最悪の結果

ここまでの情報と六道神士が何もできなくなった真相は何なのかが解明可能なのだ
つまり「騙し合いが通用しない状況」に陥った時
逆に何もできなくなったと言う話である
それの解明の前に一言
「嘘」か「本当」かを見分けるのって本当に難しく
「真面目」に考えないとわからない代物も多い
「不真面目」に生きる事を信条にしている自分としては
「生きづらさ」の原因にしかなりません
それもあって毛利小五郎の信条である
「騙すのは絶対悪」に理解と共感を示していると言う話でもあります
そしてこれは「嘘を見破るのはこんなに大変なんだぞ」と
嘘つき集団である娯楽業界に理解を示してもらう試みでもあります
だが毛利小五郎がそうだった様に
「生真面目」に嘘を見破る事を試みると困る人がいるから
「騙し合い」は成立すると言っても過言ではない
今まで自分は騙される事をただ単に頭が悪い
又は真面目に考えるのが苦痛だから騙されているだけだと思い
見破り方を公表しました
取扱説明書形式で表現しているのも
最も読みやすい形式だからです
つまり誰でも嘘を見破る事ができる様にするために
取扱説明書形式で表現しています
同時に不真面目を信条にしている自分にとっての
真面目さの難しさが相手に伝わる様にすることも心がけています
だがそれでも理解を示さない人がいるのも事実です
つまり毛利小五郎みたいな人にとって
嘘を見破ると「生真面目」な理由で困る事があり
それ何かの解明から始めようと思う
嘘を見破るとは嘘を本気で拒絶する事を意味する
その理屈なら毛利小五郎は名探偵の筈である
嘘つき皆悪人で悪人を成敗すると言う考えが毛利小五郎の中にあるなら
嘘を見破るのが得意になるはずであり
毛利小五郎は名探偵になれるはずなのだ
つまり別の理由があって毛利小五郎は迷探偵だと言う話なのだ
嘘を見破るとは「嘘を滅ぼす」を意味する試み
早い話「嘘つきはお仕置きだ」を意味する試みにして
それこそがこのレビューシリーズのコンセプトでもあります
つまり毛利小五郎みたいな人にとって
「嘘つきはお仕置きだ」を試みると困る事があるから
迷探偵のままだと言う話なのだ
「嘘つきはお仕置きだ」とは「嘘が存在しない世界」を求める事を意味する
「嘘が存在しない世界」を求めると
正直者である毛利小五郎みたいな人にとって困る事があるから迷探偵のままなのだ
つまり認めたくない事実を抱えておきながら正直者を目指していると言う矛盾を
毛利小五郎みたいな人は抱えており
それ何かも解明可能なのだ
殺人を行う奴が実在すると言う事実こそ毛利小五郎にとっての認めたくない事実であり
犯罪者の気持ちなどわからないと毛利小五郎が明言したのもここに因んだもの
そして更に言うと犯罪者の深淵も解明可能なのだ
ポイントは犯罪者も「生真面目」だと言う事だと言う事である
ただ単に「真面目」で構成されている世の中に対し
「ドロップアウト」を考えたからやっていたわけではないと言う話なのだ
刑務所も「真面目」が要求される世界であり
「不真面目」の居場所ではないのだ
それもあって自分は「ある事」を実行しないですし
「ある事」を「絶対」にしません
(これは本当に明かせない代物なので話すのはやめておきます)
つまり毛利小五郎みたいな人にとって理解を示すと困る事があるから
犯罪者の気持ちを理解しないし
同じ事はコナンにも言える事だから
コナンも犯罪者の気持ちなどわからないと言う話なのだ
ポイントはジンがピスコを殺す場面とは
「黒の組織も真面目さが要求される組織」だと言う事をも
浮き彫りにする場面でもある事である
ピスコが「不真面目」を連想する真似を行ったから殺されたと言う話でもあるのだ
つまりこの世界で「不真面目」に生きると言う事は
殺される可能性もある危険な試みなのだ
