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言葉にできない劇場版スタァライト
劇場版スタァライト、本当に素晴らしい映画でしたね...。
ただ、劇場版スタァライトを見てからもう8ヶ月が経ったわけですが、未だにずーーーっとモヤモヤしていて…。というのも、劇場版スタァライトの感想が言葉にできないのです。
まぁ単純に自分の言語化能力、文章化能力が足りないだけという説も大いにあるんですけど、やっぱり劇場版スタァライトって「言語から遠い」作品だと思うんですよね。
いやいやいや、劇場版スタァライトが「言語から遠い」わけないだろ!と言われそうですね。実際、樋口達人さんの鋭い脚本台詞、中村彼方さんの最高すぎる歌詞、そしてwi(l)d-screen baroqueやポジションゼロをはじめとする「スタァライト用語」の数々。むしろ、劇場版スタァライトは大量の言葉、文字によって構成されていると言ってもいいわけですね。
でも、これらの台詞、歌詞、言葉、文字は劇場版スタァライトにおいては、全て「舞台装置」になっていると思うのです。つまり、言語ではなくて記号、キャラクターになっているのです。
やばすぎますよね...。アニメで2001年宇宙の旅をやっているようなものです。
©「2001年宇宙の旅」終盤はこんな感じのビジュアルが沢山でてきて終わるけど説明とかは特にないです。
2001年宇宙の旅は難解かつ説明不足な映画として知られていますが、もともとナレーションによる解説をつける予定だったらしいです。ところが監督のキューブリックがそれを拒否したため、全然説明してくれない映画になりました。
劇場版スタァライトにもナレーションや説明台詞があったらどうでしょうか?多分めちゃくちゃ分かりやすくなったと思います。すべてのシーンでキリンによる詳細なストーリーの解説、キャラクターの心情の説明を語らせることも出来ただろうし、キャラクター自身が状況を説明することも出来たでしょう。バナナが舞台列車の上で「みんな将来のことをもっと考えようよ!みんなこのままで良いの?甘えてちゃだめ!私がみんなの目を覚ましてあげる!」って叫んだりとか。
そうすれば、観客は劇場版スタァライトをもっと簡単に理解することができただろうし、感想も簡単に書けたと思います。
けれど、劇場版スタァライトは言語による説明に頼りませんでした。
その結果、劇場版スタァライトは「理解しにくい映画」になりました。理解しにくいから、感想を書くのも難しくなりました。「観客に投げっぱなしの映画」という批判意見もあります。
しかし逆に言えば、世の中には「映画は観客が理解しやすいように作らなければならない」という「ルール」に縛られすぎていると言えるかもしれません。観客の方も、映画を見終わったあとにどんな映画だったのか理解できないと不安になったり、恥ずかしくなったりするときがあると思います。
でも私達は何かを理解するために映画を見ているのでしょうか?
私達が実際に目撃しているのは言語化された情報ではなく「映画そのもの」であるはずです。劇場版スタァライトを見た観客はストーリーやキャラクターの情報を言語化して理解したのではなく、「劇場版スタァライトそのもの」を直接体験していたのではないでしょうか?つまり劇場版スタァライトを見終わったあとには理解が待っているのではなく、体験したという経験が残るようになっているわけです...。
だからこそ、自分は劇場版スタァライトを体験したあと、言葉にならない謎の感情や、謎の涙など、脊髄反射的な反応が身体から出てきました。言語の壁を通り過ぎて直接心に届くので、劇場版スタァライトが身体の一部になってしまうわけですね。
「分かんないけど、分かったの…」
あとがき
劇場版スタァライトが凄いのは、ちゃんとこれでエンタメになっているというところなんですよね。2001年宇宙の旅みたいなことをやっているのに至高のエンタメ作品でもあるので脳がバグっています。
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