最近のことについて
まだ解かれていない問題があると、無意識に解を求めるように脳が働く。
それが、ここ最近の発見だった。
ここ最近、情報のアウトプットとインプットを制限していた。
それには特に理由がなくて、ただただ気分が乗らなかっただけなのだが、そうすると見えてきたものがあった。
大学の授業中、アイディアが滝のようにのように溢れ出てくるようになったのだ。
脳に余白ができることで、この余白を埋めようとまだ未解決の問題の解を見つけるようになった。
そして気がついた。
私は、問題の解を見つけることがものすごく好きだったのだと。
これまで、ずっとスキマ時間は情報のインプットとアウトプットに費やしていた。
それが大切なことで、そしてやりたいことだと思っていたのだ。
だけど、私にとっては違ったらしい。
受け取ったアイデアをアウトプットしようと思ってパソコンを開くと、思いつくアイデアの量が目減りした。
そのことを、とても悔しく感じた。
話は少し飛ぶが、私は今『人類学』と『心理学』を中心に勉強をしている。
人類学っていうのは、その名の通り人類について研究をする学問。
前期は生物学的人類学をとってて、今期は言語学的人類学をとってる。認知科学と似ている分野だ。
人類学は自然科学と社会科学の中間くらいに位置する学問で、自然科学的な手順を踏みながら社会を科学する。
でも、自然科学みたいに実験はあまりしない。
どうやって科学するのかというと、自分の経験から共通項を導き出して、それを実際に文化の中に自分が入り込んで確かめる、という方法をとる。
だから、人類学者は実際に現地へ足を運ぶことが大切なのだ。
大抵の情報はインターネットで見れるから、情報のために居場所を固定する必要はない。
新しい情報に触れれば触れるほど、私のアイディアは更新されていく。
だから気がついた。気がついたというより、確認し直した。
私は旅をしなければいけないのだ、と。
私のもう一つの夢は、人の話を聞いて苦しんでいる人を助けることである。
これは、居場所を固定しない生き方にも、私が今やっている人類学にも相性が良い。
私は世界を回って、人の話を聞いて、相談に乗りながら、研究を続けていきたい。
そしてそれをやるためには、人が認めるような成果を出さなくてはいけない。
だから決めた。
SNSを頻繁に更新するようにするのをやめると。
最初の話に戻るけど、私の脳は問題を解決するには余白が必要だ。
それをSNSで埋めてしまうと、私はアイデアを思いつかなくなる。
新しい情報を取り入れて新しいアイデアを出して、それを広めるのが目的なのに、アイデアが出なくなったら元も子もない。
だから、思いついた時にたまにnoteを更新したり、SSを書いたり、人間を研究したり、相談に乗ったり、イベントを立ち上げたりしながら、まったりと生きていこうと思う。
ツイッターの更新が少なくなっても、許してね☆
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