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壊れそうな我が家のはなし

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アルツハイマー型認知症を発症した元職人の実父と、自分も含めた家族の動きをあれこれ書き綴っています。 同じ病名でも、症状は様々かと思います。 しかし、我が家の場合はこんな感じだった…
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2020年3月の記事一覧

壊れそうな我が家のはなし(4)

例年、調理師だった実父はカレンダーの終わりが近づくと、かずのこや黒豆を調達してきては、おせち料理の準備に余念がなかった。お正月関連の行事には手を抜くことがなく、それは年末に我が家で食べる年越しそばの汁や、年が明け、近所のスーパーが開いて買い物ができるようになるまでに食べる食事についても計画を立てるほどだった。 ある年、そんな実父が、「今年のカレンダーは狂っている」と言い出した。カレンダーの時期と、実際の時期が乖離しているというのだ。その度に家族でそんなことはないと訂正するの

壊れそうな我が家のはなし(3)

実父が認知症、特にアルツハイマーであるとは全く疑いもしなかった私たち家族でも、実父の奇行が目に付くようになってきたのは、講師を務めていた学校に行かなくなり、魚市場の仲卸で魚をさばくようになったころである。 元々、その仲卸とは調理師として勤めていた店を切り盛りしていた現役のころに顔見知り。早朝に車で魚市場に通うようになったのだが、道を間違い、なかなか魚市場にたどり着けないことがあった。やがて、一緒に勤めている人とのいざこざをきっかけに退職してしまった。 その後、病院などの施設

壊れそうな我が家のはなし(2)

実父の実家は決して裕福ではなく、中学卒業後、地元で少し仕事をした後、上京して、料理人としての道を歩み始めた。修行の初期は、先輩の作った料理を見て、味見して覚え、大型漁船の料理人なども務めたのちに、地元にやや近い土地の温泉旅館に勤めるようになってから実母と会ったという。やがて、両親は、実父の地元に戻り、私や妹が生まれた。実父はずっと店を持たない人だった。雇われた先で腕を振るう料理人で、特に弟子は持たなかったが、私が幼いころから、地元のカルチャーセンターや、調理師学校の講師をして

壊れそうな我が家のはなし(1)

実母と台所で夕食の片付け物をしていた。時間は間もなく深夜0時。2階の部屋では、息子と夫が寝息を立てている。我が家は私と夫とひとり息子、それと私の両親が一つ屋根の下で暮らす。 遅い時間の夕食には理由がある。息子がスポーツをしており、帰宅が遅い。バタバタと入浴後、夕食をすませ、学校の用意と宿題を終え、床に就く。食器の片付けが終わるのはいつもこのくらいの時間だ。 本日の片付けがほぼ終了しようかというその時、台所の向こうにあるリビングの扉ががちゃりと開いた。扉の向こうに実父が立っ