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おまけ:じゃあ「物語」を作ること消費することは悪いことなのかね?


謝辞

拙作が大反響(当アカウント比)で嬉しいです。Twitterで感想の感想、反響、意見等々も読ませて頂いております。へへ……。

前編を加えると1万5千字とかになる拙文をお読み頂いて、本当にありがとうございます。



note投げ銭ってマジで都市伝説だと思ってたんですが存在するんですね……。欲しいものリストは誕生日の時とかに優しいフォロワーが送ってくださるんですが、投げ銭は人生初です。ありがとうございます。

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これまたよく存じ上げないのですがnote編集部さんのゲーム記事まとめにも選ばれました。他の記事見てるといいね数桁違いな気がするんですけど自分の記事だけ場違いじゃないですか?ありがとうございます。

100いいねとかもうこれを超えられるnoteを書ける気がしない。いや、いいねを貰うためにやってるんじゃないんですけどもね。


カオスな事になってる欲しい物リストも乞食するわけじゃないですがURLおいておきます。いただけるとハッピーになって活動が活発になるかもしれない。

何かご意見ご感想ありましたらマシュマロもお気軽にどうぞ


余談ですが色々LB6の副読作品として色々挙げましたが、じゃあどれを摂取するべきですか?と言われたら自分は間違いなく十三機兵防衛圏を挙げますね。十三機兵をよろしくお願いします!!!!




「物語を消費する」是非の答え


色々反応を拝見させて頂いて、繊細な方だとかなり深く読んで頂いて「物語を消費する」という事についてめっちゃ考えてる方がいて偉いなと思いました。(小学生並の感想文)

これについては話が更にとっちらかるので疑問形で答えをぼかすように書いたのと実際のところ答えは存在しないので、各々の見てきたもの感じたこと考えたことで「答え」を出していくしか無いんだと思う。


むしろこの質問の意図の大事なところは「物語を作り出すエネルギーに対して読み手がが消費するエネルギーが違いすぎる事実を忘れないで、という祈り」みたいな話だと個人的に考えています。

話がとっちらかるので後編の内容に混ぜられなかったのでここで消化します。



物語のエネルギーというもの


オベロンが魅力的なキャラクターでオタクを狂わせているのはもう自分が説明するまでも無いのですが、その中でも非常に興味深い要素の一つが「作者」に対しての感情です。


「───拝啓、ウィリアム・シェイクスピア。この度は、素敵な脚本をありがとうございます。私にとって、一生の宝物です。墓まで、持って行きたいと思います、と……。
 ───この手紙、あのクソ野郎に届けてくれる? ああ、気を付けて? 捺し止めの蝋にたっぷり毒を混ぜたから。
 ──君は触っちゃだめだよ?」
(オベロン、シェイクスピア所持時ボイスより)

「───アンタは俺の仇敵だった。アンタが余計な事をしなければ、俺が生まれる事もなかった……。アンタを殺すために俺は全能力を費やした……。そのくせ、アンタの死に際に俺は立ち会えなかった───。ふー……。なんで、ケジメとして言っておくよ。
 ───アンタが描いた絵本、俺は嫌いじゃなかったぜ───」
(オベロン、モルガン所持時ボイス)

ここでご紹介するのはオベロン召喚時、特定のサーヴァントを持っていると聞ける特殊ボイスです。

1つ目はご存知「夏の夜の夢」の作者、シェイクスピア。アイロニーたっぷりなラブレターを……という内容。

アヴァロンルフェの途中で「ティターニアはシェイクスピアが創作したもの」というあらすじを知ると、彼がのティターニアという存在(概念)への愛情を鑑みるに、その生みの親であるシェイクスピアへの複雑な感情が伺いしれます。どちらかというと皮肉寄りの。


じゃあ彼が物語を織る者が全て嫌いなのかと言えばそうではないようだぞ、というのが2つ目に紹介したモルガンへのボイス。

ご存知、オベロン・ヴォーディガーンはモルガンが異聞帯ブリテンを統治するという選択と行動によって生まれたキャラクターです。思えば「モルガンを倒すんだ」とブリテン異聞帯攻略の目標を一番最初に提示してきたのもオベロンだったけれども。

じゃあ彼がモルガンのことを憎んで嫌っていたのか?といえば、この特殊台詞から見てもNOと言えるでしょう。正確には、モルガンが描いた絵本についての言及ではありますが。