だからこそ「不真面目」が通用する世界を自分は求めている
そここそが安住の地だと思っていることもあり
このレビューシリーズを書いている
つまりジンがピスコを殺す場面とは
「犯罪者も本質的には生真面目」だと言う事を意味しており
ここまでの情報から導き出される答えはこうである
「自身にとってネガティブな要因を排除する」である
早い話「自分にとって都合の悪いものを排除する」である
もっと言うならば「自分にとって嫌いなものの存在否定」である
泥棒といった感じの軽犯罪の本質も
「生真面目」に「働いて金を稼ぐ」と言う考えを否定している
つまり「生真面目」に働くのを拒絶している人が軽犯罪を犯す人
なぜかと言うと働くつまりは
「信用を得る」のは難しく困難である
「誰かに認められる」までの間失敗と挫折を繰り返さなければならない
つまりその日が訪れるのを待つより犯罪で奪った方が楽だから
軽犯罪が行われる
つまり「生真面目」に失敗と挫折を「拒絶」しているから軽犯罪を行う
黒の組織のジンみたいに「生真面目」に殺人を行う人は
「生真面目」にネガティブな要因を排除している
ジンの事を工藤新一つまりはコナンが「平気で人を殺す」と評したのもここに因んだもの
コナンにとってのこれらは「自分にとって嫌いなものを抱えている人」と
「失敗と挫折を拒絶する人」と
「ネガティブな要因を本気で排除する」に理解を示す事を意味する
だから理解できない
毛利小五郎にとってのこれは「ネガティブな要因を本気で排除する」に理解を示す事を意味する
だから理解できない
更に言うと毛利小五郎にとっての眠りの小五郎の真相に気づくとは
「コナンにいい様にされていた」を連想する事を意味する
同じ事は園子達にも言える事で
これは「自分は弄ばれる様な奴」だと言う事を自分で認める事を意味する
本質的に正直者である毛利小五郎にとってのそれは
「正直者が馬鹿を見る」を認める事を意味する
もっと言うならば「騙される方が悪い」理論を後押しする事になる
つまり自分を否定する事に繋がるから
眠りの小五郎の真相に気づく事が出来ない
かく言う自分は「騙す方が悪い」と思っているからこのレビューシリーズを書いている
つまり「騙す方が悪い」と言う発想を試みると
毛利小五郎にとって困る事があるから
眠りの小五郎の真相に気づく事が出来ない事になる
「騙す方が悪い」とは「騙す奴を排除する」にもなる考え方
先述の「ネガティブな要因を本気で排除する」に理解と共感を示す事にもなる試み
つまり「殺人者の気持ち」に理解と共感を示す事にもなるから
毛利小五郎は眠りの小五郎の真相に気づく事ができない
つまり毛利小五郎は本質的には善人であり
善人であるが故に眠りの小五郎の真相に気づく事ができないと言う話にして
ここにこそ冒頭の「騙し合いが通用しなくなった」状況に陥ると
何もできなくなった真相の手がかりがあるのだ
つまり何らかの拍子で眠りの小五郎の真相がバレてしまい
眠りの小五郎が出来なくなったといった類の状況に陥ると
コナンみたいな奴は逆に何もできないと言う話なのだ
毛利小五郎がそうだった様に騙し合いが通用するのは善人のみ
悪人相手に騙し合いは通用しない
ジンがコナンの正体に気づいていながら気づいていないふりをし
脇田がコナンの正体に気づかず
コナンが脇田の正体に気づいていないのもここが由来
つまり脇田も本質的には善人であり
自分が立てた説である「ラムもコナン側でした」は正解だった事を意味する代物なのだ
つまりただ単に善人が知恵付いていくだけの状況に陥った時
コナンみたいな奴は逆に何も出来ないのだ
これの説明の前に「人間の本性は善」も真理だからこそ
「普通の受け手」に裏設定が分からないだけの話だと言う事を明記しておこう
更に言うとディストのモデルの人物も本質的には善人だから
