他の部首と合わせ(造字の場合もあっただろうか) 意味合いに変化を 持たせていた可能性も 考えられる

 更に

 「后」の文字が 使われる事には 重大な理由が あったように思える

 儀式の内容の一部を 見て頂きたい

隠し名を付けた日に必ず鏡台を用意し、娘の10,13,16歳の誕生日以外には絶対にその鏡台を娘に見せない、
という決まりもありました。
10歳の時、母親に鏡台の前に連れていかれ、爪を提供するように指示されます。
ここで初めて娘は鏡台の存在を知ります。
(中略)
その日は一日中、母親は鏡台の前に座って過ごすのです。
最後の儀式、それは鏡台の前で母親が娘の髪を食べるというものでした。
食べるというよりも、体内に取り込むという事が重要だったそうです。
丸坊主になってしまうぐらいのほぼ全ての髪を切り、鏡台を見つめながら無我夢中で口に入れ飲み込んでいきます。

 儀式を行なう上で 最も重要なアイテム 「鏡台」

 MIRROR(ミラー・鏡)と MIRACLE(ミラクル・奇跡)が 同一の語源であると 言われている事もあり 古来より 鏡が神事や儀式に 用いられる例は多い

 余談だが 母が一日中 鏡台の前に座って過ごす というのも ある種 心理的な視点から眺めれば 自身の顔を 見つめ続ける事による 意識変化を目的とした モノであるのかもしれない(人は互いに見つめ合うと幻覚を見てしまう!?/ATLAS

 意図してか偶然かは 不明であるが この ”鏡”が 重大だ

 「后」の字 これを 鏡映しにすると とある 別の字になるのだが お気付きになるだろうか

 書体を変えて ご覧頂きたい(左が「后」)

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 お解りだろうか

 「后」の字を 鏡映しにすると 「司」の 字になるのだ(最古の漢字字典とされる「説文解字」にも 司は”后の反文”と 表記されている)

 「司」は 「神に口でことばを告げる」「人々をとりまとめるのに神意を伺い覗く」 といった 意味を持つ事から ”自らは楽園に導かれる重要な存在である” という事を示唆していると 考えられる

 これらの事から 隠し名は 楽園へ到達する為の 真言的意味合いを 持っているモノであると 推察出来る

この家系では男と関わりを持つのは子を産むためだけであり、目的数の女子を産んだ時点で関係が断たれるのです

 時に このような点から 『禁后』をして 「嫁(后)になる事を禁ずる という意味ではないか」 という考察もあるが 前述の通り それよりも 遥かに 強烈な暗示を 預けた名前で あったのである


娘の役割

 我々は 『禁后』の読み方を 知る事が目的であったはずでは ありませんか! 意味の追究は 見当違いではないでしょうか! どうして夜中に起きてるんですか!

 焦らずに

 しばし お口チャックし直して 真摯に 聞き耳を立てて頂きたい 

 さて 隠し名の意味を解いた

 それは 「楽園へ到達する 及び それを担う身である」 という意味であると まとめられるだろう

 ここで チェックしておく 事柄がある

 それは 隠し名は誰の為のモノか という事だ

 親が子に授けた 名前なのだから 子の為ではないか と お思いであるなら 今一度 本編を 見返してみると良い

その家系では娘は母の『所有物』とされ、娘を『材料』として扱うある儀式が行われていました。
忌み名に似たものかも知れませんが、『母の所有物』であることを強調・証明するためにしていたそうです。

 教育・儀式の対象として 選ばれた娘は 母にとって 楽園へ到達する為の 儀式具 もしくは 材料でしかない ここがポイントである

 つまり 隠し名は 子の将来の為に 授与したモノなどではなく 明らかに 母自身が 楽園へ到達する為の 所作でしかないのだ

 では 母の”所有物”と定められた娘は どのような役割を 負っていたのだろうか

 これについて 明確な説明は無いが 推測するに値する 以下の部分を 見てみよう

 10歳の時、母親に鏡台の前に連れていかれ、爪を提供するように指示されます。
ここで初めて娘は鏡台の存在を知ります。
(中略)
自分で自分の爪を剥がし母親に渡すと、
鏡台の三つある引き出しの内、一番上の引き出しに爪と娘の隠し名を書いた紙を一緒に入れます。
13歳の時、同様に鏡台の前で歯を提供するように指示されます。
(中略)
自分で自分の歯を抜き、母親はそれを鏡台の二段目、やはり隠し名を書いた紙と一緒にしまいます。

 娘の爪と歯を 隠し名の書かれた紙と共に 鏡台の引き出しの中へ 納める というこの作業は 一体 何なのだろう

 例えば 平成10年代 後期頃から インターネット上で 広まった 『ひとりかくれんぼ

 この降霊術の 手順の中に 詰め物を取り除いた 四肢のあるぬいぐるみに 米と切った自分の爪を 代わりに詰める という作業がある

 呪具における詰め物は 丑の刻参りに使用する 藁人形のように 呪う相手の 髪の毛などの人体の一部を 詰め込むケースが多い

 この事から 怪談の語り部:稲川淳二などが 指摘していたと思うが 『ひとりかくれんぼ』は 実行者自身の 人体の一部を 詰め物として使用する事から 「自分自身を呪う為の儀式」 との説もある

