ストップ・ノイジーライフ

生活にノイズが多すぎて拾えるもんが拾えない。
この国を動かしている人たちは、いまだに私たちを何も知らない馬鹿でいて欲しがっている。
政治の話が表の場でライトにできないっていう不文律が成立してしまっていることが証左になっていると思うが。
私の人生は私が切り開いてきたけど、私だけの力ではなく、家族や、友達や、出会った人たちがどこかで手を引いてくれたから今ここでお茶を飲めている。
 小学生の頃から、母がテスト満点の解答用紙3枚で、好きな献立をリクエストする権利をつけてくれたから勉強を真面目にしていて、その習慣が中学でも続けられた。
 幼馴染全員で地元では1番の公立の進学校に行こうと約束したから、継続して努力して希望の学校に入って毎日4〜5時間しか寝れない生活をして、大学に入って、なんやかんやで親や友達にお金を借りたり何かをお願いしたり、迷惑をかけることもなく、かろうじて食べていけるような生活をしている。

 吹奏楽で女同士の派閥争いに巻き込まれてもちゃんと練習していれば文句ばっか言ってる友達より実力がついたから気にならなかったし、頭が悪くないことって学校というコミュニティでは先生も生徒も良いフィルターをかけてくれるのでいじめ女にけしかけられづらくなり、一番楽な処世術だった。頭の良さも力だった。
 幼馴染は私よりもさらに頭がいいので自分はそれに比べて全然努力してないなーと思っていたが、今ただの一社会人になると、まあ及第点くらいはあげてもいいかくらいは思えるようになった。
 自分の力で生きているこの感覚のみずみずしさは、いろいろな人との交流とそこに触れた私の努力の結晶だ。

 今の私が生きづらいことに対しても全く納得いかないし、だいすきな友達や家族も自分と同じように損なうことも許せない。
 みんなが色んな意味で疲弊しているタイミングで情報が追いつかないほど色々なことを変えようとしている人を許せないし、選挙に行かない人も嫌。
人生から逃げないで欲しい。
人生とかでかい主語を使ってしまったけど、一度上げた税金が下がることって基本的にないことと同じように、一度決まってしまうとそう簡単に覆せないから、私たちの生活を縛るものから今目を逸らしたらもっと窮屈になる。
 努々忘れるなかれ


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