雑記

自分の夢をかなえるということは無意識に人の願いを背負うことのような気がしていた。
 夢をかなえた になってしまったら、それは成功体験になって、夢を追いかけている人の側から抜けてしまうから。
体験は、同じような経験をすることは、事の次第ではいくらでも可能だが、しなかったころには戻れない。それが弱みか強みかといわれると難しいものがある。

メディアはすべての人に誠実であり、私たちを対話に導くものだと思っていたし、カルチャーは私たちの今、今日、明日とその先に視線がすすむように、うつむいても、ころんでも、1ミリでも動くためにあってくれるものだと思っていた。私たちはあの時助けてもらったことや、未来の私にとっても救いになる何かを残し続けてくれることをなんとなく感じているから、ちゃんと対価を払って享受するものだと思っていたのだ。私の中の当たり前は、世間の当たり前ではないけれど。

早く死にたいとよく考えたりしてしまうけれど、それは逃げだという意見も理解はできるのです。でも、親の意思と私たちの意思は違って、私自身がこの世界に生まれたい!望んで生まれてきたわけじゃない。生まれたからには理由を見つけようとするだけだ。
動物がうらやましい人の気持ちだってわかる。
私が、人が、本能だけのために知能を使える、だけどなにより、それが難しい生き物だから。



ちょうど1年前に書いた謎文章が発掘されたので。

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