「死にたい」と言われたら「好きにしろよ」という。これは本音。
最低な毎日、とこれまでに何回呟いたか分からない。子供じみた自尊心とプライドとも呼べないような陳腐な心構え。なににも染まりたく無い、誰にも影響されない。私でいたい。なにより、一人で生きていきたい。
だからさっさと消えてしまえよ、お前ら全員、それか、お前がいなくならないなら、それなら私が消えてやるよ。
なんて、あの頃に頭の中で繰り返した恨み辛みの言葉が、巡り巡るうちに、どんどん狂気じみていくのも自覚していた。
イヤホンをして、下を向いて、急いで早歩きしたってどこにもいけなかった。義務教育も終えていない体で、自我だけが膨らんでいって、行き場のない怒りを、押さえ込む術も知らなかった。何に怒っているかもわからないし、何に悲しんでいるかもわからなかった。
それでも、真面目でいなくちゃいけない、外面は良くしなきゃいけない、人に嫌われちゃいけない、勉強も運動も出来なくちゃいけない、人の気持ちには繊細でいて、自分のことはあまり話さないでいて、なんていう、自分の描いた理想にだけは忠実でありたかった。私は私にとって優等生でありたかった。そうじゃないと、私は私を好きでいられないから。
自分以外の全てに反抗的でいたかったけれど、理想の自分はその全てに従順であるべきだと言った。そして、自分の期待だけは、裏切りたくなかった。私が私を裏切った時点で、私を保てなくなることは、明白だったから。わかりきっていたから。私を失うことは、私の終わりと等しかったから。
私が、私自身を不在にしたまま、空っぽの心で器用に生きていけるような術は、あの頃、持っていなかったから。
早く一人で生きなきゃいけない、ここから出ていかなくちゃいけない、この町を捨てなくちゃいけない、家族から離れなくちゃいけない、それが出来ないなら、せめて、私が私を救える逃げ場所を見つけなくちゃいけない。
だから、あの頃の私は、商店街を抜けて、小学校の裏手を回って、長い長い階段を上り切って、
この町を見下ろせる集合団地の屋上まで駆け上った。杜撰な管理をされた屋上の鍵は、簡単に壊れたし、その柵は、私の意思一つで乗り越えられるようなものだった。
初めてそこを見つけた時、私が私を終わらせる方法が、こんなに簡単なところにあったことに、とても、傷付いた。悲しかった。あれだけ命を大切にしてと教えられていたのに、あれだけ沢山の大人が私たちの小さな命を守っているのに、私の意思一つで、その努力は全て無駄になってしまうんだと、なんだかとても傷付いた。こんなに簡単に捨てられるほど軽い命だった。沢山のものに守られていた。守られていながら、その全ては私の意思一つでひっくり返してしまえるほどに弱い力だった。世界は、この世の中は、決して、私の命を大切には扱ってくれない気がした。それがとてつもなく悲しくて、傷付いたのだ。
それから、どうしようもなくなった時、もう耐えられないと思った時、何に対してかわからない憤りを感じたとき、何度もそこから飛び降りる自分をイメージした。
そうして、一度も踏み出せなかったのは、きっと、私が私を捨てきれなかったわけでも、見ず知らずの大人が守り抜いた命が惜しかったわけでも、怖かったわけでもなくて、
ただ、母親が悲しむな、って本当にそれだけだった。
その頃、小学校からずっと仲の良かった子が、中学に来なくなっていた。不登校だった。家も近くて、家庭環境も似ていたから、不登校の間もたびたびその子の家を訪ねたし、誰からの訪問も受け付けず話し合いを拒んだその子が、私とは会う事を許したからでもあった。学校の先生に放課後、呼び止められて、「吉田さん、最近どう?元気?」と聞かれるのが日課だった。「わからないですけど、体調は悪くなさそうです。」と答えるのも日課だった。実際、本当にわからなかった。その子のなにが悪くて、なにがいいのか。どこが元気なら学校にいけるのか。心か、体か、家族か、環境か、そのどれもが健康でなければ、私たちは普通ではいられないのかもしれなかった。
実際、その子は手に入れたてのiphoneで、ネットの掲示板を使ってLINEを交換し、同じような不登校仲間と毎日LINEのやりとりをして暇を潰していた。頭も心も体も、外から見ればどこも悪いところはなかった。だから、陰口も多かった。私に「あの子はサボってるだけやろ」と言っていた友達(?)が、その、あの子へのLINEでは「待ってるよ!また遊ぼう!」なんて絵文字だらけのメッセージを送っていることも知っていた。そんなこと、いちいち伝える必要もなくて黙った。
「死にたい、生きている価値ない、何もできないし、何にもなれないし。周りの人達うざいし。てかほんと、こんなん死んでんのと一緒。それならさっさと死にたい。」
