来年は

芸術を享受する側だけにいる人って結局その中にある熱意も覚悟もどうでもいいんだろうなと思うと、どんなフィールドでも、どんな方法でも自己表現する人は傷つくことを覚悟するべきなんだと改めて思った。そして、対価を対して払わずに美食評論家みたいなことしてる人に、食わせる飯はないなと思った。ほんとに自分がやりたいことを頑張って得た賛否両論って、おそらく自分の中でちゃんと分別つけて受け入れられるものだと思う。クリエイターってきっと最終的には己との戦いで、賞賛も批判も副産物に過ぎないのかもしれない。自分の幸せの裏には、いつもどこかで誰かの不幸せになっている可能性のことを忘れちゃいけない。最近世の中のムーブ的に、気付いているか不安になるけど。マイノリティーをでかい主語にするせいで皮肉にも苦しめられてるマイノリティーのことを考えると突き詰めてエゴじゃん、と思う。結局エゴに行きついてしまうのなら、せめて考えることをやめない ということが正しく向き合うということなのかも。でも大人になってそういうこととちゃんと向き合って考えるのってすごく精神的なリソースを要するものになって、疲れていれば疲れているほどきつい。でも責任って否応なくついてくるものなので(何なら生きているだけで発生する)これは試練であり、慣れる必要があるのだろう。大事なこと書きたい時すぐ責任とか覚悟とか言ってしまうが、つまるところこれらってすべてに付きまとうものなので仕方がない。尊厳と直結している部分でもあるので。
長々と話したけど、私はそういうことでちゃんと傷ついてちゃんとその傷を見せて誰かと一緒にいたいから、何かを作ることをしたいなと思う。
転職先はそういうことに役立ちそうなことが学べそうなクリエイティビティのある場所なので、2023年はもっと自分のために頑張りたい。

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