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井坂聡監督上映&トーク

トーク内容からじぶん用メモ

3.11当日は都内で大学生の映画上映会にいて、地震のたびに中断を挟みながら上映し、歩いて桜新町の家に帰った。津波やその後の原発事故のことなんか思いもよらなかった。
助監督時代、ロケでフィリピンの離島にいた。その頃日本で起きたのが阪神淡路大震災。日本から遅れて合流した役者やスタッフの持ってきた新聞を読んで愕然とした。
震災の翌年、福島を訪ねて農家の人に話を聞いたら、イネの病気が発生しなかったり明らかに異変があるという。そうした発言を映画に使っている。
出演者のオーディションでは台本を渡し、本読みをさせ、とちったら退場というやり方にした。現場の緊張感がとんでもなく、本番ではほとんどミスがなかった。それで2日で撮れた。

相手が何を伝えたいかを読み取るのがリテラシー。
例えば映画やドラマではいろいろな場所を組み合わせて架空の町を作っている。
「ドキュメンタリー」も切り取りようで騙せる。
今の学生はテレビが先にできて映画が後だと思っている子もいる。
「白黒なのに色を感じる」という人もいれば「白黒だと人の顔の見分けがつかないので字幕をつけてほしい」という人もいる。
どんなに古い映画でも「感情」は同じように伝わる。
木下恵介の『陸軍』は戦意高揚映画として依頼されたが「反戦」が織り込まれている。70年以上たってもそのメッセージは伝わる。

リテラシーを高める=騙されないようにする=自分軸を作る
そのために何をするか?
自分は9時から12時までニュース番組を見て、雑誌、新聞も目を通す。
まずは直感。直感は仮設。次に裏をとる。「誰が言ったか」が大事。
次にどこかで「こうだ」と決める
迷ったら引く。一段落したら見渡す。

憧れで入ったらとんだ荒くれた場所だった。
灰皿を投げる人はいっぱいいた。
ただの意地悪をする監督もいる。
主役のスターに言いたいことを言えないので若手をいじめて伝えるとか「あいつを怒っていれば現場が締まる」という「「叱られ役」がいた(自分がそうだった)「かわいそうね、悪いのは私たちね」と役者たちが」思う。
信頼関係の中で起きていること。監督がどうしたいかみえていればそこに向かっていける。
ショーケンが「どういうふうに芝居すればいいの?」と聞いたら「萩原さんのお好きなように」と言った監督がいた。そうしたら「俺は監督じゃねえ!」とキレて帰っちゃった。高倉健にも右を向けと言えば向く。
監督の仕事は1つだけ。決めること。
OKかNGかもう一回
初めての「カット!」はものすごく緊張した
OKは空気でわかる。
察してベテランに「もう一回やっていいですか?」というと「バレた?」と言われる。どこをどうすればいいかとは言わない。若手には言わないとならないけど。
カメラマンは冷たい。「あいつ邪魔だなあ」「ウラでもいい?」と平気で言う。
映画は編集が命、舞台は稽古が命。
映像は監督のもの、舞台は役者のもの
舞台は座長にゆだねる。舞台にはカットがかからないからやりきってもらわないとならない。

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