 話を戻そう

 『禁后』における 娘への儀式では 「娘の爪や歯」を 鏡台の引き出しに 納めていた事を 考えると 『ひとりかくれんぼ』の例から 「娘に呪いを掛ける」モノである事は 想像に難くない

 そもそも 娘には

・猫、もしくは犬の顔をバラバラに切り分けさせる
・しっぽだけ残した胴体を飼う
(娘の周囲の者が全員、これを生きているものとして扱い、娘にそれが真実であると刷り込ませていったそうです)
・猫の耳と髭を使った呪術を教え、その呪術で鼠を殺す
・蜘蛛を細かく解体させ、元の形に組み直させる

 などと言った 独自の”教育”に見られるように 動物の殺生に関わるモノが 多くを占めている

条件として事前に提示したにも関わらず、家系や呪術の秘密を探ろうとする男も中にはいました。
その対応として、ある代からは男と交わった際に、呪術を使って憑きものを移すようになったのです。
それによって、自分達が殺した猫などの怨念は全て男の元へ行き、
関わった男達の家で、憑きもの筋のように災いが起こるようになっていたそうです。
そうする事で、家系の内情には立ち入らないという条件を守らせていました。

 小動物の殺生を行なう”教育”は その殺された生き物達の 怨念を蓄積させる事が 目的であったようだ

 子を産む為に利用する 男相手に憑かせる という事だが それは 当初からあった 目的ではないらしく 追加条項であったという

 ならば 娘の 爪と歯を納める儀式は 本来 何の為に行なわれていたのか という事になるが これはそもそも ”娘自身に霊を寄せ集める”為の術であり より具体的に言えば ”母に蓄積された怨念を娘に譲渡させる”為の手段 であったと考えられる


隠し名の読み方

 儀式の材料たる 娘の役割とは 母の依り代 すなわち ”身代わり”だったのではないか…… このように考えると 隠し名の真相が 非常に 明確になってくる

 結論を言おう

 隠し名の読み方は 母親の名前である

 娘は 母の依り代として 隠し名により 母の名を与えられる

 元々 母が 娘時代に蓄積した 怨念などは 交わった男のみならず 母自身の代わりとして 娘に譲渡させていくのだ

 そして 仕上げ

娘が16歳になる日に最後の儀式が行われます。
最後の儀式、それは鏡台の前で母親が娘の髪を食べるというものでした。
食べるというよりも、体内に取り込むという事が重要だったそうです。
丸坊主になってしまうぐらいのほぼ全ての髪を切り、鏡台を見つめながら無我夢中で口に入れ飲み込んでいきます。
娘はただ茫然と眺めるだけ。

 断髪あるいは髪剃というのは お坊さん 引退する力士 失恋した女子などに 見られるが これには 「それまでの関係を断つ」事を 意味する

 娘は 母との関係を この時点で 断たれる事となり それは すなわち 娘が 母の負う いわば呪禁・霊性の一切を 名と共に背負う事を示す

 では 母が娘の髪を 飲み込むのは 何故か

 前述の事から 爪や歯のような 依り代としての材料ではなく ”縁を切る為の暗示” 要は 自身の 肉体と霊魂とを 断ち切るという意味で 行なうモノなのではなかろうか

 ともあれ 以上の考察から 『禁后』の読み方は その隠し名を与えられた貴子の 母親の名である 「やちよ(八千代)」だという 解が導かれる

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(『僕のヒーローアカデミア』より)


伝聞(後編)における真相

 隠し名の読み方 『禁后』の読み方は 判明した

 それで結んでも 構わないのであろうが どうしても 最後に 触れておかなければ ならない

 それは 後編で触れられていた 貴子と八千代の 家系における 隠し名の真相である

 隠し名の真相? はてさてと いきなり こういっても 理解を絶するだろう

 ついてきて 頂きたい

 隠し名は母の名を宛てられ 依り代たる娘に全てを被せる為の 手段であった

 しかし それも今は昔

実は、この悪習はそれほど長く続きませんでした。
徐々にこの悪習に疑問を抱くようになっていったのです。
それがだんだんと大きくなり、次第に母娘として本来あるべき姿を模索するようになっていきます。
家系としてその姿勢が定着していくに伴い、悪習はだんだん廃れていき、やがては禁じられるようになりました。
ただし、忘れてはならない事であるとして、隠し名と鏡台の習慣は残す事になりました。
隠し名は母親の証として、鏡台は祝いの贈り物として受け継いでいくようにしたのです。
少しずつ周囲の住民達とも触れ合うようになり、夫婦となって家庭を築く者も増えていきました。