何かを作り出すということ


なぜオベロンはモルガンにこのような言葉をかけたのか?これは私が思うに、な話になりますが、オベロンはせせこましくブリテンの滅びというストーリーのため頑張って自分の足で根回しをしまくっていたわけですが、モルガンも同じように妖精歴からトネリコとして悠久とも言える時間をその目的の為に費やしていました。

モルガンのその願いとその最後は語るまでも無いですが、彼女もまた「汎人類史には許されない、自分の国を作る」という、存在しないティターニアを探すオベロンに似た願いを叶える、という目的がありました。同じような願いを抱くモルガンとその苦労を慮ったのだろうかな、と認識しています。


更に、なぜオベロンがそう考えるのか?という点は藤丸立香への接し方に伺えるところで、いつか藤丸立香が必死になって地球白紙化を元通りにしたところで、結局他人から見たら報告書で読んで終わりになってしまう……という懸念の通り、「物語を作るときはメチャクチャにエネルギーが必要なのに、消費する際のエネルギーは全然少ない」、という点をオベロン自身も理解しているからに他ならないでしょう。

物語に限らず、だいたいのモノ・コトってのはそうです。作るより消費するほうが早いです。

みなさんは自炊好きですか?私は大嫌いです。なぜかといえば一人暮らしで一人分のご飯を1時間かけて作っても食べるのは10分で済んでしまうし、特別美味しいわけでもないし、あまつさえそれを毎日やるということがめちゃくちゃ無駄に感じて「これもう値引き弁当買えばよくね?」ってなるからです。

私が富豪なら毎日外食なりデリバリーなりできるのですが、現実はそうもいかないので適度に自炊しています。


そういう手間ひまを一箇所に集約させて様々なジャンルのものが大量生産されて、安価に手に入り私たちの生活は豊かになったのですが、当たり前にあるものを人間はありがたがりません。あまつさえ、消費している自覚すらなくなります。


話を戻しますが、物語というのも例外ではありませんよね

年間に作られるアニメは数百本、本以外にもWEBという媒体が増えて毎日のように知らない漫画や小説がどこかで始まっては終わる。別にアニメ漫画ゲームだけが物語ではありませんし、アイドルやyoutuberも一つの物語だとするなら、そのドラマの生産消費はもう書ききれないくらい多岐に渡ります。


そんな現代日本で星の数ほどあるどれか一本を選び取りながら私たちは何を考えるかといえば、口を開けば、やれまたこのジャンルかーだの、やれ二番煎じだーだの、まあ言いたい放題なわけです。もちろん何か思ったことを口に出すのは自由なので、別にそれ自体は悪いことではありません。

しかし、しかしですよ。そんな貴方が駄作と吐き捨てた物語も、作者並びにスタッフたちが心血を注いで世に送り出した唯一無二の物語なんだということを、消費するだけの我々は頭の片隅に留めておかないといけないなと私は日々思うわけです。

考えてもみてくださいよ。人生をかけてこの作品を作り上げよう!!と膨大な執筆時間を費やして世に出した作品がバチボコに言われたら悲しくなりますよ。説教めいて聞こえるし、別に消費者がそこまでする責任は無いというのも全くもってその通りですが。


しかしながらこのnoteを読んでいる、

ド素人の感想をわざわざ時間かけてここまで読んでいる特殊な方は、

ほぼ間違いなく「物語に人生を変えられた/救われた」という経験がある方じゃないですか?


少なくとも自分が大切に思う物語が、たくさんの人間がたくさんの時間をかけて世に出ているのを忘れないでほしい。

そんな優しく悲しい祈りがLB6にはひっそりと込められているかもしれません。少なくとも私にはそう見えたので、私はそう思うことにします。


fgoというゲームは架空のゲームで、藤丸立香も、キャストリアも、オベロンの汎人類史の怒りも、ティターニアも、全て現実には存在しません。現代に星の数ほどあるどれかの物語のひとつでしかありません。

