【続・個人的解釈】舞台『オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-』

こんにちは。
先程、夏川さん初めての舞台である『オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-』の大千穐楽が終わりました。
私としても初めて観る舞台で、沢山考えることがあって、沢山泣いた舞台となりました。

先日出した考察に続き、気付いたことを纏めたいと思います。


1.舞台・衣装

まずは舞台・衣装について気付いた事を箇条書きでまとめていきます。

・舞台中央の火刑台が、照明によって木のようにも玉座のようにも見えた。
・ジャンヌの鎧の背中には、「FREI HEIT」ドイツ語で「自由」と書かれていた。
・始まる前に時計の秒針の音がするのは、深作さんと夏川さんの関わっていた去年の朗読劇でもあった気がする。深作さんの舞台では毎回あるものか?
・ジャンヌの胸元にドックタグが一枚あった。


この中で、ドックタグについて触れたいと思います。
ドックタグは本来ニ枚一組で付いているはずです。
戦場での死体確認のため、片方を持ち帰り片方を遺体へ残して判別するためです。

しかしジャンヌの胸元には一枚のドックタグしか付いていなかった。これは、ジャンヌが辿るべき結末を示していたのではないでしょうか。

ドックタグが初めて見えるのは、ライオネルと出会い上着を脱いだ時です。
ジャンヌはライオネルを殺さなかった事で残酷な結末へと導かれました。
つまりこの時には既に、ジャンヌが辿る結末であるが示されていたのです。


2.ジャンヌ・ダルクとは何者だったのか

続いて、ジャンヌ・ダルクその人について考えます。
彼女は聖母マリアに導かれ、祖国フランスを救いました。しかし父に告発され、恋したライオネルを自らの手にかけて、彼女自身は報われないまま散りました。

今回の舞台のインタビューで、夏川さんは「ジャンヌは本当は弱い人なのではないか」と仰られています。

私も今回の舞台を受けて、そう感じました。
聖母マリアに導かれ、貴族たちに流され、ジャンヌは作られた英雄なのだと。

シャルル王の戴冠式のシーンにて、ジャンヌはこう叫びます。

「私、どうしてこんな所へ来てしまったの」

結局彼女の意思は殆ど関係なく、聖母マリアによって押し付けられた「勇気」によって歩いて来たのです。

ジャンヌは劇中様々な名で呼ばれます。
「魔女」「天使」「フランスの希望」「奇跡の少女」など、誰も彼も彼女にラベルを貼り付けて、少女よ奇跡たれと押し付けています。
彼女はその偏見によって英雄になったのだと思います。

ジャンヌは自由のために戦ったと先日書きましたが、彼女の戦いは戦だけでは無かった。
様々な偏見とも戦っていたのです。
その象徴の最たるものが、「父親」です。

ドンレミ村のシーンで、父親はジャンヌに結婚を押し付けようとします。
女は男に守られ、子を産み育てるもの」だからです。
父親はジャンヌが往くことに反対します。
戦は男がするもの」だからです。

そして父親は、ジャンヌを告発します。
親は子を守るもの」で、「ジャンヌは聖女で清らかなもの」だからです。

そのどれでも、ジャンヌの意志を汲み取ることはありません。
それが悪だとは言いません。中世の時代でありますし女性の立場は低かったのでしょう。

しかしジャンヌは、自由になるためにそれらの偏見と頑固な因習に立ち向かわなければならなかった。
故に髪を切り、男装をして戦場を切り開いた。
偽りの勇気で着飾って戦場を往き、そうして散ったのです。


さて、ジャンヌの正体はなんなのでしょうか。
私は、「愛を知らなかった少女」だと感じました。

ジャンヌはドンレミ村で結婚を拒みました。
貴族たちに請われた時もまた同様に。
そしてこう答えます。

「私にとって、結婚は幸福ではない!」
「男達の視線に晒されると胸がすくみ心が汚れる!」

ジャンヌは自身を1人の女としてしか見ない欲望と偏見の目を嫌悪していたのです。

しかしジャンヌは、敵将ライオネルに一目惚れし体を重ねてしまいます。
これは初恋と言えるのかも知れませんが、それは愛故だったのでしょうか。
私はそうは感じませんでした。

ライオネルとの逢瀬は、心の鎧を剥ぎ取ってしまうほど激しいものでした。
しかしレーモンとの時間は、ジャンヌの心を溶かして鎧を取り去ってしまいます。

普通の少女ジャンヌは愛を知らず、そして愛を知り、愛したのはレーモンだったのではないでしょうか。


3.ラストシーン

ラストシーンについて。
ラストでこと切れたジャンヌに、シャルル7世は

「少女に旗を!」

と呼びかけます。
それと同時に鳴る不吉なサイレンに、どこか不安を覚えてしまいます。

この時、呼びかけているのは劇中の存在ではなく、私達観客へ向けてのものだと感じました。
私達に、ジャンヌに旗を持たせよと。

ジャンヌが旗を持つのは闘う時です。
それはつまり自由が侵されている時です。

このラストシーンは、「争いが無くなることは無い」という事を表現したかったのではないかと思います。

いつの時代にも戦争は起きて、自由が侵される。
しかし、ジャンヌを思い出せと。
自由のために戦って散った彼女の犠牲を無駄にするべきでは無いと思います。



今も地球上で戦争が起きています。
言葉だけの世界平和を唱えることに意味などないのだと思います。
私達一人一人が、自由のために、平和のためにできる事を考えなければならないと痛感しました。

今回の舞台を観劇して、普段は考えない平和について沢山考えさせられました。
これからも、頭の片隅にジャンヌの言葉を置いて生きて行こうと思います。

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