 八千代と貴子の 生前時点において 既に ”楽園へ達する”旨の 教育及び儀式は ほぼ消滅していたのである

 これにより 隠し名に母の名を宛てた事は 残っていたとしても 隠し名に込めた意味は 大変革を遂げたはずである

 筆者は ここに 以下のような 考察を下す

 「八千代は 貴子を最後に この残された習慣(隠し名と鏡台贈り) 一切をも 封印しようと していたのではないか」 と

 「忘れてはならない事」とは 言うが おそらくは この悪習が廃れた時から 代々 ”風習消滅”の目標が 暗々裏に 掲げられていたのでは ないだろうか

 その為 隠し名は その名付けの法則は 護りつつも その意味合いを 迦波羅の如く 巧妙に 挿げ替えていった と考えられる

 どういうことか

 ”字面から 考えると 『禁后』は 「楽園のきさき(となる)」 『紫逅』は 「楽園に(で)巡り合う」 と言った 意味を持つ名か”

 先に筆者は このように書いたが ここで解釈を だいぶ濁したのは もうお解りの通り 隠し名の 裏の意味 いわば真意を 示唆しての事だ

 八千代の 隠し名は 『紫逅』であった

 「紫」は ご存じの通り 赤と青の混合色(中間色)であり 字解きによれば 「此(足並みの意)」と 「糸(赤と青の色を表わす)」の 合成から 「チグハグしている」 という意味を持つ

 また「逅」は 「巡り合う」の他 「組み合わせる」と言った意味を持ち ここから『紫逅』は 「チグハグであったモノを組み合わせる」 という意味合いが 読み取れる

 過去に行なわれていた 歪な風習によって 失われていた 幸(さきわえ)の生活に 修正せんとするかの如くの 意味である

 その隠し名を 託された八千代は 娘の隠し名に 『禁后』を与えた

 「后」には ”後”と同じく 「うしろ・あと」といった 意味も 含まれている

 そして 決定的な点は 「八千代」の 名にこそある

 国歌『君が代』の中にもある 「八千代」という語は 「永遠・未来永劫」という意味がある事は ご存じだろう

 『禁后』は 「今後(后) 永遠に(八千代) この風習を残す事を 禁ずる」 という願いを込めた 最後の隠し名である

 そして その悪しき風習の 終焉を飾る 記念すべき 初めの子となる 娘こそ ”貴い・貴重な子” すなわち 「貴子」であったのだ

 かつての 風習から解き放たれ これからの幸せな家庭を 願った最後の儀式であったが それは 父の手によって 惨たらしくも 異なった形で 終わりを迎えた

 家自体に 呪いを施した 八千代の両親は 二種類の鏡台の 三段目の引き出しに それぞれ 八千代と貴子の 手首を納めた

そして問題の三段目の引き出しですが、中に入っているのは手首だそうです。
八千代の鏡台には八千代の右手と貴子の左手、貴子の鏡台には貴子の右手と八千代の左手が、
指を絡めあった状態で入っているそうです。

 最後の希望を 託された二人の手が 恰も 祈りを捧げるような形で 鏡台の中に 封じたのだ

 だが 様式は 異なったモノの 風習を模した 呪いは 人々を避けさせる手段として 皮肉にも 残る形と なってしまった

 八千代の両親も言う

あの子らは、悪習からやっと解き放たれた新しい時代の子達なんだ。
こうなってしまったのは残念だが、せめて静かに眠らせてやってくれ

 『禁后』は 悲劇の物語である



『禁后』に残る未知

 『禁后』には 多くの謎があり 考察がなされている

 八千代の両親が家に行なった呪術は何であったか
 八千代の鏡台に入れられていた爪と歯は何の為に使われたのか
 投稿者の母に送られた手紙には如何なる内容が綴られていたのか
 それを読んだ投稿者の母の呟きの真意とは何か
 件の玄関の無い一軒家は国内(一説に福井県)のどこに存在しているのか

 等々 未知なる問いは 尽きない 

 しかしながら 本項は 『禁后』の全容を 考察した訳ではなく あくまで読み方を基軸に 他はそれに関する部分に限って 考察したモノである事を 改めて 宣言しておく

 その為に 作中で 書かれている 上記にあるような 他の謎については 言及していない部分も 多く残っているのは 確かだ

 ともすれば それによって 『禁后』の読み方に関する 更なる素材を 見逃している 可能性だって あり得る

 それによって ここまで考察した 筆者のいわゆる『禁后』モデルは モノの見事に瓦解する事だって 考えられる

 しかし 考察とは そのようなモノだ

 大いに歓迎する

 殊に 筆者は さほど詳しい訳では 無い為に想像・俗説ばかりに 終始してしまった 点ではあるが 例の教育や儀式 即ちは 呪術の 本格的な追究が 真の解を 導き出す 大いなる手懸りと なるかもしれない

 更なる見解は 後身を 名乗り出る者に 委ねよう



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