TSUTAYAと青春の終わり

深夜2時前のTSUTAYAは妙に空気が透き通る。エスカレーターに降りて、シャッターだらけの店の間をすり抜けて、控えめな音量でofficial髭男dism が流れる店内へ入る。客足は昼間より減った。けれど人1人の存在感はその分増したような気がして、結局のところ窮屈な店内に変わりはない。大阪の金曜日はきっと夜からがはじまりだ。

店内の左半分はレンタルコミックのコーナー。まだ入ったことはない。中性的な髭男の、名前も知らないボーカルの声が真っ直ぐで切ない愛を歌うから深夜2時の眠れないTSUTAYAは過去を懐かしんで味気ない今を嘆く。いつも真っ直ぐ向かうのは海外の映画やドラマが並べてある棚で、分類が難しいのか、国内のドラマや映画は綺麗に分けられているのに対して、こちらは随分と見境ない。タイトルだけを頼りに配置されたDVDやBlu-rayは明らかな乱雑さと混沌の中。棚四つ分の洋画コーナーをスーツで流れるように見ながら歩く。社会人は5年目。終電ギリギリで帰宅した日の日課になったTSUTAYAへの寄り道はいつも1時45分。2時に閉店する。急いで借りる作品を探さないといけない。これといって借りたいタイトルを決めてくることがないから、いつも借りる作品を選ぶのはタイトルの直感と、偏った海外の俳優の知識のみ。Amazon primeにお世話になるようになってからは少し足が遠のいたものの、結局、なんとなくこの深夜の空気が好きで来てしまっている。ちなみに最近はNCISを見た。シーズン17まであるなんて聞いてなくて、殊の外喜んだ。なんせマークハーモンに老いはない。あの目はいつまでたっても青く綺麗なままで画面越しにこちらを見て首を傾げる。その動作が好きで堪らない。

iphoneでおすすめの海外映画、と検索を入れて目を通してみる。ある程度、すでに見てしまったものばかりが出てくるのは、もう随分と前からそのサイトのおすすめ作品を見ているからだ。
なにをするでもなく棚を往復しているのを明らかにバイトのネームカードをつけた茶髪の若い男性が見ている。きっともう帰りたくて仕方ないんだろうけど、閉店まであと10分はある。見張られなくてもちゃんと閉店には出て行くのに。未だ髭男のボーカルが颯爽とサビを歌い上げる。深夜2時には不釣り合いなほど爽快なメロディに、センチメンタルで溺れそうなTSUTAYAは息を止めて黙り込んでいる。

結局、あと数分では見たい映画が決まりそうになくてTSUTAYA店員おススメとポップガードの貼られた正面の棚から数枚抜き取ってセルフレジに向かう。そう言えば少し前から映画になった人生、というコーナーが出来た。もう全て見てしまったけれど、政治家から犯罪者、実在した人の映画が並んでいる。ノンフィクションの方が、小説も映画も好きだから、すぐに手を出してしまうけれど、その度に浅はかだと思う。多分自己満足だ。他人の人生を、知識として、自分の中に蓄えている。その人をわかった気になる。半端な知識、知るはずもない空想、Wikipediaの端から端まできちんと読んで、会ったこともない人を考える。誰でも編集できてしまうあのサイトの、あの高い信用性はなんだろう。映画の、ドキュメンタリーであっても、実際の映像であっても、拭えないあの嘘くささはなんだろう。

そういえば、人が、信じる基準はなんだろう。


店を出たら冷たい風が吹いた。リュックの中にはサッチャーとモハメドアリの人生が詰め込まれている。店内から未だに漏れ聞こえてきた髭男が不意に消えて、ああ、もうきっとTSUTAYAは死んでしまったんだろうなと思う。大阪の深夜2時に青春なんて糞食らえだ。この街にとって青春なんてものはもうとうの昔に捨ててしまったような、燻った残り火すらもタバコの火の代わりになるような、開いたアルバムが灰で煤けてしまっていたような、そんなものだ。その程度のものだ。恋をするのがキャッチで引っかかる親父になって、好きな人からのLINEを待つ甘酸っぱい時間が、居酒屋で知らないお兄さんと呑んで体を触られるようになっただけの話だ。それだけで青くなくなってしまった自分たちを愛してくれる深夜2時。だから、何者にもならないから、まだ、なれないから、急いで家に帰る。

青春の燻りがまだ愛せないうちは、急いで家に帰る。仲間探しも上手に出来ない。けれど、周りは敵なんかじゃない。無関心で、匿名性がやたらと高いこの街の住人の仲間には、上手になれない。

そういえば、青春が終われば人を許すことが出来る様になると思っていたな。

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