「優等生」ではないけれど~今の私とAqoursの話~

「Aqoursに出会って、前を向けるようになった」とか「Aqoursがいたから、一歩前に踏み出せた」みたいなドラマチックな物語は、私にはない。友人の影響を受けてアニメを観始めて、生放送を経由してキャストのことも好きになっていく、そんな「普通」のハマり方をしていった。

そんな「普通」のハマり方をしたものだから、「優等生」と言えるような追い方はできなかった。アニメは観る、でもそれ以外はほとんど手を出せていない。経済的な理由などからライブにはたまに行く程度だし、浦ラジは気が向いたら聞く程度だ。スクスタやスクフェスもやっていないし、聴くのに体力を要するので最新曲にキャッチアップできない時もある。

そうした状況は、アニメにおけるコンテンツ展開がひと段落した(『幻日のヨハネ』が動き出したが)現在において、私とAqoursの接触を少なくする。TwitterやInstagramで、聴けていない曲や行っていないライブへの言及が飛び交い、私はそれらに「いいね」をつける。そんな日々が続いている。最近は少しアクティブになって、「新しい」(私が聞けていなかった)曲も聞き出したりしているが、基本的にはそこまで変わらない。「Aqoursが活躍している」という「情報」を取得するのが主となっている。

そんな「優等生」とは言えない私であるが、Aqoursが大好きであるということは声を大にして言いたい。

Aqoursの「言葉」が好きだ。
「大事なのはできるかどうかじゃない、やりたいかどうかだよ」や「やり残したことなどない そう言いたいねいつの日にか」といったといった言葉たちは、先述のようにドラマチックなゲームチェンジャーになることはなかったが、確かに私の核となっている。やりたいことをとことんやることに、自信を与えてくれる。

Aqoursの雰囲気が好きだ。
みんなでワイワイと楽しんでいる様子を見ると、日々感じるストレスがどうでもいいことのように感じられる。気分が暗く落ち込んでいる時や緊張して張りつめている時に、気分をリセットしてリラックスさせてくれる。

そして何より、Aqoursの生き様が好きだ。
止まるなんて言葉を知らないんじゃないかと思わせるほど、訪れたすべての場所を通過点にしてしまうほどがむしゃらに突き進んでいく姿に、何度勇気づけられたかわからない。前へ進めばいいんだと再確認させてくれる。


私の人生において、Aqoursのことを考えている時間とそうでない時間を比べたら、後者の方が長いだろう。「優等生」ではないからだ。「普通」に日々の生活を送っているし、「普通」に他の作品のことを考えるときもある。

しかし考えてみると、Aqoursのことを考えていない時間も、Aqoursと一緒に走っているのだと思う。人生という道を走っているさなかふと横を見ると、Aqoursが一生懸命に、楽しそうに走っている。その姿を見て、「これでいいんだ」と勇気づけられ、また前を向いて走り続けることができる。ドラマチックなエピソードもなければ、ずっとAqoursの方を意識していられる「優等生」でもないけれど、確かにAqoursは私が「輝く」手助けをしてくれている。そんなAqoursが、大好きだ。

だから、ありがとう。
走り続けてくれて、ありがとう。


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