会うたびにそう言われた。理解できるような、理解してあげたいような、けれど絶対に理解してはいけないような気がしていた。だから、黙った。「生きていて欲しい」も本音。「好きにしろよ」も本音。私は優しい人間では無かったし、非情なつもりもなかった。「理解者」にはなれない。「共感」も出来ない。「ほんの少し」わかるような気がする。
だから、あなたのことは否定しない。
否定しないから、いくらでも逃げてきていい。評価しない。価値をつけない。値踏みしない。あなたの将来を案じない。あなたの人生を見ない。あなたの人間性に点数をつけたり、生活に口を挟んだりしない。
「好きにしたらいい。」
あなたの全てを間違いや正解でくくったりしない。そう思った。学校の友達と一緒に勉強はしなくても、LINEで、SNSで出会った誰かとは楽しそうに話せる。あなたの今の世界は、これ以上外でも、これ以上内でもない。学校でもなければ、たった一人自分の中に籠ることでもなく。出会ったことのない誰かと恋をして、出会ったこともない誰かに悩みを打ち明けて、出会ったこともない誰かと友達になる。そして、その誰かに生かされている。それが、この子の逃げ場所なんだと思った。
けれど、同時に、その子の周囲が傷付いて、悩んで、忙しく動いている様子も知っていた。Twitterで死にたい、痛い、と呟いてリストカットの写真を上げるたびに、学校の先生や出会ったことのある友達が反応した。もちろん、その親も。何度も私に「大丈夫なのか」と聞いてきては、「わかりません」と答える私に落胆してみせた。
ああ、なんて勝手な話。
と何度か思った。私は彼女を理解できはしないし、もちろん彼女ではないし、リストカットもしたことがない。彼女が大丈夫かどうかなんて、わかるはずはない。それに、たかだか10代前半の子供に、人を変えられるとでも思っているのか、と言いたかった。むしろ、あそこから連れ出すことが、あの微妙なバランスを保った彼女の世界から彼女をこちら側に引っ張り出すことが、救いだとでも言いたかったのか。
結局、私のことも、彼女のことも、お前らは理解できないままで、騒ぐだけ騒いで、救えもしないで、寄り添えもしないで、それを、私たちの問題とでもいうように、自分達は健全な顔をしているんだと、思った。まるであの子や、私が、不正解みたいに。
ある日、「今日学校の先生から電話があったよ」と母に言われた。「なんの話?」と聞くと、
「不登校のその子が、あんたが毎朝迎えにくるなら、学校に行くと担任の先生に伝えたらしいよ。先生は感謝していたわ、あんたが、吉田さんを救ってくれたとでも言いたいみたいに。」
となんとも思っていない、むしろ馬鹿らしく思っているように母は言った。毎朝?30分早く家を出て?その子が家から出るまで待って?一緒に登校するっていうの?ああ本当。
「勝手な話」
「他人よ。関わることも、関わらないことも自分で決めなさい。」
と母は言った。「勝手な話」と呟いた私に対して。
「嫌なら会いに行かなければいい。勝手に、私がいなきゃ駄目なんて、そんなエゴは必要ない。思い上がり。あんたがいなくてもあの子は他の誰かを見つけ出すし、あの子がいなくてもあんたは生きていく。他人て、そういうことよ。あの子のために、なんて思うのは間違い。」
と、そういった。
全く、本当にその通りで。
結局、その子が登校したのは精々二週間程度で、しばらくすると、私が迎えに行ったって家から出て来なくなった。伝えると「そんなもんよ。」と母に言われた。
「どうやったら死ねるかな」という呟きとリストカットの画像。繰り返されたツイートに辟易とした周囲の反応は、目に見えて、素直だった。不登校も一年以上続けば日常になってしまう。もう誰も、ファボもしない。大丈夫?待ってるよ。なんて言わない。関わらない。当たり前のように、その子のいない日常を生きていくようになった。
ある日、夢の中で、彼女が自殺する夢を見た。中学生の幼い私は慌てて飛び起きて、夢かどうかの判断もできなくて、本当に慌ててその子の家の固定電話に電話した。LINEしなかったのは、死んでいたら返信できないと直感で感じたからだろうなあ、と後から思った。
「はい、吉田です。」と眠そうなその子の父親の声が散々コールを鳴らした後に聞こえた。
「あの、大丈夫ですか、あの。」と言葉にならない言葉を、名前も名乗らずに言った。
「あ、〇〇ちゃん?どうしたのこんな夜中に。」
と声だけで分かったのか、不意に名前を呼ばれて、ふっと我にかえった。ああ、夢だ。と思って、その場で受話器を持ったまま蹲った事を今でも覚えている。あれは、多分、二度と無い経験だ。