「ルークはレプリカでアッシュはオリジナル」の意味がわからなかったと言う話もしよう
更に言うと「普通の犯罪者」も本質的には善人だから
「成功するまでの間挫折を繰り返す事で信用を得る」なり
「ネガティブな要因を受け入れる事で殺人をしない」なりで
「生真面目」のベクトルを変更するだけで済む話だと言う事に気付かない
つまりただ単に善人が知恵付いていくだけの状況に陥った時
コナンみたいな奴は逆に何もできないと言う話なのだ
つまり毛利小五郎が知恵者になっていくみたいな状況こそ
コナンが真に恐れる事であり
その答えも解明可能なのだ
「騙し合いが機能しない」とは「真実しか存在しない状態」であり
毛利小五郎みたいなやつでも殺人者の気持ちが理解できる状況であり
誰もが名探偵な世界になった状況でもある
つまり一才の嘘が通用しない状況に陥る事をコナンみたいな奴は恐れているのだ
つまり「黒の組織は善の組織」だと言う状況になった場合でもある
ここまでの情報から導き出される答えはこうである
これはいわゆる「可能性を欠いた状態」と言うものであり
何かの可能性も無くなったから何も出来ないと言う話なのだ
それはズバリ「自分の世界を表現する」可能性も無くなったからであり
早い話現実しか存在しない状況に陥ってしまうからである
真の現実の定理
すなわち「人間の本性は皆生真面目にして善人」だと言う状況に陥った時
仮想敵である悪が無くなった時
善の正当性を証明する機会を失った時
つまり何をしたところで「生真面目」が正しいと言うだけの話になった時
つまり自分が求めている者である
「生真面目に対するアンチテーゼ」を要求された時である
早い話「不真面目の肯定」を要求された時である
ここから「普通のいじめられっ子」の本質も解明可能なのだ
自分の場合はただ単に「不真面目」に生きていたからいじめられていました
でも「普通のいじめられっ子」も「生真面目」である
そして「不真面目」を連想する真似を「生真面目」に行っているだけの話と言う事になる
それはズバリ「ネガティブな要因の肯定」である
隠キャがいじめられると相場が決まっているのもそのためなのだ
つまり「生真面目」に「ネガティブな要因の肯定」を行っており
「生真面目」に「ネガティブな要因の否定」を試みると困る事があるから
「普通のいじめられっ子」は虐められるのだ
その答えはこうである
「自分に自信を持てない」を「生真面目」に行っており
何故自信を持てないのかと言うと
「挫折と失敗」を嫌がっているからなのだ
つまり「成功するまで繰り返す」を行うと困る事がある事を意味している
その答えはズバリ「成功できない自分」を「生真面目」に愛しているである
それが隠キャの本性だと言う話なのだ
つまり「みんな生真面目に生きている」と言う目で相手を見るだけで
相手を理解する事ができる事を意味しており
それに当てはまらないのは自分だけだから
「何かが違う」と言う目で自分を見る娯楽業界関係者がいるのだ
つまり「黒の組織の真の黒幕は灰原哀」と言うのは
灰原哀はこれらに理解を示している事を意味する設定にして
「本当に悪人なのは灰原哀だけでした」にして
灰原哀が大嘘つきなのもそのためだと言う事を意味しており
「法は真の悪を裁けない」を大変したラストを
青山剛昌が用意しているから
「黒の組織の真の黒幕は灰原哀」を最後まで明かさないなのだ
これもまた「一才の希望をお捨てください」にして
これが「真面目VS不真面目」と言う名の
ある種の戦争だと言う事を明記しておこう
つまり最悪の結果とは
人類皆生真面目にして善人だと言う事が表に出る事を指していたのだ


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