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自分探し(死語?)。

雪の晴れ間にゴミ捨てに出かけたら、帰り道、いきなり突風が吹き、地吹雪状態になった。しかも向かい風。目が開けられない。なかなか進めない。

徒歩数分の距離なのに、この急変。人生、一寸先に何が起こるかはわからないね、ホント。

這々の体で家に辿り着き、玄関に入った瞬間の安堵感といったら…。家って暖かいなぁ。住むところがあってよかったなぁ。と、心から感謝した。

昨晩、藤井風くんを取り上げたNHK特番を見た。「人とは違う自分」を自覚し、自信を失いかけた時にふと降りてきた歌詞が『死ぬのがいいわ』の始まりだと語っていた。最近彼がよく使う “もがき” という言葉が沁みる。

岡山から出て来てよかったね。と、おばちゃんはしみじみ思った。人と比べて一喜一憂しない自分でいるためには、自分と違う人を知らねばならない。外の世界に触れることが、本来の自分を確かめる意味でも必要な過程だ。

揺るがないもの、譲れないもの、護りたいものは何なのか。それさえわかれば、それ以外のものは取るに足らないって思えるものね。

一時期、“自分探し” という言葉(現象?)が流行った。そんなのダサイとか、くだらないとか、現実逃避でしょとか、批判的な人も多かったけれど、わたしは内なる自分と真摯に向き合うことって大事じゃんと思っていた。

好きなこと、やりたいことをやって生きたい。そう言って、そうやって来たことを「甘い」と言われることがある。

わたしは書くことが仕事だったから、テーマは何であれ、どんな媒体であれ、依頼があれば書いて来た。どれにも全力投球。仕事だし、何より書くことが好きだったから。星の数ほどいるライターの中からお声がけいただくのだから、求められたことにきちんと応える。自分を出そうなどと思わない(そうは言っても個性は出るけど)。それで対価を頂いて来た。

帰郷後、あまりの環境の変化に正直腐った時期もあるw。「好きなことを仕事にしても幸せになれない」と。が、在京中にお仕事をご一緒した造形作家のY・Mさんから諭され…。

その後、荒んだ時期も通り過ぎ、再び、書くことを職業にしてよかったと言えるようになった。いまはもう書くことで稼げなくなったのでw、ライター業は卒業状態だけど、決して「甘い」気持ちで働いては来なかった。

才能溢れる25歳の風くんの “もがき” を知るほどに、才能なんて微塵もないおばちゃんはもっともっと頑張らなくちゃと心した次第。

持っているもの、伝えたいものが大き過ぎる彼とは比べ物にならないけれど、小さな愛や歓びを分かち合える場を作れたらいいな。長年探していた自分はそこにいる気がしている。

ああ、このタイミングで藤井風という人に出会えてよかった。彼の音楽に出会えてよかった。朝、ラジオをつけた瞬間に『死ぬのがいいわ』が流れた奇跡。普段テレビを見ないけど、藤井風テレビも、紅白も楽しみだな。

トップ画像は、平等院で入手した阿弥陀様のピンバッヂ。宮城のアリーナツアーにつけて行った。ステージ上の風くんの心底楽しそうな笑顔が伝染して、最高にHAPPYなライヴだったなぁ。


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