かつて好きだったアイドルに負けた話

 説得力のある人間になりたかったがどうやってなるのかまだいまいちわからない。
何が善で何が悪かを考えるのはとても難しいことだし、歴史はいつだって勝者が正史になる。己の正義で争った戦いに勝てば、それが正しいということにできる。

みんなBTSのこと好きだけど別に私は好きじゃない。好きだったからこそめちゃくちゃ嫌いになった。活動休止のコメント読んだけど「なるほど、ここまで来るのに様々な葛藤があったんだな」と思ったけれど、同時に私は「それを君たちが言うのか」とも思った。

 私がK-POPで一番初めに握手会まで参加したのはBTS(当時はもっぱら防弾少年団と呼ばれていた)だった。それくらいにはまっていた。
握手会参加するためにCDを限られたお小遣いで買うことなんてもうないと思う。
 花様年華ツアーの神戸のことなんてもうわざわざ引き合いに出したくないが、私ははからずも当事者となってしまったのでいきさつを語るにはいやでも話に出さなければならない。理由も説明されず自分の一番応援しているメンバーが来ない、ドタキャンしたライブ。そのあとの対応を見ても、誠実さを感じることができなかった。以前からあくまで噂のような内容の差別がふくまれるのではないかという指摘も、こういう小さな負に感じられる積み重ねが信じたい心を殺していく。私は君たちがコンセプトに掲げている「若者への抑圧と偏見を止め、自分たちの音楽を守り抜く」という姿勢が好きだったのに、私(たち)がその対象にはいないんだと思わざるを得なくなってしまった。傷ついてまで応援していったいなにが残るのか。


推してたアイドルが熱愛したり、でき婚したりしてきたけれど、それはあくまで「個人」の問題である。

 先ほどから話している彼らの場合は、グループの存在意識という極めて根源的なものが前提からひっくり返されているだろう状況というところに大きな違いがある。彼らが己の正義を示すためにアイドル活動をしていたと思っていたが、私たちはその正義が自分たちをどこかで突こうとしているなんて思ってもいなかったのだから。正義の音楽が政治と絡むところまではいいが、「日本デビューしている中でわざわざ現地のファンを傷つけてもいいと思われている」とこちらが受け取った時点で、彼らが与える希望は万能ではないことの証左だった。
そして、コンセプトに抑圧・偏見を止める、自分たちの音楽を守る(貫き通す)と言っている以上、政治的に差別がはいったところで、そのままの姿勢でいられても「反日感情は音楽に乗せるくらいに本当にあるんだ」と思うし、仮に嫌々そういうことをやらなければいけない状況だったとしても「それって自分たちの音楽を守れていないってことでは?わたしたちが戦っていると思っていた姿とは?」という疑問を持たざるをえない、どちらに転んでもいい感情はあまり芽生えない構図なのだ。

 間違いは誰だってあるものだけれど、そのあとに誠意を見せて再び信頼を取り戻していく過程があって初めてそう思えるのであって、ここまでグローバルに活動し、意見を広く言えるようになった今でも、過去のそれを謝ることも正すこともしてこなかった彼らの印象はそう簡単には戻らない。

 そんな人たちにアジア人の偏見の話をされたり、いかにもアイドル文化からの脱却とその功績から平和を問い始めた姿勢をみたかつてのファンはどう思ったのだろうか。私は数年のあいだに大層偉くなったものですねと他人事のように皮肉を言いましたよ、心の中で。


宗教などからわかるように、人は自分に見えている世界がすべてなので、わざわざ彼らを神格化したり英雄だと感じほめたたえ、本当にすごいと思っている人たちに横槍を入れる野暮なこともしない。
今あなたに見えている彼らの姿が本物です。確かに本物です。


 ただ私の中では彼らは神なんかじゃないし、私はその状況を好ましくは思っていない。ただそれだけのこと。
彼らの誰かが言った「伝えたいことがなくなった」のそもそも”伝えたいメッセージ”自体を私は不審に思い続けているから。

彼らの音楽を罪だと思っていない。そもそも犯罪者から生まれていようが、罪を持つ音楽もとい芸術なんてそうそうない。

でも彼らのメッセージは、少なくとも私には響かないし、同じ思いをしている人もきっとどこかにいる。

勝者の歴史が正史になるなら、私のこの明らかに少数派な気持ちは、敗者のそれにすぎないのか。

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