でも、それを価値があるものと心を打たれたあなたは、現実に存在しているのです。


それをただ掃いて捨てるものにするか、大切な物語にできるかは全て物語を受け取った者、生きる者未来ある者次第。

物語に心動かされた者の一人として、もしかしたらこれから物語を作る一人として、架空を通して現実を考えていきたいものですね。


そんなとりとめのないコトをダラダラ書き連ねてしまったので以上、終わります。



コメント返信

コメント頂いたのですがちょこちょこ紹介したい部分もあったのでおまけ記事のほうで詳細を書かせていただきます。


面白かったです。挙げられていたゲームはやったことがないのですが、Undertaleにも似たような部分があるなーと思いました。
物語消費者の悪辣さを批判すると書かれていましたが、その行為が悪辣なのか、私にはよく分かりませんでした。


Undertaleも割と近いものありますよね。私はPルートの最後の花ヤローの言葉が刺さりすぎて、Pルート終えてから一切ゲームを起動していません。まあGルート自力でやれるかって言ったら多分無理だしな……。

感想後編のほうで紹介した、「ニーアオートマタ」のディレクター・ヨコヲオタロウさんが絶賛のコメントを寄せており、きのこもこういうゲーム好きそうだなって私が勝手に思ってるんですが、今の所奈須きのこ氏のUndertaleに関する感想等は見かけていません。もし知ってる人いたら教えてください。

(追記)

マシュマロで優しい方が奈須きのこ氏がUndertaleについて言及しているインタビュー記事を教えてくれました。感謝。



さて、「物語消費者の悪辣さを批判する」という点ですが、これはあくまで入れ子構造の世界の住人から発されるものであり、現実世界からしたら物語はただの作り物でそこに存在するものに人権もなにも存在しないので、何も悪いことじゃありません。


ですが、もしもの話、貴方が突然事故にあって天涯孤独になって、会社が倒産して、他にも色んな不幸があったとして、もし、それが貴方の人生という物語を消費する存在によって「不幸に遭う貴方が見たい」という理由で操作されていることだったら、どうでしょうか。

流石にたとえ話にしても突飛すぎるので、一本この件を考えさせてくれる映画を紹介します。1998年のアメリカ映画「トゥルーマン・ショー」です。

Amazonで字幕版が300円でレンタルできます。

今からこの作品の根幹に関わるあらすじを引用するので、ネタバレが嫌な方は見終わってから読んでください。






いいですか?




ではあらすじを紹介します。





離島・シーヘブンで保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」が口癖の明るい青年である。彼は生まれてから1度も島から出たことがない。それは子供の頃、父と一緒にヨットに乗って海へ出ていた時に父の警告を無視して船を進め、父を亡くしたことで水恐怖症を患ってしまったことが原因だった。
(中略)
実はトゥルーマンは生まれた時から人生の全てを24時間撮影されており、そのままリアリティ番組『トゥルーマン・ショー』として世界220ヶ国で放送され続けていた。彼の住む“世界”は巨大なドーム状のセットで、太陽や月、星々も機械仕掛けの照明装置に過ぎず、雨や雷鳴などの気象も人為的な演出である。そして何より、トゥルーマン以外の人物は全て俳優であった。(Wikipedia-トゥルーマン・ショーあらすじより-)

流石に最後どうなるかはここでは紹介しませんが、実際に「自分が消費物として扱われるという現実」というものに主観的になるにはこの映画が一番手っ取り早いかなと思います。おすすめです。


現代において、人間ですら容易に消費物になってしまうというのはテレビというメディアの発達に伴って進化してきましたが、テラスハウスやバチェラーなどリアリティーショーが未だに元気で、なおかつSNSの出現によって有名人じゃない人間すらも消費物化してしまう現代になってしまいました。

それはとても恐ろしいことなのに、なぜ人間は物語を求めてやまないのか。色々理由はあるかもしれませんが、私は人生が長すぎて暇だから物語が必要なんだろうと思ってます。

人間の機能と性能に対して人生が長すぎる。今は娯楽がたっぷりあるからいいけど、数千年前とか暇すぎる。Switchもスマホも無い。そりゃ星を見上げて物語という名の幻覚を見て暇を潰そうとするよ。


物語の消費者として、あるいはその作り手として、たまには立ち止まって世の中に生み出されている物事に耳を傾けることも「アリ」なんじゃないかな。

そんなわけで一本映画を紹介させていただき締めたいと思います。コメント、ありがとうございました。


おしまい。

支援貰えると美味しいご飯がより美味しくなるのでよろしくおねがいします