「まだあの子起きてるだろうし、代わろうか?」
と何かを察したのか、彼女の父親がそう言った。けれど、小さく「すみません、大丈夫です。」とつぶやいて電話を切った。すぐ後に間髪入れずその子からLINE電話がかかってきて、「どうした?なにかあった?」と心配されて、逆やん、と一人で笑った。
「死んだかと思って」
「どゆことー?なんで死んだと思ったん?」
「夢で、吉田が線路に飛び込んで」
「...」
夢って、と笑い飛ばされるかと思って言った言葉に、予想外に黙り込まれて困った。続けて泣き声が聞こえて、つられて泣きそうになった。
「吉田?」
「わからん。明日には飛び込んでたかもしれん。」
と、嗚咽の隙間から声を繋いで聞こえた言葉にふざけんな、と思った。悲しいとか心配とかじゃ無かった。私は勝手な人間で、優しくは無いから、夢でこんなに狼狽えたのに、本気で死ぬなよ。と怒りの方が大きかった。直接怒ろうかとおもったけれど口を開いても言葉は出てこなかった。代わりに、電話越しの彼女と同じように、自分の方からも嗚咽が聞こえた。
少し冷静になった後、あの屋上の話をした。私たち、守られてなんかいないよ。誰も助けてなんてくれないよ。だって、私たちを死なせたく無いなら、あの屋上の鍵は閉まっているべきだよ。あんな簡単に越えられる柵なんて、意味がないよ。地域の人が、横断歩道で緑色のベストをきて見守りをしているけど、それなら駅のホームにだって立っているべきだよ。私たちを守りたいなら、命が大切だって言うなら、世の中はもっと優しくあるべきだよ。だから、私たちくらいは、私たちの命を大切に扱うべきだと思うよ。だって、誰も、守ってはくれないから。
一人で話し続ける私に、彼女はなにも言わなかった。ただ、電話越しにずっと泣いていた。
「それから、一個言いたいことがあるんやけど、いくらSNSの友達といる方が居心地がよくたって、実際にあんたの顔を見て、たとえば、あんたが線路に飛び込もうとしたときに、手を掴めるのは目の前にいる人だけだと思うよ。」
そう言って、なんだか、私はとてもスッキリして、気付いた。私も聞いて欲しかった。屋上の鍵があいていたこと。簡単に死ぬ方法があったこと。守られていると思っていたけれど、この世の中は私のことなんて少しも大切だと思ってないこと、そして、それに、気づいてしまって、とてもとても傷ついた事。ずっと、聞いて欲しかったんだと思った。
「強くて、羨ましい」
ずっと黙っていた彼女は、やっと一言、そういった。
「私なら、その屋上に行った時、鍵があいていたとき、死ぬ方法を見つけた時。今だ、ここだって思っちゃう。ここで死ぬんだって。」
「見下ろしてみたらいいよ。」
「?」
「屋上から下まで見下ろしてみたらいい。死にたい、死のう、ここから飛び降りようって、下を見たらいい。」
「そしたら、私は母さんの顔が浮かんで、自分が生きにくい世の中で生きていくことより、あの人を傷付ける方が嫌だと思ったよ。」
だから、死のうと思って、下を見下ろしてみたらいい。
「私は、好きにすればいいっていつも言うし、実際に思うし、だけど、死んでほしく無いと思ってるよ。傷付くよ。だから、また夢を見たら、夢だと分かってても飛び起きてすぐに電話をかけるよ。」
そこまでいって、もう泣き声で聞こえてない気がした。一生分泣いてるんじゃ無いかと思うほど、彼女はずっと泣いていた。
小学校の時、死にたいと書いた小さな紙切れを鉛筆削りの下にひいていた。そうしていれば安心できる気がした。おまじないみたいなもので、机の掃除をするたびに綺麗に書き直して、また鉛筆削りの下に隠した。そうしていれば、人間でいれるきがした。ある日、母がそれを偶々見つけて、私に突き付けた時の、あの顔は多分一生忘れられない。
あれは、私が生きてきて、一番、他人を傷付けた時だった。
その顔が、それだけが命綱だった。
屋上から見下ろしたときに足元から迫り上がる恐怖よりも、それだけが。
大嫌いだった。お前らも全部、自分も全部。
それでも死ねなかったのは、守りたい人がいた。傷付けたく無い人がいた。私が死んだら、傷付くことが分かりきっている人がいた。あの小さな紙切れを見つけた時、母が黙って捨てていたら。私に突きつけていなかったら。見ないふりして、向き合ってくれていなかったら、「これ、なに?」ってあんな傷付いた顔して私を見なかったら、多分私は飛び降りれたんじゃ無いかと思う。だって、誰も守ってくれないから。だって私には、命綱がないままだったから。
あの小さな私は、私ですら、守ってやれなかったから。
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