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この時期になると思い出す話

5年前の3月、長年闘病していた母方の祖父が亡くなった。施設に入っていたこと、手術などで入退院を繰り返していたので予見は出来ていたがいざ母から報告のメールが来た時は心が沈みました。

正直母方の祖父母に対しては晩年色々孫としても思う所があった。先に亡くなった祖母は子供達である母と叔父に対して色々押し付けたり口出しするなど毒親な一面があり、その一面を見るたびに胸が傷んだ。祖父は祖母に比べたらまだマシな方だったが現代のコンプラ的に一部言動に対して「ん?」と思う所もあった。

晩年鬱を発症した祖母とは最後関係が拗れてしまったが、祖父に関しては晩年でも比較的に良好な関係だった。祖父が亡くなったことを母に知らされた時もよくされた分悲しみはありつつも、闘病に苦しんでいた祖父がやっと安らかになれる、幼少期から色々あっても最後まで両親のお世話を全うした母と叔父がやっと自由になれるという安堵もありました。


そんな祖父のお通夜の日にたまたま当時の推しの営業ライブが日中に入った。春休み期間中だからなのか珍しく平日の昼間の営業だった。

元々お通夜の日は休暇を取っていて、母からもお通夜の開始時間までは自由行動で良いと言われていました。正直お通夜までの時間の日中を悶々と過ごすのは嫌だった。余計なことを考えてお通夜に持ち込みそうだなと不安がありました。営業に行けばせめてその時間だけは色んな雑音をシャットアウト出来る気がした。

お通夜の前日、念のため母に日中営業見に行っても問題ないかと確認のLINEを送った。しばらくしたら返信が来た。

「いいよ、かあさんも午前中はヨガ教室行くし。ただお通夜の時間までにはちゃんと来てね。」

この少し前までは自分がお笑いライブに足を運んでいることに対して否定気味だった母。こんな時にお願いするのもあれでしたが、母がお笑いライブに行くことに背中を押してくれたのがとても嬉しかったです(今ではすっかりライブに行くことを肯定してくれてオープンに話せるようになりました)。


そして当日を迎えた。営業ライブは朝からやっていたが、お通夜に向けての準備もあったので営業ライブには昼過ぎに着くように行きました。

喪服で営業ライブに行くのは気が引けたので着替えとして用意しました(パンツスタイルだったので上の服だけ取り替えらるようにしました)。

営業ライブからお通夜に行くことを知っているのは事前に相談した母と葬儀会場の最寄駅で待ち合わせの約束をしていた父のみ。弟や他の親族にバレたら絶対ドン引きされるのが予想出来たので絶対当日はバレる訳にいかなかった。

なお営業のメインイベントはビンゴ大会だったため万が一景品が当たった場合用の黒のトートバッグも用意した。

営業ライブは電車の時間まで目一杯楽しんだ。営業ライブは色んなネタを見れるから好き。最近のネタに加えて昔オンバト出演時代のネタも見れたから。営業ライブ中は祖父母の死まわりの悲しみやモヤモヤを忘れることが出来た。

ビンゴ大会もキッチングッズの生活用品セットが当たって嬉しかったです。景品の中に気になっていた仮面ライダーのベルトあったが、流石に葬儀会場にバレずに持っていくのは無理あった。

各回終わりに写真撮影の時間があったので出待ちのように推しにも話せた。当然ながら推しにはなぜ平日昼間の営業に来れたか聞かれたので、この日は理由を濁し翌日のライブで渡したお手紙に事情を説明しました。少なくともあの場で口頭で言えるわけなかった。


時間が許される限り、営業ライブをギリギリまで楽しんだあとは着替えて電車に乗って葬儀会場の最寄駅に向かった。

待ち合わせ時間に間に合い無事父とも合流出来た。会場までの道のりは近況の話や最近お互いが足を運んだライブ/寄席について話した。昔から今でも父は週4ぐらい落語を見に行くのが好きなので当初から自分がお笑いライブに通うことに関しては1番の味方でした。

お通夜の方も無事終わり、両親以外に営業ライブに行ったことがバレずに済みました。営業ライブで心が落ち着いたおかげで祖母の時には出来なかった安らかな気持ちで最後祖父に感謝出来、お見送りすることが出来ました。

お通夜の前にお笑いライブを見に行ったことは賛否両論あると思いますが、自分はあの時行ってよかったと5年経った今でも思います(故人との関係性や悲しみの度合いもありますが)。別れと向き合う方法は人それぞれ。また来年の今頃もきっとこの話を思い出すだろう。

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