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私のコミュ障は劣化した。

私のコミュ障は劣化した。

劣化とは何のことやら?と思われるのも当たり前だ。つまり、コミュ障克服術の本を読み漁り、年齢を重ねるとともにコミュ障が改善したということだ。そんな風に書くと「いいことじゃないか!うらやましい!」と思われるかもしれない。しかし、コミュ障が改善することはいいことばかりではない。

まだかわいい少女だったころの私は、内気でおとなしくコミュ障の少女だった。いい大人になったいま考えると、それは何とかわいいことだろうと思う。初めて会う人の前でドギマギし、小さな声で絞り出すように挨拶する少女。そんな少女を見たら、今だったら絶対に「かわいい!」と私は思う。


それがいまはどうだろう?行きつけの美容院でシャンプーを担当してくれた、新人美容師のお兄さんに

「ねえ、私インターネットで文章書いてるんですけど、普段どんな記事読んでるの?参考までに教えてください。あっ!大人のやつ以外でね!?」

なんてうざったらしく絡むいい年した女性になってしまった。我ながら相当かわいくないと思う。モテもなにもあったもんじゃない。新人美容師のお兄さんと先輩美容師は大ウケして、長文はあまり読まずドラクエにハマっていること、美味しいラーメン屋が近所にたくさんあること、夏目漱石の泊まった旅館の情報、月々の携帯料金の金額などを教えてくれた。うざい客にも親切な、いい美容院だと思う。

「お姉さん、絶対ラーメン屋にひとりで行くタイプだよね!」

なんて、ずばり言い当てられてしまった。ひとりでラーメン屋へ行ってレモンサワーを飲むのは、私のストレス発散なのだから仕方がない。


どうしてコミュ障の少女がこんなことになってしまったのだろう?コミュ障を改善したくてたくさん本を読み勉強したのに。本来の私はこんなキャラじゃない。

でも本当は、私はこう言いたい。


「劣化したんじゃなくて進化したのよ!」と。


しかし、コミュ障で悩んでいる人にも言いたい。


「コミュ障は無理して直さなくてもいいんじゃない?」


だって、コミュ障を克服しても新しい悩みがつぎつぎ出てくるんだもの。あるがままの自分を受け入れることのほうが、きっと重要なんだと思うから。シャイで内気で繊細なひとは素敵だと思う。私も昔はそうだった。


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