"二面性"


先日、2回目の新せ界に行ってきたので、その所感をつらつらと。


そこでやっと櫻坂46の魅力といいますか強みを表す言葉に一つ出会えた気がします。

それがタイトルにも書いた"二面性"です。

二面性とは、「裏表のような互いに異質な側面をどちらも内包しているさま」とネットに書いてあります。

欅坂46のときは"強さ"を表現する際、内包的なものというよりかは自分ではない周りの誰かやその視線を意識し、自分 vs 他者や社会全体 という構図を表現することが多かったように感じます。

声を上げようとしない人たちにこのままでいいのかと問いかけてみたり、大人から理解されないことを嘆いてみたり、嫌われたって自分の正義を貫いてみたり、他の人と同じになるくらいなら変わり者でいいと宣言してみたり、あんたは私の何を知る?と言ってみたり、世間の常識に傷つく君の盾になってみたり、全て失ってでも手に入れに行くべきものがあるんじゃないのかと言ってみたり

必ず「僕」の周りには「社会」や「大人」などが存在していて、それらに対する意思表示を強く表現していたように感じます。


ただ、最後の方になると、1人になりたいけどなりたくないと揺れ動き、終いには僕だけがいなくなればいいんだと絶望とも取れるようなところまでいきました。

この頃には、強さの裏に潜んでいた弱さや脆さが出てきたように感じます。

他にも、世界には愛しかないだったり、二人セゾン、手を繋いで帰ろうか、など可愛らしかったり、愛について表現するときもあり、どれが本物の欅坂なのか分かりませんでした。いや、どれも本物の欅坂なんですけどね。

そういった意味でも、二面性というよりかは多重人格という表現の方が正しいんじゃないかと思う瞬間がたくさんありました。

多重人格は演じる方は楽ではないと思いますし、それなりに自分をすり減らすことにもなると思います。

それを見ている方は恐怖を覚えたり、見ていて辛くなってしまったりする人も多いと思います。


欅坂の最後の方でよく耳にした「グループがうまくいっていない」
うまくいかなくなってしまった理由の1つに難しく考えすぎてしまったというのがあるのではないのかなと最近思います。
曲の中での他者との関わり方や、グループとしてのアイドル界でのアイデンティティなどなど、色々と難しく考えすぎた結果、自分をすり減らすことになり、思ったような活動ができなくなってしまったのではないのかと思います。



櫻坂として再スタートを切り、自分の中にある二面性とより深く向き合いはじめたと感じます。

周りの目を気にして、周りからの見られ方を気にして、難しく考えてた"僕"が、ただシンプルに自分の中にある強さや繊細さなどにしっかりと向き合い、思い切って再スタートを切ったように感じます。

周りなんか気にせず、だからといって他人に敵対視を向けるのではなく、自分の中にある信念をただシンプルに表現する。

櫻坂としてのデビューシングルである「Nobody's fault」。
周りの目を気にして小さくまとまっていた、殻に閉じこもっていた人を奮い立たせるようなメロディーや歌詞、そしてシンプルかつ大胆な振り付け。

思い切ってやるしかないんだというチーム櫻坂全員の総意の曲だったんだと今感じます。



動的なものの中でインパクトのある固定的なもの。

女性的な綺麗な衣装で踊る男性的な力強い振り付け。

櫻坂の楽曲の中の主人公の強さと表裏一体にあるのは、弱さや脆さではなく繊細さや可憐さの気がします。


この二面性をここまで上手に表現できるのは、櫻坂の魅力の一つだと思いますし、それは欅坂時代の日々や感情、そして培ってきた経験の賜物のような気がします。


しっかりと櫻坂46の根っこには欅坂46としての日々が宝物のように眠っていて、そこから養分を得ているから、こんなにも櫻坂の大樹がなっているのだと感じます。


今や世界にまで活躍の場を広げつつある櫻坂46。

"二面性"という観点から今後の櫻坂46を注目して見ていくのも面白いのではないのかなと2回目の新せ界でふと思いました。


では。このへんで。



2023.09.09      ネコ派の犬好き

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