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「先ゆく仲間」と出会う場所

皆様、こんにちは。
スピリチュアルや、精神世界を知って回復につなげたり、はたまた、自分の心や精神疾患と向き合って内面の成長を目指す集まりに、これまでの人生でたくさん参加してきました。

コミュニティが荒れて壊れたりするところも幾度か見てきたし、ずっと続いている盤石なコミュニティにも、いくつも参加しました。

今もオンライン含め、有料・無料問わず複数のコミュニティに参加しています。

その中で、時代的に最低限必要だなあと思った点を書き出してみようと思います。

・開催している側が、精神医学について、自分が当事者ではなくても(まだ自覚がなかったり、診断が下りていないだけであっても)、開催時間外で専門的な知識を学び続けていること。

精神と向き合うのであれば、精神医学は必ず関わってきます。
精神医学は、まだ開拓されて間もない分野ですが、ここしばらくで急な発展を続けていますし、時代の変化に伴い、今まで関係が無いと思っていた人であっても、自分ごとになっていきます。

コミュニティの参加当初は自覚がなくても、関わりの中で、互いが自分の話をしていくにつれ、本人に言わないにしろ相手の未治療の精神疾患に気づくこともあります。

また、そのうえで、開催者側がそういった精神や心に関する言葉の取り扱い、関わり合いの中での線引きについて知らないままコミュニティを走らせてしまっている危ない場にも複数参加しました。

きちんとしたアドバイザーがいるとか、コメント投稿の管理をする人がいるとか、世界的に100年ほど回復者を生み出し続けている自助会(AA)の仕組みを使っているとかして、線引きを分かっている場だということがすごく大事だと思いました。

また、開催者の独断場になっているコミュニティにもいくつか参加しました。
小さな意地悪に遭うこともあったし、取り扱っているテーマ的に、多少荒っぽい男性が集まるので、現状では開催者の権限が強くないと継続が難しい面もあるのだろうかという場所もありました。

また、独断場になってもおかしくない作りのコミュニティなのに、独断を回避し続けているあっぱれなコミュニティも知っています。

時に、危ないなあと思うような瞬間があっても、開催者が複数名いて、対等な関係でやっているため、他の誰かがその場で納得いかないとツッコミを入れることができたり、次回きちんと専門的に調べた内容を展開して、自分がどれだけ違ったか自覚しながら軌道修正していく様子が見事すぎて、何年も参加を続けています。

それは、発言しないで静かに聞いていた参加者が、ていねいで穏やかな語り口のお便りにて、しかし、率直に伝えるようなこともあります。

開催者の方々がずっとずっと学習し続けて、「じぶんのああいうところは違った」「こういう理由で違ったと今は思う」「だからこのようにする」と、どんどん反省して変わっていくんですよね。

開催者が、近い人からの反対意見を皆の前で言わせられるような空気をちゃんと作っているのか。そして、各分野の専門的な知識を受け止めて考えていける胆力があるのかというところが大事なのかもしれません。

それと、長続きしている場は、深刻なテーマを扱っていても、時には大笑いがあったり、陰口がなかったりして、明るいなあという印象があります。

・誰かが自分の「先ゆく仲間」であり、自分の「先ゆく仲間」にも、そのような人がいるのだということ

依存症の自助会で知った、大好きな言葉があります。
「先ゆく仲間」という表現です。

基本的に、きちんと自助会の仕組みに則って取り組むほど、回復が進みます。
同じ会場にいても、年齢が近くても、自分より人生が好転していて、穏やかで明るく、安定している参加者とたくさん出会うことになります。

そのときに湧いてくる嫉妬とか、混乱とか、焦りといった様々な感情があります。自分より何年も長く参加している参加者が、自分の番になって、最近の様子を語るとき、人を頼って力になってもらった経験を語る際「先ゆく仲間」という言葉を使ったのです。

自助会で順番に自分たちの話を語るとき、それは「分かち合い」と呼ばれ、原則、誰かが話している間ほかの人は何も口をはさめないし、他の人の分かち合った内容に対して意見を言うことも禁じられています。
「言いっぱなし、聞きっぱなし」といいます。

その際、場所や人物を特定できるような固有名詞を出すことも禁止されています。

個人情報を守るためだと聞いていましたが、誰か自分より先を歩いているような人について「先ゆく仲間」という言葉を使って、その人の名前を出さずに語ることによって、誰かを持ち上げることにならず、安心していられる平等な場が保たれるんですよね。

これは、私がよく見ている精神医学のコメント欄でも決まりになっています。良くできた仕組みだと思いました。

「先ゆく仲間」という言葉を、もしも「先輩」とか、「親分」とか言っていたら、上下関係ができてしまい、全く違った場になっていたでしょう。
仲間はあくまでみな仲間であることを示せる美しい言葉で、参加の際にもらえる冊子でも使われている言葉です。


読んで頂き、ありがとうございます。
回復の道を共に歩きましょう。

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