夢とか、希望とか。
人間の尊厳とか、本当の幸せとか、そういうものを突きつけられる場面が幾度となくあった。答えが見つかったところで、どうにも出来ないと知っていながら、考えずにはいられない日々。
長寿の国ニッポン。高齢になり、病を抱えた親と暮らす子どもの多くが通る道。不甲斐なさへの懺悔と、悲しみと、選択への迷いと後悔、が入り乱れ、心拍数は上がりっぱなしで、精神状態は低空飛行。
何が正しくて、何が間違っているのかを考えるなんて無駄。目の前の現実は変えられない。受け入れるしかない。愛する人はいつの間にモノになってしまったんだろう。虚無感と、罪悪感と、憂鬱。
医師で作家、という著者の作品を立て続けに読んでみた。医療従事者の方々は、普段どんな心理で患者やその家族と向き合っているかを少しでも窺い知れたら、と。
作品はもちろん “創作” だし、事実や本音を詳らかにするものではない。とはいえ、個人の体験に基づいた感情や思考を映し出している、はず。
母が亡くなった朝、病室の扉を静かにノックして入って来た看護師さんがいた。「最後のご挨拶をさせていただいてもいいですか」と、母に向かって手を合わせ、「あの元気なお声をもう聞けないのは寂しいです」と言った。
マスク越しでもわかる美しい人。見覚えがない。これまで一度も会ったことがない。でも、たった一人でも、母を一人の人間として見送ってくれる存在がいてくれた。それが本当に嬉しくて、救われた。
最期の頃に担当してくれた若い医師も、とても誠実で良い方だった。揺らいでしまう家族の気持ちを汲み取ってくれたし、寄り添ってもくれた。
結局のところ、個々の医療従事者や介護職員ではなく、組織や制度の問題なのかな、と思う。であれば、なおさら、私たちは無力だ。自分の始末は自分でつけたいと願っているわたしだって、何もわからなくなって、誰かのお世話になって、意志を持たないモノになる時が、そう遠くない日に訪れる。
2年程前に、遺書の作成について弁護士さんに相談した。わからなくなる前にやっておくべきこと。準備は早いほうがいい。両親が亡くなった年齢までは20年も30年もあるけれど、そんなに生かされるかな、わたし。
ところで、あの看護師さんは実在の人物だったんだよね、とふと思う。あれ以来、病院に行く機会はないし、確かめようもないけれど。
夜半から雪が降り始め、どんどん積もって根雪になったあの日。真っ暗な空洞のようになった心に差した一筋の光。彼女が現れなければ、言葉をかけられなければ、もっとずっと否定的な気持ちのままだったろう。
ありがとうございました。貴女の言葉に救われました。
毎日毎日多くの人の死に触れているはずなのに、その一人でしかない母に、口先だけではない、心からの言葉をさらりとかけてくださった。かつて看護師だった母が最期に見送ってもらったのは、看護師の鑑のような人だった。
憧れたり、目指した職業に就く時、最初はみんな、夢とか、希望を持っているはず。でも、想像していたものとは違う環境の中で、つい見失ってしまうことも多いと思う。大事なものを失くさないって案外難しいよね。
今年の手帳には、何かいいこと、書き残せるといいな。